7

 綱重は、開けたばかりの扉を今すぐ閉めてしまいたい衝動に駆られていた。何故ならば、三日前には校門で待ち構えていた赤ん坊が、今日は保健室前に立っていたのだ。そこに赤ん坊がいるのを見た瞬間、ようやくシャマルのからかいから解放されたという安堵の感情は儚くかき消えた。
「そんな顔すんな。傷つくだろ」
 笑みを浮かべたまま言われても説得力はまるでない。それに。
「……何だ、その格好は」
「給食当番だ」
 いつものスーツではなく割烹着を身に纏ったリボーンは、妙に誇らし気な様子で答えた。そして、小さな体の後ろから小さな――その体と比べれば大きな――包みをひとつ取り出して続ける。
「ママンから弁当を預かってきたぞ」
「弁当?」
 首を傾げれば、赤ん坊はニッと唇を引き上げた。

×

 抜糸を終えたばかりの肩に乗るのは遠慮してもらい、その代わりに胸の前で抱きかかえてやった。割烹着姿の赤ん坊を抱いた姿は当たり前だが非常に目立ち、向けられる痛いほどの視線の数に、綱重は眉を顰めた。自分で歩けよ、心の中で呟けば、まるでそれを察したかのように、目立っているのは俺の所為じゃねえぞ、と言われてしまう。
 確かに、目立っているのは赤ん坊を抱えている所為だけではないだろう。この場所で、綱重の存在は、異質以外の何物でもない。
「おい、大丈夫なのか?」
 今更ながら心配になって尋ねれば、安心しろ、とリボーンは頷く。
「雲雀から許可はもらってある」
「ヒバリ?」
「雲の守護者だ」
 切れ長の瞳が印象的な端正な顔立ちを思い出し、思わず、ああ、と声が漏れた。仕込みトンファーを使い、一流の暗殺者顔負けの動きをする、不遜な言葉遣いの少年だ。よく覚えている。そういえば、彼はヒバリと呼ばれていたな。納得しかける綱重だったが、
「……いや、ちょっと待てよ」
 こういうときは大人の責任者に許可をもらうものではないのだろうか?
「何で雲の守護者に許可を、」
「兄さん!?」
 廊下の向こうから驚愕の声が響き、綱重は顔をあげた。制服を身に纏い、移動教室だったのだろう、教科書や筆記用具を抱えている弟のツナがそこにいた。
「テメー、何しに来やがった!」
 ツナの後ろから獄寺が叫んだ。その隣には驚いたように眉を上げる山本がいる。
「……え、あれ、ダメツナのお兄さん?」
「うっそー、ちょっとかっこよくない?」
 遠巻きに綱重を窺っていた周囲がにわかに、ざわめきだした。
「おいこら! 今、10代目のことを失礼な呼び方したやつは誰だ!?」
「ご、獄寺くん!」
 ダイナマイトを取り出しかける獄寺をツナが必死に止める。
「……ダメツナ……?」
「ツナの恥ずかしいあだ名だ」
「リボーン!」
 会話が聞こえたのだろう。頬を赤く染めたツナが綱重たちに向き直る。
「一体、何してんだよ! 何で兄さんと!」
「たまには昼食でも一緒にどうかと思ってな」
「昼食!? お前なに勝手なこ、ぶっ……!」
 不意に、ツナの体が横に吹っ飛んだ。小さな家庭教師がいつものように“教育的指導”をしたわけではなく、ツナと入れ代わりに綱重の目の前を陣取った、五人ほどの少女たちの仕業だった。
「沢田くんのお兄さんって本当ですかっ」
「……え?」
「私、家が近所なんですけど、お会いしたことないですよね!?」
「あ、いや、ずっと海外に留学していたから……」
 “海外留学”の言葉に目の前の少女たちだけではなく周りからも歓声があがる。思いもよらぬ反応にびくりと肩を揺らす綱重だが、少女たちは構うことなく続ける。
「お昼ご飯食べにきたって、どうして? あ、別に嫌なわけじゃなくてぇ、むしろ大歓迎っていうか〜」
「もちろん! 教室で食べるんですよね?!」
 甲高い声が矢継ぎ早に言葉を畳み掛けてくる。勢いに押され思わず後退りをする。それでも彼女たちの勢いは止まらない。目を白黒させている綱重を壁際に追い詰めるようにして、少女たちは詰め寄った。
「私たちもご一緒していいですか!?」
 ぴたりと揃った声に、綱重は頬を引き攣らせた。一体どうするんだと腕の中のリボーンを覗き込もうとした、そのとき。
「君たち、何の群れ?」
「ひっ!」
 悲鳴に混じり、雲雀さん、と、複数の声がその名を口にした。しかし、どの声もか細く震えていたため、小さな囁きにしか聞こえなかったが。
 波が引くように綱重の周りから一斉に人が離れていく。少女らがいた場所に代わりに現れたのは、最強の不良にして並盛の秩序・雲雀恭弥その人だった。
「――赤ん坊。許可はしたけれど、騒ぎを起こすのなら話しは別だよ」
「すまねーな。すぐにここから離れるから勘弁してくれ」
 リボーンはツナたちを振り返った。
「おい、お前ら。とっとと弁当持ってこい」
 雲雀にじろりと睨まれて、ツナは青ざめながら家庭教師の言葉にこくこくと頷くしかなかった。

×

 屋上へ辿り着くと同時に綱重は深い溜め息を吐いた。
 急いでここまで駆け上がってきた。この程度の距離で肉体的な疲れを感じたわけではない。ただ、もしまたあんな風に囲まれたら、という精神的な疲労がどっと溜まったのだ。今まで関わりを持った女性は、皆、年上の――それもマフィアや殺し屋といった職業の――女性ばかりだった綱重にとって、年下の女の子に囲まれるという体験はあまりに衝撃的だった。女性のかわし方は上手い方だと思っていたが、一人や二人相手ならともかくあの人数に、どう対処するのが正しいのか全然わからなかった。
「色々、物凄い場所なんだな、学校って……」
 げんなりとした表情で呟き、コンクリートの地面にリボーンを下ろす。
 額を押さえもう一度溜め息を吐く綱重に、山本が笑いながら、普段はもっと落ち着いてるっスよ、と声をかけた。
「でも、やっぱイタリアの学校とは違いますか?」
 綱重の色素の薄い瞳が山本を映す。そのままじっと見つめられ、何かまずいことを聞いたかな、と山本が笑顔を引っ込めようとしたとき、ようやく唇が言葉を紡いだ。
「僕は学校に通ったことがないから分からないな」
「え?」
 ぽつりと発せられた答えに驚きの声をあげたのは、尋ねた山本ではなくツナだった。綱重は、今度はツナに視線を向ける。
「10代目に指名されてから今まで、色んな組織から命を狙われただろう?」
「あ、何度か……」
「“何度か”、ね」
 言葉を繰り返し、綱重は小さく息を吐いた。
「昔はもっと、ボンゴレの周囲や内部の情勢は荒れていたんだ。そんな状態で学校に行くのは難しいからね。周りに被害が出るかもしれないし、警護も大変だから」
「……そういえば、他の10代目候補ってみんな……」
 ゴクリと唾を呑み込む弟の様子に、綱重の唇が歪む。
「うん、彼らは僕が殺したからね」
「えっ!?」
 驚くツナと山本。獄寺は一層警戒を強め、兄弟の間に移動し、立ちはだかる。
「……冗談に決まってるだろ?」
 唯一表情を変えず、眉ひとつ動かさなかったリボーンを見ながら、綱重が笑う。そして言葉を失ったままのツナを尻目に、一人、屋上を囲うフェンスに歩を進めた。
 フェンスに指を掛け、眼下に広がる並盛の町並みを見渡す。故郷と呼ぶには、過ごした時間はあまりに短い。それでも、紛れもなくここ並盛は、綱重にとっての故郷だった。
「――……兄さん」
 ついにきたか、と綱重はフェンスに触れる指に力をいれる。
「オレ、兄さんに聞きたいことがあるんだ」
 決意のこもった声だった。振り返らなくとも、弟がどんな顔をしているのか、わかった。
 もう逃げる気はなかった。赤ん坊に叩かれたあの日から今日まで、色んなことを考えた末に今ここにいるのだから。
 綱重は空を見上げた。青い空に白い雲がよく映えている。
 いい天気だ。
 目を瞑り、深く息を吸う。澄みきった空気が心地よい。息を吐くのと同時に瞼を上げて、振り返る。
「食べながら、話そうか」


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