4

 机の上にビールの空き缶が転がっているのを見つけ、綱重は眉を顰めた。
 彼は今、リボーンの指示で並盛中の保健室に来ていた。そこには「先に行っている」と言っていた赤ん坊の姿はなく、この場所の主である――
「ああー? ったく、もう来やがったか」
 ――Dr.シャマルだけが居た。
「時間ちょうどだと思うが」
「俺はなあ! 男は診ねーんだよ!」
 天を仰ぎシャマルが叫ぶ。すっかり酔っ払っているようだ。眉間に寄せた皺はそのままに、綱重は溜め息を吐いた。
「知っている。だが門外顧問から、」
「おい」
 低い声が遮った。目を見張る綱重にシャマルは唸るように続けた。
「てめえの親父だろうが。そんな呼び方はやめろ」
 綱重はほんの少し沈黙し思案してから、改めて口を開く。
「これは“ボンゴレ”からの依頼で、貴方はそれを了承したとアルコバレーノに聞いているが」
「了承させられた、の間違いだ。あれは依頼でも何でもねえ、立派な脅迫だ、脅迫」
 今度はシャマルの口から溜め息が零れ落ちた。依頼――シャマル曰く脅迫――されたときのことを思い出したのか、それともけして父とは呼ばぬ自分に呆れてのものかは、綱重には判断がつかなかった。
「お前みたいな馬鹿は特に診たくねえっつうのに」
 心底嫌そうに呟きながら、それでもシャマルは綱重に座るよう促した。

 一通り、傷の具合を診ると、シャマルは立ち上がって薬棚に向かった。
「消毒して、ガーゼ張っつけて、包帯巻く。それぐらい自分で出来るよな?」
 出来ないとは言わせない、そんな声音だった。ドンッと目の前に消毒液を染み込ませた脱脂綿やガーゼ、包帯を突きつけられて、綱重は戸惑いつつも頷く。
「つまり、まだ抜糸は出来ないということか?」
「出来たらしてる。何回も診たくねえからな」
「……あとどれくらいで抜糸出来るんだ」
「知らねーよ。もう二週間だろ。普通ならとっくにしてるぞ」
 治りが遅いのも当然だった。つい数日前まで、綱重には傷を治す気はなかったのだ。罪を全て被り、命を絶つ気でいたから。
 返す言葉も見つからず、綱重は黙ったまま、差し出された脱脂綿をピンセットでつまみ上げた。
「……お前、鈍臭えな」
 そんな言葉をぶつけられたのは、肩に走る大きな裂傷にガーゼを張ろうと四苦八苦していたときのことだった。
 ピタリ、と綱重の動きが止まる。
 確かに、脱脂綿を何度も取り落としたし、ただガーゼを張るだけなのに何分もかかっている。もし今が生死に関わるような切迫した状況だったならば、超直感が働いてこんな風にもたつくことはなかっただろうが平時ではそうもいかなかった。言われなくとも、ちょうど己の不器用さを改めて思い知っていたところだ。
「仕方ないだろ。やったことないんだから」
 自覚していることでも他人に言われれば腹が立つ。ムッとして言い返せば、
「あー、はいはい、お坊ちゃんだもんなぁ」
 更にそんな言葉を返されて、拳を握る。持っていたガーゼがぐしゃりと潰れたがどうせ何度も張ったり剥がしたりした所為でぐちゃぐちゃだった。乱暴に、机の上に転がしておく。
「坊っちゃんなんかじゃ、」
 ない、とはっきり言い切れず、口ごもった。
 お前は甘やかされて育った人間だと揶揄する言葉が気に入らなかった。けれど、事実、10代目候補だったうちはほんの小さな怪我でさえ専任の医師が飛んできて診てくれていたのだ。ヴァリアーに籍をおいてからも医療班は居たし、彼らに見せるような大きな傷ではないと放っていたときには、いつの間にかスクアーロやルッスーリアが救急箱を持ってきてくれて。
 唇を噛み締める。さっきからろくに言い返すことの出来ない自分が悔しい。シャマルの言葉には刺があったが、どれも正しくて、それが余計に悔しかった。
「随分前に、マフィアランドを貸し切ったこともあるだろ?」
 突然問われ、きょとんとしてしまう。するとシャマルは目を吊り上げて声を荒らげた。
「あのサン・ロレンツォの夜を忘れたとは言わせねーぞっ」
「何を急に、」
「俺はなあ! 半年も前からあそこのホテルを予約してたんだ! 当日は朝から快晴で! これならばっちりロマンチックな夜になるってウキウキしてマフィアランド行きの船に乗ろうとしたら、どこぞのガキが島全部貸し切りやがったから船は出ねーとか言われて! 流れ星を見ながらイチャイチャする計画が台無しだ! ああ、俺のジュリアーナ……胸のでかいイイ女だったのに、あれから二度と電話に出てはくれなかった……。ガキはな、普通に日曜日にでも遊びに行きゃあいいだろうが! そもそも貸し切りにする必要があんのか!? え!?」
 畳み掛けられて、綱重はようやくシャマルの言う“サン・ロレンツォの夜”を思い出した。子供の頃、一年で一番流れ星が降ると言われている日に、ザンザスと二人マフィアランドへ遊びに行ったことがあったのだ。
「でも、僕が貸し切りにしてくれって言ったわけじゃないし……」
 海に行きたいとねだったら、9代目が勝手にそうしただけだ。相手のあまりの勢いに目を白黒させながらも答える。
「――勝手に、か」
 ぐしゃりと、シャマルは髪を掻きあげた。
「つまり何から何まで周りに世話してもらっといて、お前は何にも感じてないどころか、向こうが勝手にしたことだと思ってんだな?」
 鋭い眼光を真っ向から受け止めてしまい、綱重はびくりと肩を揺らした。さっきまでどうしようもない酔っ払いにしか見えなかったのが嘘のような迫力。トライデント・シャマル――殺し屋として有名なその異名が不意に頭に浮かぶほどだった。けれど、よく見れば、今のシャマルは殺し屋というよりも。
「命を捨てようが、手前の勝手だと思ってるんだろ」
「っ、僕は……」
 さっきよりも強く、拳を握った。
 言葉が刺々しかったのは、主義ではない男の診察をさせられたからだと思っていた。しかし、それだけではなかったのだ。シャマルが何に対して憤りを感じているのか、やっとわかった。
 深く息を吸い込む。そして真っ正面からシャマルの目を見つめ返し、言った。
「僕は命を軽んじているわけじゃない」
 シャマルの怒りは最もだと思う。医師として当然だ。でも。
「ただ、この命よりも大切だと思うものが“ここ”にあるんだ」
 俯き、握っていた拳を開くとその手で胸を押さえる。
 仕方がないじゃないか。八年間、いや、初めて会ったときからずっと、僕は彼のことを乞い続けて。比べれば己の命すら軽いと思えるほど、この想いは重くなりすぎた。
 ――ザンザス。
 心の中でその名を呟けば、それだけでぎゅううっと胸が締め付けられるような痛みを感じる。切なくて、苦しくて、気を抜けば涙が零れそうになるほどに。
「おい」
 シャマルが声を掛けてくるが、綱重は俯いたまま緩く首を横に振った。自分が酷く情けない顔をしていると解っていた。そんな顔、見られたくない。
 舌を打つ音が聞こえた。そしてぐいっと強く腕を引かれ綱重は思わず顔を上げてしまう。怪我をしているんだぞという文句は、傷口にガーゼが張られた驚きで飲み込んだ。
 シャマルは手際よく他の傷も消毒した。そして目を丸くしている綱重を尻目に、包帯を手に取る。
「……Dr.シャマル?」
「一発ぐらい殴ってやろうと思っていたんだが」
 包帯を綱重に巻き付けながら、シャマルは、小さく息を吐いた。
「恋する男が馬鹿なのは仕方ねえよな。お前ぐらいの歳なら余計に」
「っ!」
 目を丸くどころか限界にまで見開いて、綱重は絶句した。
「ま、俺に言わせりゃ馬鹿にならない恋愛なんて恋愛じゃねえっていうか、」
「ちょ、ちょっと!」
「ああ?」
「いや、いきなり、な、ななななにを……!」
「あー、安心しろ。てめーの親父は勿論誰にも言うつもりはねえよ」
「いや、何か、か、勘違いしてっ」
「んな真っ赤な顔して、勘違いも何もねーだろうが」
 呆れた声音で指摘され、綱重は慌てて頬を押さえた。触れたそこは、熱があるのではと思うほど熱かった。
「数年前、カワイコちゃんと一緒にパーティーに出てたのはあれはカムフラージュか? ん?」
 ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべながらシャマルが覗き込んでくる。綱重は今日一番の顰めっ面で答えた。
「別に、僕は男が好きな訳じゃない……っ」
「ほー。なら、奴が特別ってことか」
 カッカッと顔中が燃えているようで、家に帰り着くまでにこの熱は引いてくれるだろうかと心配になる。早くここから逃げ出したいと思う綱重だったが、至極ゆっくりな動きになったシャマルの手が包帯を巻き終えるには少なくともあと五分はかかりそうだった。


prev top next

[bookmark]
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -