2

 綱重が運んできたジュースとスナック菓子には、当たり前だが誰も手をつけようとはしなかった。ツナは、トレーに乗ったまま机の上に放置されているそれらを見つめた。兄の方は、見られなかった。
 一方、綱重は部屋の扉に背を預けた体勢で、床に座るツナたちを真っ直ぐに見下ろしていた。その表情と瞳からは何の感情も読み取れなかった。そして同じく、声からも。
「さっきの質問だけど」
 ツナが顔を上げた。兄弟の視線がようやく交じりあう。
「僕がここにいる理由は、“門外顧問”の命令だからだ。暫く日本で過ごすように言われてね」
「父さん、が?」
「ああ」
 思わず聞き返したのは、父のことを指す言葉のその冷たさに驚いたからだ。呆然とするツナの表情に気付いた山本が口を開く。
「ヴァリアーじゃないっていうのも親父さんの?」
「処分が確定したわけではないが、とりあえずもうヴァリアーに戻されることはないだろう」
 頷く綱重の言葉に被さるようにして、苛立ちを隠せぬ声で獄寺が言った。
「よりによって何で10代目の家に……っ!」
「ここは僕の家でもあるんだけどね」
 挑発するような声音だった。それが、ここに好きでいるわけじゃない、と言っているように聞こえて、ツナは唇を噛み締める。
 そのとき、それまで黙って会話を聞いていたリボーンが特有の高い声で割り入ってきた。
「ここなら俺が綱重のことを監視できるからな」
「……監、視……?」
 目を見開く弟に綱重は赤ん坊の端的な言葉を補うため言葉を紡いだ。ただしそれは、ツナが驚きを示した“監視”という単語に対してではなく。
「門外顧問チームCEDEFが暴れた所為で、ボンゴレ本部にかなりの被害が出たからね。その上、9代目と門外顧問は二人して大怪我しているし。人手が足りないんだよ」
「っ、他人事みたいに言ってんな! 全部てめーらの所為じゃねえか!」
「――全部?」
 ハッ、と馬鹿にしたように綱重が笑う。
「門外顧問を撃ったのは9代目に成りすましていた男だし、9代目を瀕死の状態に追い込んだのは綱吉だろう?」
 ビクリとツナの肩が揺れる。兄の言う通り、9代目に怪我を負わせたのは自分だった。あのときの衝撃は一生忘れられないだろう。力無く地に臥せた9代目の姿が脳裏に蘇る。
 皮肉げに唇を歪ませた兄に、ツナは何も言葉を返せない。それに代わり――例え何か言えたとしても彼に先を越されていただろう。それほどの勢いで――獄寺がまくし立てた。
「それはザンザスの野郎が9代目をモスカの中に詰め込んでたからだろうが! 10代目はそんなこと知らなかったんだ!」
「でもザンザスは殺してなかった」
「だからそれは10代目を陥れるために、」
「ザンザスは!」
 室内がしんと静まり返る。ツナたちもだが、誰よりも綱重自身が己が発した声の大きさに驚いていた。気まずそうに目を逸らしながら、それでも綱重は言葉を続けた。
「ザンザスは、9代目を殺さなかった。それが事実だ」
 ツナは拳を握った。
 先程母に向けられた笑顔と穏やかな声も、自分たちに向かう挑発的な言葉も、どれも不自然ではなかったし、そこに込められた感情の全てが嘘だとは思えない。けれど、今の声は、明らかに他とは違っていた。
 彼を弁護する力のこもった声が。
 彼の名前を口にした瞬間、揺らぐ瞳が。
 その、表情が。
 兄が初めて見せた、本物の感情のような気がして。
「どうして」
 ぽつりと言葉が零れる。「兄さんは、どうしてそこまで、」
 そのとき、綱重がぎくりとした様子で背後の扉を振り返った。そして一瞬で室内に向き直ると酷く慌てた様子でツナの横に座り込んだ。唖然とする三人を無視し、綱重が手を伸ばしたのは、ベッドの上に投げ出されていたツナの鞄だった。その中から素早くプリントの束と筆箱を取り出す。
「な、何して、」
「お前らも出せ」
「あ!?」
 いきなり何なんだと眉間に皺を寄せる獄寺に負けない剣幕で、綱重は凄んだ。
「早くしろ!」
 机の上に乱雑にプリントが投げ出され、全員がペンを握ったところで、ノックも無しに部屋の扉が開かれた。
「まあ。やっぱりお兄ちゃんに勉強見てもらってるのね」
 切り分けられたロールケーキと新たにひとつジュースの入ったコップを持った奈々が顔を出す。
「答えだけ教えたりしてないでしょうね? 昔から綱重はツナに甘いんだから」
「ちゃんと解き方だけ教えてるってば」
 奈々から受け取ったジュースに口をつけながら、綱重はプリントを隠すように机の上に腕を置いた。
「それならいいけど……ツナも、お兄ちゃんは怪我してるんだから、あまり無理させちゃだめよ」
「う、うん」
 戸惑いつつも頷いたツナは、ふと、隣に座る兄の顔を窺う。
「あの、そんなに酷い、の? 怪我……」
「いや、全然大したことないよ。母さんが大袈裟なんだ」
 心配してくれてありがとう、と綱重が微笑む。それを見てむくれたのは奈々だ。
「だって、何針も縫ったんでしょう。突然たくさんの犬に襲われるなんて、やっぱり外国は怖いわねー」
「犬?」
 聞き返したのはツナだけではなかった。山本と獄寺、三人の重なった声に綱重は頷く。
「うん。躾のなっていない野良犬たちに噛まれて、怪我をしたんだ」
「おいっ! 誰が野良い……っうわ!」
 兄が机の下から足を伸ばし、立ち上がりかけた獄寺の足を払ったのをツナは見逃さなかった。山本とリボーンにも見えたはずだ。一方、当の獄寺は、何が起こったのかすぐには理解できず床に仰向けに転がりながら目を白黒させている。
「あらあら、大丈夫?」
 息子が足を掛けた所為だとは気がつかなかったようで、奈々が暢気な声で言った。
 そして、そんな奈々の後ろから、突然、小さな影が飛び出してきた。
「がははは! アホ寺、転んでやんの〜」
「てめぇ……っ!」
 ようやく現状を認識した獄寺は勢いよく起き上がった。怒りに震える声は、綱重には勿論のこと、現れたと同時に自分を馬鹿にする子供にも向けられていた。しかし子供――ランボは、そんな獄寺を無視して、綱重へと駆け寄った。
「おい、綱重〜! さっきの続きはー!?」
「あ、ごめんごめん。忘れてた」
 小さな手にぐいぐいと袖を引っ張られ、綱重は少し困ったような笑みを浮かべた。それからハテナを浮かべている弟たちに向かって説明する。
「ツっ君たちが帰ってくるまで、一緒にトランプで遊んでたんだよ。イーピンちゃんとフゥ太くんも一緒に」
「そう、なんだ」
 綱重とランボたちは一度会ったことがあるはずだ。そのとき彼らは、ツナに銃を向ける綱重の姿を見た。けれどすっかり兄に懐いているランボの様子を見れば、上手く誤魔化したのだろうと推測できる。実際、綱重がランボに向ける笑顔はとても優しい。
「ツナたちなんか放っておいてランボさんと遊べ〜!」
「はいはい」
 ランボのもじゃもじゃの髪をポンポンと軽く叩き、綱重は立ち上がった。
「あっ……」
 まだ聞きたいことはたくさんある。でも何て言えば兄を引き留められるのか、咄嗟には思い付かない。そんなツナを察した綱重は、ランボを抱き上げながら言った。
「解らないところは家庭教師の先生に聞けばいいから。……ね?」
 ――もう僕から話すことはないから。
 ツナには、そんな拒絶の言葉に聞こえた。


prev top next

[bookmark]
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -