Home, Sweet Home

「こんなたくさんのプリントを明日までだなんて……絶対、無理だ〜」
 言葉と一緒に溜め息が口から零れる。抑えようとしても今は無理だ。どうしても、自分の不運を嘆かずにはいられなかった。
 あの争奪戦から、二週間が経とうとしていた。すっかり平和な日常に戻ったのはいいけれど、残念ながら、修行だ戦いだと学校を休みに休んだツケをオレはまだ払い終えていなかった。つまり、オレこと沢田綱吉は、現在宿題地獄に苦しめられていた。
「大丈夫ですよ、10代目! オレがついてます!」
 獄寺くんが体の前で拳を握りながら力強く言う。そのあまりの勢いにすぐには反応を返せないでいると横から山本の明るい声が割り込んできた。
「そうそう。三人寄れば、えーと、何とかって言うしな」
「“文殊の知恵”だ、この野球バカがっ。言っとくがオレはてめえには教えないからな」
「何だよ。ケチケチすんなって」
 相変わらずな二人に思わず頬が緩んだ。次々に迫る提出期限は辛いけれど、こうして平和な日常を過ごせることの幸せをかみしめる。本当に、すっかり元通りだ。全部何もかも。
 鞄を抱え直し、オレは笑った。
「とりあえずオレん家行こうか」
 獄寺くんと山本と連れ立って帰宅する。
「母さん。今日、みんなで勉強するからー!」
 玄関で二人が、お邪魔しますと家の中に声を掛けるのに続けて、オレも声を張り上げた。中からランボたちのはしゃぐ声が聞こえていたので、母さんが居るんだと思ったのだ。だから、
「母さんなら買い物に行ったよ」
 ――その声が誰か、すぐにはわからなかった。
 リビングに通じる扉から、ゆっくりとこちらに近づいてくる姿を視界に入れ、ようやく声の主を認識する。
「てめえ! 一体ここで何してやがる!」
 初めに獄寺くんが声を上げた。オレは呆然として、声を出すどころか指一本動かせないくらいに固まっていた。そんなオレに、兄さんは、ふっと微笑んで。
「おかえりなさい、ツっ君」
 無視すんじゃねえ!と獄寺くんが怒鳴る。更に、それ以上10代目に近寄るな!と言いながらオレを庇うように一歩前に出た。
「えっと……ツナの兄貴でヴァリアーの……」
 山本が確認するように言った。すると、それまでオレを真っ直ぐ見つめていた兄さんは、ようやく二人の存在に気がついたかのように視線を動かした。
「いいや、僕はもうヴァリアーじゃない」
 二人が息を呑んだのが分かった。オレは相変わらず動けずに、兄さんを見つめ続けた。兄さんはそんなオレたちの反応を楽しんでいるのか、笑みを深くする。
「ど、どういうこと……?」
 ようやく発することのできた声は掠れていて、聞き取り辛かったと思う。でも兄さんが首を傾げた理由は聞こえなかったからじゃなく、多分、そんなこともわからないのか、と言いたかったのだろう。ふ、と形のいい唇が漏らした吐息が、まるで呆れているかのように聞こえて、オレは拳を握った。
 オレは、何も知らなかった。戦いが終わったあとリボーンから聞けたのは、兄さんが10代目候補として教育を受けていたことと数年前にヴァリアーのボスになったということだけだ。何か理由があって教えてくれないわけではなくリボーンも兄さんについて詳しくは知らないそうだ。それが嘘か本当かはわからなかったが、とにかくオレは何も知らなかった。
 兄さんが、何故あんなことをしたのか。
 どうして、兄さんはあのとき。
「っ、おい!」
 獄寺くんの焦ったような声を無視して、兄さんはこちらに歩みを寄せた。そして握った拳に益々力を入れて体を強張らせるオレの横を、すっと通り抜けた。
 唖然とするオレたちを気にした様子もなく、サンダルを突っ掛けた兄さんは、玄関を開く。
「それ何日分買ってきたの?」
 ――母さん、と母を呼ぶ優しい声が外に向かって放たれた。
「だって綱重が帰ってきたんだもの! いっぱいいっぱいご馳走作らなきゃいけないでしょっ」
 塀の向こうから、はつらつとした声が答える。
 まったく、と呆れたように言いながら、でも兄さんは嬉しそうに笑った。そしていくつものスーパーの袋を手に提げた母さんの元に駆け寄った。
「ビアンキさんもお疲れさまです。やっぱり僕も一緒に行くべきでしたね。これは女性に持たせる量じゃない」
「いいのよ。怪我人に荷物持ちさせるわけにはいかないし、それにチビたちの面倒見てくれていた方が助かるわ」
「ふげー!! あ、アネキ……ッ!」
「あら、ハヤト。来ていたの」
 母さんの後ろから顔を出したビアンキの手にも、食料品がどっさり詰まっているらしい袋が提げられていた。それを受け取ろうとして断られた兄さんは、母さんの方にも手を伸ばすが、やはり荷物を持たせてはもらえなかった。
「それにしても、みんな玄関に揃ってどうしたの?」
「ツっ君たち、ちょうど今帰ってきたんだ。家で勉強するんだって」
 母さんの問いに答える声はすごく穏やかだった。不自然なところは少しもなくて。
「あらそうなの。――獄寺くん、山本くん。こちら綱吉の兄で綱重というのよ。外国に留学していたんだけど、向こうでちょっと怪我をして、一時帰宅してるの」
「“留学”?」
 山本がおうむ返しに聞き返した。母さんより早く兄さんが頷く。
「うん、そうなんだ。えーと、君が……」
「こっちが山本くんよ」
「そう。それじゃ、そっちで蹲っているのが獄寺くんだね。二人ともよろしく」
 兄さんは、まるで今日初めて二人に会ったかのように話す。嘘をついてる風には全然見えない。間違っているのはオレの方なんじゃないかと思うくらい本当に自然に。
「お前たち、早く家に上がったらどうだ」
「リボーンッ!」
 いつものごとく突然背後に現れた赤ん坊。その名前を呼ぶオレの声は、自分でも情けないと思うほど震えていた。とにかく今のこの状況を説明して欲しくて、まるで縋りつくかのように小さな体の前で膝をつく。でもそれにリボーンが応えてくれることはなく。
「そうだね、三人とも早く部屋に行きなよ」
 いつの間に側に来ていたのか。
 優しい声音。だけどどこか強制するような響きだと思った。
「あとでジュースとお菓子持っていってあげるからね。勉強、頑張って」
 兄さんは、俺の肩をポンと叩き、微笑んだ。


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