僕はひたすら愚かでいて

 シチリアの強い陽射しを浴び、男はそこにいた。晴天の下、その男だけが豪雨に見舞われたかのように濡れていた。彼が着る、色の変わったスーツを見つめ、綱重は唇を僅かに動かす。そして数秒の躊躇いのあとでようやく喉を震わせた。
「ランチア」
 気配を消しているつもりはなかった。とはいえ、普通にしていても気付かれない自信はある。相手が、この男のような手練れではなければの話だけれど。
「少し、いいか」
 やはり声をかける前からこちらに気がついていたのだろう。驚く様子もなくゆっくりと振り返ったランチアの髪から、水が一滴零れ落ちた。

×

 どこか店に入るにも、二人の姿はどうしても目立ってしまう。あまり騒ぎになりたくないというランチアの意を汲み、二人は海岸沿いの岩場で足を止めた。
「あれは僕を見張ってる奴らだから」
 背後にある大きな岩に寄りかかりながら綱重が言った。その言葉を聞いてランチアが僅かに体の力を抜く。自分か、綱重か、どちらを狙っている者たちかはっきりと判断出来ずにいたのだ。
「撒かなくていいのか」
「聞かれちゃ不味い話をするつもりはない。そっちだって、聞きたくもないだろう?」
 揶揄するような口調だったが、不思議と不快な気持ちにはならなかった。
「……怪我は?」
「お陰様でもうすっかり。特に誰かさんに傷を負わされた場所は、寧ろ前よりも丈夫になったくらいだ」
 そう言ってフワリと笑う顔には幼さが覗く。その表情を見る限り、あの少年――若きボンゴレ10代目と目の前の彼はそれほど年が離れていないのかもしれないとランチアは思った。
 数ヶ月前と随分雰囲気が変わった。きっとこれが本来の彼なのだ。あのときは状況が状況だったし、それに。
 初めて対峙したとき、彼には、ピンと張りつめた糸のような危うさがあった。それもいつ切れてしまっても構わないという覚悟が感じられ、いや、彼は、切れることを望んでいたのだろうと思う。
「――悪い。時間を取らせるつもりはないから」
 急に表情を固くした綱重に、ランチアは知らず知らず眉を顰めていた自分に気がつく。誤解をとこうと慌てて口を開くが、それよりも先に、悪かった、と目の前で頭が下げられた。
「あのとき僕は、あなたにとても酷いことを、」
「謝罪は必要ない」
 ぴしゃりと言い切った。ランチア自身、とても冷たい響きだとは思ったが、声が硬くなるのをどうしても止められなかった。
「お前の言ったことは全て事実だからな」
 綱重の顔が歪む。泣き出してしまいそうなのを必死で堪えているのか、今にも血が滲み出しそうなくらいきつく噛み締めている唇を見て、今のは流石に意地が悪かったとランチアは己の失言を悔いた。
「なあ、座らないか」
 努めて優しく誘えば、一瞬躊躇う様子をみせたものの綱重は側にあった手頃な岩の上に腰かけた。

 それで、と。仕切り直すためか穏やかな口調でランチアが言った。
「謝罪をするためだけにわざわざここに?」
 少し呆れている様子の声に、綱重は、彼の濡れそぼったスーツを見やりながら答えた。
「あなたも、そうだろう」
 ランチアは数度瞬きをし、それからふっと自嘲するような笑みを浮かべた。
 乾くまでまだ時間がかかりそうなスーツを見下ろす。酷い格好だ。でも、当然だ、とも思う。遺族の悲しみを思えば、こんなのは報いにすらなりはしない。
「――……謝罪をするのは、ただの自己満足じゃないのかと思うときもある。『もう思い出させないでくれ』などと言われたときは、特に」
 ランチア、と気遣わしげに呼ぶ声を制するように、幼い頃から裏社会で生きてきた証のような鋭い眼を光らせ、言葉を続ける。
「それでももう俺には一つしか道は残っていない。謝罪し続けること、それだけだ」
 強い決意の元、発せられた言葉を聞き、綱重は返す言葉を見つけられなかった。相槌を打つことさえ憚られる。唯一出来ることといえば真っ直ぐに目を見つめ返すことぐらいで、しかしそれも感じていた負い目が瞳の中によぎるのを止めることができなかった。
 そんな綱重に、ランチアは突然問いかけた。
「何に代えたとしても、大切にしたいものがあったのだろう?」
「え?」
「あのとき、お前には目的があった。そうだろう」
 戸惑いを隠せない様子で綱重はそれでも何とか頷いた。
「それを大切にしろ。何があっても手放すな。俺へ謝る必要なんかない、貫き通せばいい」
「……」
「その上で、どうしてもまだ俺に負い目を感じるというならば――ボンゴレ10代目の力になってやってくれないか」
 あいつは俺の恩人だからなと続ける男に、綱重は黙って頷いた。

×

「ランチア。今日は、ありがとう」
 その後、別れの言葉を続けようとして、しかし咄嗟に思い浮かぶ言葉はどれも相応しくないと思ったのか綱重は口ごもる。数秒の後にようやく、幸運を祈る、と振り絞るように言った。
「ああ」
 ランチアはそっと目を細めた。

 美しい海原が広がる海岸線、二人の男は、そうしてゆっくりとお互いに背を向けた。


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