蜜色慕情

「ベルちゃん、お味はどうかしら〜ん?」
「……甘すぎ」
 おえ、と舌を出しながら答えると、エプロン姿のオカマは不満そうに唇を尖らせた。オレはそれを無視してケーキに乗っていた苺を口に運ぶ。口直しのつもりだったがシロップ漬けのそれも酷く甘かった。
「つーかさ、どうしたの」
 もういらね、と皿を机の端に避けながら尋ねた。するとルッスーリアはきょとんとした顔で首を傾げる。王子の考えを汲み取れないなんて、まったく使えないオカマだ。
「きゃあ! 何すんのようっ」
 フォークを投げつけてやればわざとらしい高い声で悲鳴をあげる。更に苛ついたけど、いつものナイフを投げるのは我慢した。
 何故なら、不機嫌そのものの紅い瞳がこちらを見たから。
「……ボスだよボス。何してんの、あれ」
「……さ、さあ。珍しいわよね。いつもお部屋にいるボスが」
 コソコソと部屋の隅でオカマと二人、言葉を交わす。
 ここはヴァリアーのアジト内の、談話室――と呼んでもいいのだろうか。とりあえず暇な幹部が集まってはポーカーしたり、殺し合いしたりする場所だ――で、現在ここにいるのはオレとルッスーリアとボスの三人(他の奴らは仕事で外に出ている)。いつもは屋敷の一番奥の自室にいるボスがここにいること自体とても珍しいことなのだが、かれこれ一時間近くをここで過ごしているなんて珍しいを通り越して異常事態だ。
 けして楽しいわけではないだろう。眉間に刻まれた深い皺を見ればそれはよく分かる。
 では何が目的なのか。何をするでもなく、一人ソファーに沈み込んでいる姿からはまったく読み取れない。時折携帯を弄っているようだが、そうする度に何故かどんどんと不機嫌なオーラが増していくし。正直、勘弁してほしい。部屋に戻ろうかとも思ったが、それには機嫌最悪のボスの目の前を通らなくてはならなくて、結局こうして部屋の隅にいる。
 王子のオレが何でこんな目に。
 相手がボスじゃなきゃ絶対殺してる。
「おい、何のつもりか聞いてこいよ」
「無理よ、殺されちゃうわよ」
「ふざけんな。お前の空気の読めなさが役に立つ最初で最後の場面だぞ」
「ちょっとぉ! それどういう意味かしらっ?」
「ッ大声出すんじゃ……!」
 ねえよ、と言いかけたところでドンッという大きな音がした。
「あら、何かしら」
 ドンッドンッと音は何度も聞こえた。
「……壁の、中?」
 背後の壁にはさっきオカマが避けたフォークが突き刺さっていた。それが音がするたびにグラグラと揺れている。壁の向こう側から何かがぶつかっているような、そんな感じだ。でも壁の向こうは何もないはず。
 不思議に思いながら壁に近寄る。一応、ナイフを手にしながら。だがそれよりも先に壁に近付く影があった。
「ボス?」
 思わずオカマと顔を見合わせる。
 ボスは眉間に皺を寄せた不機嫌な顔のまま、その長い足で壁を蹴りあげた。フォークが小さな音を立てて床に落ちる。そして静かになった壁に向かってボスは口を開いた。
「右上を三回押してからノブを回せ」
 数秒の後、ガコンッと何かが外れる音がしたかと思うと、壁の一部分が盛り上がり、まるで扉みたいに開いた。
 壁の向こうから姿を現したのは。
「……綱重?」
「あらまあ! 大丈夫? 埃だらけじゃないの」
 まるでシンデレラね、そんなことを言いながらオカマが駆け寄る。更にどこから出したのか小さなタオルで顔を拭いてやろうとしていたが、綱重は苦笑いでそれを断った。
「隠し通路か?」
 綱重が後ろ手で壁を元に戻せば、そこにはもう繋ぎ目も何も見当たらない。このオレが今日まで気がつかなかったのも納得な、完璧な仕掛けだ。それでも今まで開いていたそこを確かめるように指で辿りながら尋ねれば、薄汚れてしまった金色の髪を揺らして綱重が笑った。
「ああ、ボンゴレの本部と繋がってるんだ。こっちからは通れないけど、渋滞がない分、車よりも早く着けるから便利だぞ」
 地下だから涼しいし、と綱重は言うけれど、そんな埃まみれになるくらいなら渋滞の方がいい。呆れながら、よく見れば埃どころか蜘蛛の巣まで肩にくっ付けている綱重を見やる。
 そのとき、オレはふと気が付いた。もしかしてボスは綱重と連絡をとろうとしていたのだろうか、と。地下だから携帯が通じなかった?――その考えを肯定するかのように、ボスが普段よりも低い声を出した。
「車よりも早く着いてこれか」
「痛い痛い!」
 頬を引っ張られ、涙目になった綱重が、仕方ないだろ、と不満げに答えた。
「迷っちゃったんだから」
「迷った?」
 あ、またボスの機嫌が下降した。
「だってなんか道がいっぱい増えてるんだもん! まったく、あんなのいつの間に。全然知らなかったから参ったよ。まず最初の階段を降りてすぐ、分かれ道になってて」
「分かれ道?」
「うん」
「……昔からそうだろう」
「えー!? 一本道だったじゃん!」
 あの争奪戦までは一度も聞いたことがなかった、子供っぽい口調で綱重が言う。初めて聞いたときにはかなり驚いたが、どうやらこっちが本来の綱重のようで最近ではよく聞く声だ。
「痛い痛い! 頭もげる!」
「中身は空のようだからな。もげても困らないだろう」
 大きな手が埃まみれの頭を強く掴みながら、グラグラと前後左右に揺さぶる。
「もう! やめろよ!」
 ボスの手を振り払い、綱重が叫んだ。それを見るボスの目は冷ややかだったが綱重に怯んだ様子はない。
「絶対一本道だったし!」
「違う」
「他に道なんかなかった!」
「違う」
「だってそんな記憶っ、……あ」
 突然綱重が言葉を失った。ぽかんと口を開けた阿呆面としか言い様のない表情で、そのまま暫く固まる。
 何だ、とボスが促せば呆然とした様子で口を開く。
「僕、他に道があるなんて気がつかなかった、のかな? 全然……見えてなかった……のかも?」
 ぶつぶつと言ったかと思うと次の瞬間には同意を求めるかのように、ボスを見上げた。
「だってさ、ここ通るとき、いつも二人だっただろ?」
「一人で通るのは恐いって泣き出す馬鹿の所為で仕方なくな」
 綱重の顔が瞬く間に真っ赤に染まっていく。
 おいおい、マジかよ。泣くとかありえねー。思うが、ぐっと引き結ばれた唇がそれが事実だと知らせてくれる。まあ、すっごい小さい時の話なんだろうけど。いやそれでも引くかな。
「つーか、そんな昔からここに来てたのか?」
「……一時期、な」
 綱重が困ったような、ともすれば泣きそうな、そんな何とも言えない表情で答えるものだから、ついでに、ボスとそんな昔からの付き合いなのかと聞こうとしていたことも忘れて口を噤んでしまう。その間にボスがそれで?と先を促して、綱重は気を取り直した様子で続けた。
「ほら、いつもザンザスが先を歩いてただろ。だから扉の開け方もわからなかったし」
「それが何だ」
 ボスがまた促すと、綱重は笑った。どこか得意気な顔で。
「だから、僕は、ずっとザンザスの背中しか見てなかったから。周りの様子を覚えてなくて当然だろ」
 特に恥ずかしがる様子もなくそう言いきって、また笑った。流石は、ボスにボンゴレを継がせるためだけに10代目になろうとした男。筋金入りだな。
 ぶっちゃけ、見てるこっちはドン引きだ。
 オカマもオレと同じ気持ちだろうな、そう思って隣を見るが……、オカマは、微笑ましいものでも見るかのように温かい眼差しを綱重へ向けていた。うわあ。
「痛ッ!」
「くだらねーこと言ってねえでさっさと風呂に行け! いつまで埃を被ってるつもりだ!」
「何で叩くんだよー!」
「るせえっ」
 叩かれた額を押さえつつ、自室へと向かうつもりなのだろうボスの後に続く綱重。まるで親鳥を追いかける雛みたいだ。二人でここに来ていたという当時から、こんな風だったのだろうか。だとしたら当時のヴァリアー隊員もオレみたいに相当げんなりしていたに違いない。
 別に煩くないだろ、いや煩いなどと言い争う声が遠ざかっていく。
 ――風呂って、やっぱり一緒に入んのかな。
 ついそんなことを考えてしまい、自分の考えに撃沈する。フラフラしながら最初に座っていた椅子に戻り、ケーキを手繰り寄せた。
「無理して食べなくていいわよ?」
「……今なら食える気がすんだよ」
 あの二人に比べたらこんなケーキなんて!


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一時期=剣帝の弟子時代、です。
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