XX

 カーテンの隙間から差し込んでくる太陽の光に、ザンザスはゆっくりと瞼を上げた。まだ辺りは薄暗い。昇り始めた朝陽は柔らかく、そしてひんやりとした朝の匂いを感じる。それらを認知したザンザスは隣に手を伸ばし、しかしそこにあるべき温もりを見つけることができずに眉を顰めた。
「――おはよう」
 掛けられた声の方向へ、顔を向ける。
「起こさないようにしてたんだけど」
 シャツのボタンを留めながら、青年はそう言って少し唇を尖らせた。そうすると少年と間違えてしまいそうになるほど、随分幼く見える顔立ちをしている。だがその姿態には一分の隙もなかった。見る者が見れば、すぐに彼が裏社会の人間だと解るだろう。
「まだ早いから寝てなよ。ほら、おやすみのキス」
 チュ、と触れた唇はすぐに離れていく。
 けれどザンザスは腕を伸ばし、離れていく青年の体を捕まえた。
「おいっ」
 ベッドの上に引き寄せられて、ジタバタと暴れる体をザンザスはがっちりと抱き留める。力で敵うはずがないと解っているのだろう、青年はすぐに抵抗をやめ、けれど困ったように眉を下げる。
「まだ早いんだろうが」
「僕はもう出ないとだめなの。この格好が見えない?」
 怒っているような口調だったが、表情には寧ろ笑みが浮かんでいた。
 困ったような呆れたようなそれだが、確かに柔らかい微笑みを浮かべる頬をザンザスの手が優しく包む。
「綱重」
 耳元で名前を呼んでやれば、一瞬で頬と耳が朱に染まる。ザンザスはそのまま耳朶に唇を寄せるが、その動きを察知していた綱重の手が先に耳を押さえてしまった。
「やめろってば、もうっ。一番新入りが遅刻なんて許されないだろ。折角、最近は外での仕事を任されるようになってきたのに、またお茶汲み係りに戻されるよ」
 赤く染まった顔の所為で今度こそ怒っているように見えるが、すでに緩めている腕の中から逃げる気配はない。
 だが、ザンザスにはそれを揶揄する余裕はなかった。僅かに見開かれた紅い瞳に、綱重は小首を傾げてみせる。
「あれ、もしかして言ってなかったっけ」
「聞いてねぇ。……そもそもベラベラ喋っていいのか」
 現在綱重が所属している門外顧問チームは主に諜報活動を仕事としている。そうでなくともこの世界では情報の持つ意味は大きい。何の任務についているかなどと軽々しく口にしていいことではないのだ。
 だが綱重は、お前以外には言わないもの、と本当に解っているのかと問いたいぐらい浅薄な様子で答えた。
「ね、それにしても外に出すの早いよな」
「ああ」
「思わず『え、いいの』とか聞いちゃったもん。監視も最近は時々いるだけの感じだし――まあそのお陰でこうしていられるんだけど」
 にへらと頬を緩めて笑ってみせ、しかしすぐに引き締めた顔で続ける。
「父さんたち甘すぎるよな。僕、このままいけば次期門外顧問に決まりかも」
「馬鹿か」
「やっぱ無理かな」
「……調子に乗ってると足をすくわれるって言ってんだよ」
「痛っ!」
 思いきり額を弾かれ、実際悲鳴もあげたというのに、綱重はザンザスへ、心底嬉しそうな笑みを向ける。
「心配してんだ?」
「るせぇ」
 堪えきれない含み笑いを隠すように、ザンザスの胸に顔を押しつける。
「ありがと」
 トクン、トクン。
 優しく耳を打つ鼓動の音に、目を細めながら、綱重は言った。

 トクン、トクン。

 それにしても規則的なこの音は、どうしてこんなにも人を安心させるのだろう――瞼を下ろし、綱重はぼんやりと考える。洗って乾かしたばかりの自身の髪を、弄ぶ指の感触にフッと笑みが零れた。

 トクン、トクン。

 ああ、このままだと眠ってしまいそうだ。そう思い、ゆるゆると口を開く。
「……ザンザス、長生きしろよ」
「あ?」
「僕も長生きする。父さんよりも、弟よりも」
 突然何を言い出すのかと眉を寄せているザンザスを気にした様子もなく――目を瞑っているので気がついていないのだろう――綱重は言葉の続きを紡ぐ。
「で、門外顧問になって、それで、お前をボスに指名する」
 その言葉にザンザスがそっと目を細めたことにも、未だ目を瞑り鼓動の音に聞き入っている綱重は、気がつかなかった。
「……、……ジジイになるまで我慢してろってのか」
 綱重がようやく顔をあげる。
「弟の方はともかくテメーの親父は殺しても死ななそうだからな」
 続けられた不穏な言葉に、綱重は眉を顰めることもなく小さく吹き出した。
「確かに。争奪戦のときが父さんを仕留める最後のチャンスだったかも」
 更にザンザスに劣らず不穏なことを笑い混じりに口にした綱重は、次に、良いことを思いついたと言わんばかりに顔を輝かせた。
「僕とお前の仲をバラせばいいよ。きっと卒倒するだろうから、そこを狙って……」
 手で銃の形を作り、それをザンザスの胸に当て、
「バーンッ」
 言って、イタズラっぽく瞳を輝かせる顔は、本当に子供のようだった。だが、いつの間にか綱重の臀部へと伸びていたザンザスの手を捕まえる動きは、本当の子供には出来ないだろう。
 不満そうなザンザスを宥めるかのように、綱重はギュッと目の前の逞しい体躯に抱きついた。
「――でもまあ、それはまたいつかにしような。今はまだ、さ」

 二人でゆっくり歩いていくのもいいんじゃない、と綱重は軽やかに笑った。




 ほら、ちょうどこの鼓動の音と同じくらいの速さで、ね。

fine.


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