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 形だけの抵抗に、見えたかもしれない。僕は本気でザンザスに会いたくないと思っていたのに、どうしても体が上手く動かなかった。車椅子に乗せられてからは抵抗は言葉だけになって、尚更、僕が本気で嫌がっているとは見えなかっただろう。逃げたい気持ちだけは確かに膨らんでいっているのに。
 会いたいわけじゃないんだ。だって、どんな顔をしていいか、何を話せばいいか、わからない。
 目的地に近づいているのがわかる。車椅子を押すターメリックは、何も喋らない。それが余計に僕を焦らせた。いつの間にか言葉ですら、抵抗するのはやめていた。
 どうしよう。どうしたら。役立たずの頭はそんな言葉を繰り返すばかりで何も考えようとはしない。
 どんな顔で。
 何を話せば。
(――どうして、自分がやったなんて言ったんだ)
 僕みたいな出来損ないに庇われるなんて、お前のプライドが許さないのはわかる。けれど、今はそれを甘受するしかないと解らないお前じゃないはず。
 それでも、どうしても、嫌だったのだろうか。邪な自分の想いを自覚しているだけに、それも有り得なくないと思う。気持ち悪いと感じるのが自然だ。でもそれならば何故。
(僕に会って、どうする)
 何のつもりで僕を呼んだんだ。
 どうして僕に会いたいだなんて言うんだ。
 ザンザス。
 ――お前はいま、何を考えている?

「坊っちゃん、着きましたよ」
 声に顔を上げると、僕らを待っていたのだろう、先程まで一緒にいた女性――オレガノという呼び名だったか――が立っていた。彼女の右手側には扉がある。
 すぐにわかった。
 その扉の向こうにザンザスがいるのだと。
 ザンザスは今、傷ついた体を苦しげにベッドに沈ませているのだろうか。それとも辛そうに顔を歪めながらも無理に体を起こしているのか。考えるが、どちらもあまり想像がつかない。だって仕方ないだろう。ザンザスが弱っているところなど、僕は見たことがないからだ。
 ザンザスはいつだって凛々しく、ボンゴレ10代目の名に相応しい威厳を纏っていた。誰にも媚びることなく、誰の下につくこともなく、自分が昇るべき高みだけを見つめて。ザンザスが睥睨するだけで、周りの人間は彼を恐れ崇めて従ったほどだ。
 だから先日の、地面に倒れ伏した姿などはあまりに現実味がなかった。今だって信じられないくらいだ。ザンザスが、負けるなんて。でも全ては事実だ。僕は確かに見た。
 輝きを失った紅い瞳を、その代わりに彼を真っ赤に染めた血液を――瞬間、体が震え出す。すぐに抑え込んだが、目の前に立つ彼女には誤魔化しようがなかったらしい。
「ターメリック、やはり……」
「大丈夫だ」
 気づけば、オレガノの言葉を遮ってそう言っていた。眼鏡の奥の瞳が驚いたように見開かれる。そこに映る僕の顔は、情けなく青ざめていた。
 会いたくなったわけじゃない。でも。
「――会うよ、ザンザスに」
 無事をこの目で確認したい……そう騒ぎ立てる心から顔を背け、仕方がないからだと僕は何度も自分に繰り返した。
「それでは、坊っちゃん、これを」
 松葉杖を差し出しながらターメリックが続けた言葉は、とても意外なものだった。
「カメラや盗聴機の類いは全て外してあります」
 僕はゆっくりと車椅子から立ち上がり、口角をあげる。
「代わりに、鏡越しに見ているって?」
「いいえ、室内の様子を窺う仕掛けは一切ありません」
 そんなこと信じられるわけがないと鼻で笑うが、ターメリックの真剣な視線に制される。
「嘘を言っているかどうか、あなたなら判るでしょう?」
 何かありましたらこれを押してください、すぐに駆けつけます。そう言ってターメリックは、手のひらに収まる小さな機械を手渡してきた。ボタンが一つついたそれと、ターメリックの顔とを交互に見つめ、僕は松葉杖を持つ手に力をこめた。

×

 ノックをして扉を開ける。すぐに室内に足を踏み入れることが出来なかったのは、心の準備が出来ていなかったからでも慣れない松葉杖の所為でもなかった。
 ――射抜くような鋭い視線。ザンザスの顔には包帯が巻かれていたが、その表情はけして苦しげでも辛そうでもなかった。ベッドに横たわってはいるものの、それでもその姿態はいつもの威厳に溢れている。全てを統べる視線を向けられ、足どころか呼吸が止まる。だが、その場で硬直し続けることも視線は許さない。促す視線に、僕は、ゆっくりと足を進めた。
 ベッドサイドに置かれた椅子に腰掛ける。視線が僕をずっと追い続けていることに気づいていたが、そちらに視線を返すことは出来なかった。
 暫く沈黙が続いた。ザンザスは鋭い視線を向けたまま、喋らなかった。僕も喋らない、いや、喋れなかった。
 重い沈黙と視線の所為で、次第に、僕は本当にここに居ていいのだろうかと不安になってくる。僕を連れてこいと酷い暴れようだったというのは、嘘なのか。
「あの」
「おい」
 堪えきれず出した声が、まさか重なるなんて。
「……何だ」
 そう聞かれても、ただ沈黙を何とかしたかっただけで、話したいことがあったわけじゃなかった。
「え、と、具合は……どう?」
 スッと細められた眼が、僕が言葉を誤ったことを知らせていた。


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