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 少々緊張した面持ちの彼女は、前を行く同僚に倣い、一礼をしてから扉を潜った。
 その部屋、いや、病室では、一人の青年がベッドに横たわっていた。彼女たちが室内に足を踏み入れても、眠っているのかと思うほど何の反応もない。だがその瞳はしっかりと見開かれ、真っ直ぐに天井を見つめている。何をしているのか――眉を顰めかけ、しかし彼女は気がついた。彼が何かをしたくとも出来ないのだということに。
 青年は、拘束衣を着せられ、口に枷を填められていた。異様な様相に、バインダーを持つ彼女の手に力がこもる。それらが、彼の自由を奪うためのものではなく、彼の命を守るためのものであることが辛かった。
(親方様……)
 絶対安静であるにも関わらず病室から飛び出した上司の顔が浮かぶ。青年――上司の息子である綱重が自殺を図ったとの報告を受けた瞬間のことだった。数人がかりで必死にベッドに押し戻したが、やむを得ず鎮静剤を投与しなくてはならなかった。
(あんなにも思われているのに何故)
 青年への非難めいた思いが胸を過る。だが、
(自分は、それを調べに来たんじゃないか)
 すぐに顔をあげた。すると、前にあるはずの背中はいつの間にかベッドサイドに移動していて、彼女は慌てて同僚の後ろに続く。同時に、ボイスレコーダーのスイッチを入れた。
「気分はどうですか」
 彼女の同僚である男が、その逞しい体躯からは想像もつかないほど繊細な手つきで口枷を外してやりながら青年に尋ねた。
 綱重は、首を動かしてようやくこちらに視線を向けた。尊敬する上司のそれとよく似ている琥珀色の瞳に見つめられ、彼女の肩が僅かに跳ねる。
「――彼女と会うのは初めてでしたね。オレガノといいます。普段は親方様の秘書を、」
「ターメリック」
 掠れた声に言葉を遮られても、オレガノの同僚、ターメリックは、眉一つ動かさなかった。それどころか名前を呼ばれただけだというのに小さく頷いて、サイドテーブルに置かれた水差しを手に取った。
「ゆっくりですよ」
 白い喉が言われた通り緩やかに上下する。

「……それで? これはいつ外してくれるんだ」
 水を口にして人心地がついたらしく、幾らか柔らかくなった表情で、綱重が不自由な体を動かした。ターメリックは目を細めながらそれに答える。
「あなたがもう馬鹿な真似をしないというならば、今すぐにでも」
 きゅ、と寄せられた眉が答えだった。
「では、このまま質問を」
「何も話すことはない」
「っ、どうしても話さないときには、自白剤の使用も許可されています」
「オレガノ」
 咎めるような声を出し、ターメリックが首を横に振る。
「なんだ、使えば良いじゃないか」
「効果がないものを使う理由はありません」
 幼い頃からこの世界にいて、それも内外から命を狙われていた綱重が、尋問に対する訓練を受けていないはずがない。敵に捕まってもけしてファミリーの情報を洩らすことのないように、例え薬を打たれても何も喋らないように。それはファミリーを守るためだけではなく、綱重自身をも守るのに必要なことであったので、特に厳しく教え込まれたはずである。
「それに、我々にそんな気がないのは、解っているでしょう」
 自白剤は脳の働きを抑制し判断力を失わせて、口を軽くするための薬だ。例え少量でも、後遺症が残る可能性はゼロではない。それ故、使用の許可は実際に使うというよりも脅しの意味合いが強かった。それが解らないほど綱重は愚かではないし、オレガノの様子からそれがただの脅しで実際に使う気はないと解るはずだ。見透かす力、超直感を使って。
「薬の量を増やせば喋るかもしれないぞ?」
 まるで他人事のように、事もなげに言い放たれた言葉に、ターメリックの眉間に皺が寄る。わざと挑発しているのだとわかっていても、憤りは隠せなかった。上司の息子であり、そして元10代目候補の綱重とは多少なりと付き合いのあったターメリックである。更に、どれだけあの上司が家族を大切に思っているかも彼は知っている。日本にいる次男を後継者に指名してから、一切の連絡を絶った綱重をどれだけ心配していたか。それを思うと、こんな風に命を顧みない言動は許せなかった。
 視線から怒りの感情を読み取っているはずなのに、綱重はくいっと口端を上げてみせる。
「どうせ処刑するんだろ。お喋りはもう必要ないと思わないか」
「まだ処分は決まっていません」
「9代目をあんな目に合わせた人間を生かしておくというのか? いつからボンゴレはボスへの敬意を失ってしまったんだ?」
 ハッと馬鹿にしたように笑う綱重に、ターメリックは圧し殺した感情を吐き出すかの如く溜め息をついた。そして強く拳を握りながら、ゆっくりと口を開いた。


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