39

『ザンザスは負けたんだ』
 わからない。何を言われているのか、わからない。
 そんな綱重の思考が解っているかのように、赤ん坊の高い声が、それに似つかわしくない落ち着いた調子で繰り返す。言葉を変えて、何度も、何度も。
『お前たちの負けだ、綱重』
 嘘だ!
 声には出なかったが、綱重は確かに叫んでいた。心の中で、何度も、何度も。
 嘘だ!嘘に決まってる!そんな嘘をつくな!そんなことは、絶対に有り得ない。ザンザスが負けるなんて、そんなこと、だって、ザンザスは、だって。
 だが、リボーンの言葉を肯定する言葉が、聞き慣れた声で綱重に向かって放たれた。
「なんかさ、ボンゴレの血が流れてねえとダメなんだってさ」
「ボスは、リングに拒絶されたんだよ」
 血。リング。拒絶。
 幾つかの単語が上手く動かない頭に入ってくる。
 緩慢な動きでそちらを向けば、すでに白旗をあげている仲間の姿が目に映る。
「……テメー、も……」
 声にハッとして、綱重は視線を落とした。
「知って、たん、だろ……」
「っ、」
 震える唇が浅く開くが、そのまま何も発せられることなく閉じられた。 いつもの力強い輝きを失った虚ろな紅い瞳に、今にも泣き出しそうに歪んだ綱重の顔が映る。

 違う。知らなかった。そう告げたとして、何になる?
 何にも、ならない。なるわけがない。
 何も、できなかった。力に、なれなかった。こんな風にお前が傷つくのを止められなかった。八年前も、今も。僕は、何もできなかった――。
 心から信じていたものを心から信じていた人に取り上げられる痛みを、綱重はよく知っていた。信じていたなんてこちらの勝手な思い込みだと言われればそうかもしれない。けれど、それは自分という存在を支えるのにどうしても必要な物だった。
 あのとき、師に見捨てられ、崩れ落ちかけた綱重を引っ張りあげてくれたのは、ザンザスだ。
 ザンザスなんだ。誘拐された自分を救ってくれたのは。一人では眠れぬ自分の傍にいてくれたのは。出来損ないのこんな自分でも、将来、側においてやってもいいと言ってくれたのは。ザンザスだ、全部。
 ザンザスにとっては単なる気まぐれだったに違いない。9代目や門外顧問に頼まれたからかもしれない。僕なんかの為にしたわけじゃない。そんなこと解っている。それでも、それに一人の人間が救われたことは紛れもない事実だ。
 いっぱい色んなものをお前にもらった。それにどうやったら報いることができるんだろう。少しでも何かを返したいと思う、この気持ちはどうすればいいんだろう。
 結局何もできないのか。僕にはもう、何も。

 ザンザスのシャツを掴み、綱重はそこに顔を埋めた。ついに溢れ出した涙は誰にも見えなかったが、震える肩を見れば一目瞭然だった。いたたまれない思いが全員の胸を過った。誰からともなく、皆が、二人から目を逸らす。
「――それでは、改めて宣言致します。ザンザス様の失格により、ボンゴレ次期後継し、っ……」
 言葉の途中でグラリと崩れ落ちるチェルベッロ。その腹部は、真っ赤に染まっていた。
「なっ!?」
 唖然とする一同のなか、ザンザスだけが綱重の行いに気がついていた。
「……てめ、え……何を、」
 刃を射出し、柄だけとなった短刀がザンザスの鳩尾に沈む。
 小さな呻きと共に再び意識をなくした体に、柔らかな笑みが向けられる。
「――……そうだよ。僕は、全部知ってた、最初から」
 浮かべた笑みと同じく、慈愛に満ちた優しい声音で綱重は言った。

(これ以上、誰にもお前を傷つけさせない)


prev top next

[bookmark]
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -