36

「綱重様。総員、襲撃の準備が整いました」
「――ああ」
 小さく頷いて、綱重は椅子から立ち上がった。
「無線の調子はどうだ」
「問題ありません。今のところ、気付かれた様子も特に見受けられません」
 廊下を進む二人の足音は静かだ。まるで影のようにひっそりと綱重の後を歩く男が、小型の無線機を差し出す。それを綱重が耳につけ終えたところで、二人はちょうど目的地に辿り着いた。
 屋敷の玄関ホールには、総勢五十名の精鋭たちが整列していた。
 綱重は彼らの前までくると、ゆっくりと口を開く。
「ザンザス様からも指示があった通り、今回の任務は向こう側の関係者全員を消すことだ」
 そして彼らの指揮をとるのが、綱重に与えられた任務だった。
 昼間、二日ぶりに真っ正面から見ることができた紅い瞳を思い出す。簡潔に、好きに動かせ、とザンザスはそれだけを綱重に告げた。戸惑いがなかったわけではない。だが、拒否することはおろか、質問すら許されなかった。ザンザスはそれきりまた、この二日間と同じように、綱重のことを見ようともしなくなったのだ。傍にいることを咎められるわけじゃない。でも、まるで存在しないかのように扱われる。
 確かに、見てくれ、とは言わなかったけれど。そんなこと、ねだるつもりもないけれど。
 ――解っているのに、胸が痛む。

「……門外顧問が選出した守護者はもちろん、中にはあのアルコバレーノも含まれる。全員、心して掛かってほしい」
 凛とした声が言い、ピリッとした緊張感が隊員たちの間に走る。
「これからそれぞれ指示したルートで、目標から約二百メートル地点まで進んでもらう。そして突入を僕が指示するまでその場で待機だ。いいな」
 ぐるりと隊員たちの顔を見回して、綱重は、力強く頷いた。
「向かうぞ」

×

 隊員たちはいくつかの班にわかれ、並盛中学を囲むように配置された各地点で身を潜めていた。
 ちょうど正門から真っ直ぐ進んだ場所にある茂みの中に、綱重はいた。後ろには五人ほどのヴァリアー隊員が綱重と同じように身を屈めて、じっとしている。
「……」
 目を瞑り、無線機から聞こえてくる音に集中する綱重の顔は至極真剣だ。戦いの様子はここからでは窺い知ることができない。幻術で隠されていることもあるが、視認するには距離が遠すぎた。もう少し近づきたいが、周囲はチェルベッロ機関の者と9代目の部下がいる。彼らに、まだ戦いが行われている中で見つかるわけにはいかなかった。
 故に、無線機から流れる音だけが戦況を知る唯一の頼りだった。しかしそれも先程から雑音が酷く、聞き取り辛い。
『――I地点。異常ありません』
「了解。変わらず待機」
『了解しました』
 隊員からの五分毎の定時連絡には何も異常はない。つまり、雑音が混じっているのは向こう側の問題だ。
 ――送信機は、ザンザスが身に付けているはずである。
「綱重様、何かありましたか?」
 ぎゅ、と拳を握る綱重に気づいたらしく、隊員が躊躇いがちに声をかけてきた。隊員たちも無線機をつけているが、それは彼らの間で通信を行えるだけで、酷い雑音は綱重だけが確認している。
「いや、問題はな、」
 言葉の途中で、綱重はバッと無線機を取り外した。
「どうしました!」
「っ……」
 左手を耳、右手は心臓を押さえる。
 雑音すら掻き消すような激しい衝撃音。そして微かに聞こえた声。今まで聞いたことのない、しかし聞き間違えるはずがない、ザンザスの声。
 震える手で無線機を拾い上げる。

 雑音が、耳を打つ。


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