33

 ――スクアーロが負けた。
 予想もしていなかった敗北に、僕は動揺せずにはいられなかった。拠点にしている屋敷に向かいながら、こちらの有利は変わらない、明晩はマーモンが出る、そのことだけを繰り返し自分に言い聞かせていた。


 屋敷に帰りついてすぐ、ザンザスが声をかけてきた。
「来い」
 ただ一言、そう言われて、普通すぐに反応できるだろうか?
 しかし僕には一瞬の躊躇すら許されないらしく、次の瞬間にはグイ、と乱暴に髪を引っ張られていた。
「もたもたすんな」
 髪を掴まれたまま屋敷の一番奥、ザンザスの使用している部屋へと連れていかれる。当たり前だが誰も止めはしない。マーモンは知らん顔だし、ベルは薄ら笑いを浮かべ、レヴィに至っては嫉妬に満ちた視線で見送ってくれた。
 部屋に入ると同時に、僕は壁へと叩きつけられた。先程蹴られた場所が痛んで顔を顰める。痛みを堪えて自然と俯く姿勢になるが、すぐにまた髪を掴まれて顔を上げさせられた。
「跳ね馬と何を話した?」
 覗き込んでくる紅い瞳を見つめ返し、僕は少しだけ驚いていた。きっと、まずはあの場に行ったことを責められると思っていたからだ。だが、確かに、向こう側についているらしいキャバッローネと一緒に居たとなれば、そちらの方が重要かもしれない。
「……何も。何も話さない。話すわけがないだろ。まあディーノは勝手に喋ってたけど、」
「『ディーノ』」
「え、」
「親しいのか」
 ザンザスが急に顔を近づけてくるものだから、音が聞こえなかったか心配になりそうなほど、僕の心臓が大きく跳ねた。
 顔は、赤くなっていないだろうか?
 目を逸らしたかったけれど、紅い瞳はまるで磁石のように僕を引き付けて離さなかった。
「――キャバッローネだぞ。同盟ファミリーの中じゃ今や一、二を争う規模だ」
「んなことを聞いてるんじゃねえ」
 ザンザスは苛立った様子で僕の首を掴み、押さえつけた。
「ッ、全然、親しくなんか……時々、パーティーで、会うぐらい……っ」
 ザンザスが居なくなってからというものの、僕は進んでマフィアの集まる場に顔を出すようにしていた。10代目になるにはボンゴレ内部からの支持が必要なのは勿論だが、もしも有力な同盟ファミリーからも支持を得られたならばこれ以上ない後ろ楯になるからだ。だからディーノにも僕から声をかけた。良い関係を築けていたと思う。ただしそれは単に同盟ファミリーのボスとボス候補として、だ。弟が10代目に指名されてからは一度も会っていない。
「それだけで何故あんな知ったような口を聞く?」
「な、に……?」
 何を言われているのかよくわからなかった。酸素が足りていないせいかもしれない。苦しい。
 無駄だと解っていても、言わずにはいられなかった。
「はな……せ、」
 しかし、予想外にも伝えた瞬間手が離れていく。驚くよりも先に頭が酸素を求める。
「――何が望みだ。テメーは何がしたい」
 再び髪を掴まれて顔を上げさせられる。
「今夜、どうして来た」
 紅い瞳が激しく咳き込んでいる僕を映しだす。その真剣な眼差しに再び目を奪われながらも、僕は内心首を傾げていた。
 ――解っているんじゃないのか?
 息を整えながら、僕はザンザスを見る。ザンザスも僕を見ていた。
「……お前の、邪魔になるようなことはしない……」
「答えになってねえ」
「っ……!」
 強く髪を引っ張られて、涙が滲む。もう逃げられないと、思った。拳をぎゅっと握る。紅い瞳を今一度見つめ、僕は、口を開く。
「邪魔に、ならないようにする。不相応なものを望んだりもしない。何だってする。好きに命令してくれていい。だから、」
 一度言葉を切って深呼吸する。
「だから、僕を、遠ざけないで……欲しい」
 声が震えそうになるのを堪えたら、ひっくり返ってしまった。あまりに情けなくって泣きそうになる。まだ泣き出してはいないが、すでに酷い顔をしている自覚はあった。見られたくなくて、紅い瞳に映る自分も見たくなくて、俯く。ザンザスも僕のこんな顔を見たくなんかないんだろう。今度は引っ張りあげられたりはしなかった。
 安堵の息を一回、それからまた深呼吸を一回して、僕は再び口を開いた。
「お前が、10代目になるのを手伝いたい」
 僕は俯いたままで、ザンザスの言葉を待った。煩いぐらいの沈黙が暫く続いた。数秒だったかもしれないが、僕には何時間にも感じられるくらい長い沈黙だった。
「何の為だ」
 ザンザスはぽつりと言った。その言葉があまりに予想外で、その声があまりに静かで、僕は驚いて顔をあげる。
 ザンザスの顔からは先程までの怒りの色が消えていた。それどころか初めて見るような、穏やかな表情がそこにはあった。それにまた驚いて、躊躇いなく、言葉が喉を通っていく。
「……僕の、ために」
「お前の?」
 頷く。
 お前の為だ、なんて言うつもりはない。そんなことザンザスは望んじゃいないって解っている。大体、そんなつもりもないんだ。僕は、いつだって自分のために動いてきた。
 だって僕は、僕の望みは、ずっと、最初から。

 言って、しまおうか。もうここまできたんだ。言ったからといって、何が困ることがある。
 その嘘で、ザンザスがこちらを見てくれることが嬉しかった。ザンザスが居なくなって、その嘘を、手段として使うことに決めた。
 もう何も失うものはないだろう。軽蔑されたって構わない。どうせお前は、僕なんか。

 口を開きかけたそのとき、ザンザスが僕に向かって拳を振り上げた。それも、炎を纏った拳を。
 死ぬ、と思った。けれど体が硬直して動かない。諦めから目を瞑った直後、耳のすぐ側で凄い音がした。

 僕は、ゆっくりと瞼をあげる。
 ザンザスは僕から離れ、後ろを向いていた。
 顔のすぐ横の壁が大きくへこんでいる。陥没の中心からは煙が出て、まだ燻っているのがわかる。
「……好きにしやがれ」
 ザンザスは、それきり何も言わず、僕を見ようともしなかった。


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