32

「……兄さん……? なんで……?」
 ディーノの後ろから現れた兄の姿に、ツナは呆然と言葉を紡ぐ。大きな瞳は今にも零れ落ちそうなくらい見開かれて、兄を見つめている。ツナだけではない。ツナの側にいる人間全てから、綱重へと喫驚の視線が送られた。不躾なそれらに、堪らず綱重は顔を逸らす。
 行きどころのない視線は廃墟のような建物内部をぐるりと見渡し、そして吸い込まれるように階上の集団に向かった。
 ――紅い瞳と、視線が交錯する。
 瞬間、綱重の体が震え出したのをその腕を掴むディーノが気がつかないわけはなかった。目だけで、後ろにいる綱重を窺う。強張った表情がそこにはあって、思わず眉根を寄せる。
「……ディ、ディーノさん、え、兄さん、なんで」
 ひどく混乱している様子の可愛い弟分に、ディーノは即座に笑顔を作ってみせた。
「そこで迷ってたから連れてきてやったんだ」
「っ、迷ってないし、お前が無理矢理連れてきたんだ!」
「うわッ……何も蹴ることないだろ!」
 手加減なしの本気の一撃を軽々と避けられてしまい、綱重は小さく舌打ちする。途端、ディーノの眉が下がった。呆れたような、困ったような、そんな表情だ。まるで小さな子供に向けるようなそれに、綱重は更に苛立ちを覚える。
 今度は掴まれていない方の手で殴りかかるが、やはり掠りもしない。だが、それは初めから予想していた。体を捻り、殴りかかった勢いそのままに、ここだ、と思う場所に蹴りを繰り出す。
「ッ、この野郎……、怪我してるところを……っ」
「それは悪かったな。知らなかったんだ」
 実際、ディーノがツナ側の守護者の家庭教師をしていることも、生徒を鍛えるための修行でその場所を怪我していることも、綱重には知る由もないことだった。ただし、そこを狙ったのは偶然でないこともまた事実である。超直感のなせる業だ。
「ディーノさん、大丈夫ですか!」
 腕を押さえて蹲るディーノにツナが駆け寄るのを尻目に、綱重はようやく自由になった体を翻す。しかし、外に飛び出す前に、
「どこへ行く」
 ――低い声が引き留める。
 やはり、逃がしてはくれないか。思わず溜め息が零れる。全てお前の所為だとばかりに綱重はディーノを睨み付け、それから浸水している床の上を進んだ。瓦礫を足掛かりにして、二階部分へと飛び上がる。
「……よくあの縄を抜けられたね」
 マーモンが言った。綱重がここに来たことで報酬が貰えなくなるからだろう、その声は不機嫌そのものだ。擦り傷を負っている腕が微かに疼いて、綱重は文句の一つでも言ってやろうと口を開くが、言葉を発することは叶わなかった。突然、コートの襟首を掴まれたのだ。引っ張られ、無理矢理体を反転させられてしまう。
「――キャバッローネ」
 すぐ後ろで響いた声に、綱重の肩が大きく跳ねる。
「うちのものが大変失礼した。謝罪したい」
 言葉の内容とは裏腹に、謝罪する気があるとは思えぬ声音だった。綱重は首を捻ってザンザスを見た。ディーノを見下ろす瞳からは少しの敬意も感じられないどころか、不遜さしか窺えない。
「同盟ファミリーのボスに手をあげるとは、そんな風に躾た覚えはないんだが」
「……気にするな。綱重の利かん気の強さは知ってる」
 ディーノは真っ直ぐにザンザスを見返しながら答えた。ドン・キャバッローネの名に相応しく、少しも怯んだ様子はない。
 ザンザスの眉が不快そうに歪んだ。
「そういうわけにはいかない。これで、許せ」
 不意に襟首から手が離れた。同時に、視界の端にザンザスのブーツが映った。
 痛みは感じなかった。ただ、ミシリと骨の軋む音がした。呼吸が止まる。衝撃の所為ではない。浮遊感だ。綱重の足は床から離れていた。弾かれてしまったのだ。ザンザスの蹴りによって。
 落下していく感覚。自分の名前を叫ぶツナの声。
 デジャヴだ。いや、数日前にも実際に同じことがあった――綱重は至極冷静だった。冷静に、コートの下からそれを掴み出す。間に合うか、間に合わないか。計算するよりも前に、腕を思いきり振った。
 それ、分銅のついた鎖、は真っ直ぐにゴーラ・モスカの元へ向かい、その腕に見事絡まった。よし、と頷く綱重だったが、次の瞬間、彼にとって予期せぬことが起きた。
 モスカが絡み付いた鎖を振り払うがごとく、乱暴に腕を上げたのだ。
「ちょっ……!」
 引っ張りあげられた体がまるで釣り上げられた魚のように宙を舞う。そしてそのまま受け身をとることもできずに、べしゃりと床に倒れ込んだ。
「だっせー!」
 ししし、といつもの笑い声が聞こえた。綱重は這いつくばったまま顔を顰める。ベルの言葉に苛立ったわけではなく、口内に広がる不快な鉄の味と、遅れてやってきた背中の痛みの所為だ。横からスクアーロが手を差し出してきたが、片手で断り、のろのろと一人で立ち上がる。
 ザンザスの姿は、すでにそこにはなかった。
 濡れた床に突っ伏してしまった顔をおざなりに拭う。不機嫌な琥珀色の瞳が、自身の髪から水滴が落ちるのを鬱陶しげに見送った。

「へー。こんなのも使えたのか。なんだこれ?」
 声に顔を向ければ、ベルが松葉杖の先で、床に沈む鎖をつついていた。
「お前こそ何だ、ボロボロだな。勝ったって聞いていたが本当は負けたのか?」
「……お前を殺すくらいの体力は残ってるんだぜ」
 取り出されたナイフの輝きに、戦る気はない、と手を掲げてみせる。
「これは鎖鎌だ。昔、三日くらい習ったんだが――こんなこともあるかと思って、引っ張り出してきた」
「三日? それにしては扱いに慣れてんな」
「お前と違って僕は器用だからな」
「やっぱ殺す」
 ベルが一歩足を踏み出したのと同時に、綱重の爪先が松葉杖を蹴りあげた。普段のベルならば、容易く避けただろう。やはり無理矢理にでも来たのは正解だったと、体勢を崩したベルを抱きとめながら綱重は思う。
「あー、マジムカつく。絶対殺す」
 彼を拗ねた子供と呼ぶには吐かれた言葉はあまりに物騒だったが、綱重は小さく笑って、ベルの背中をポンポンと叩いた。
「続きは明日、イタリアでな」
 そして綱重は、スクアーロを見る。

「さっさと終わらせてくれ――頼んだぞ」


prev top next

[bookmark]
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -