31

 何とか、間に合った、か?
 辺りは静まり返り、戦闘が行われている気配はない。
 最後には無理矢理縄から抜けたために擦り傷を負ってしまった腕をそっと押さえ、僕は目の前の建物を見上げる。コンクリートの壁が寒々しい。何百人という子供が毎日集い、勉強する場所にはとても見えないが、明るいところで見ればまた違うように見えるのだろうか。学校というものに通ったことがない僕には――命を狙われていた僕がそこに通うことは難しかったし、僕自身、行きたいとは思わなかった――よく分からない。
 学校に通えなくたって、あの屋敷で過ごす日々に、何の不満もなかった。あの頃から僕は、ザンザスさえいれば他に何も要らなかったのだろう。

 浅く息を吐き、とりあえず一番近い建物に足を進めた、そのとき。
「――そっちじゃないぞ」
 不意に後ろから腕を掴まれて心臓が大きく跳ねた。
「っ、離せ!」
「一人か?」
 金色の髪に、端正な顔立ち、そして服から覗く刺青――
「……ディーノ」
「どこでやるのか分からないんだろ? 連れていってやるから、少し話でもしようぜ」
 な、とディーノは人好きのする笑みを浮かべる。微笑みと同じく優しい口調だったが、掴まれた腕の痛みが、それを拒否することは許さないと僕に伝えていた。僕は答えずに、彼の後ろに控える人物をそっと伺う。跳ね馬相手に勝てるとは思っちゃいない。事実、こうして簡単に後ろをとられてしまったわけだし。上手くすればという思いもなくはないが、しかしそれも一対一でやったならばの話で、ボスが危うくなれば部下は黙っていないだろう。
「僕はお前と話すことは何もない」
「それじゃあオレが勝手に話すから聞いてろ」
 僕の腕を掴んだまま、ディーノがゆっくりと歩き出した。
「二年ぶりくらいか。お前、背が伸びたなあ」
「おい、離せよ」
「昨夜ツナに会ったんだが、お前のこと色々聞かれてな。勝手にオレが話していいもんかって困ったぜ。そもそも、オレが答えられることなんて、大してないだろ? オレだってお前のこと、そんなに知っているわけじゃないし」
「一人で歩けるから」
「ツナは本当にお前のことを心配してたぜ。もちろん、親父さんもな」
「逃げたりしないから、離せ」
「綱重」
 ディーノは振り返り、その澄んだ瞳で真っ直ぐに見つめてくる。
「――もし、ザンザスに逆らえないんだったら、オレたちが手を貸、」

「手を離せと言っているのが聞こえないのか」

 後ろを歩いていたディーノの部下が思わず懐の銃に手を伸ばしたのが気配でわかった。目の前のディーノも僅かに怯んだ様子で目を見開いている。
 僕は奥歯を噛み締めて溢れてしまった殺気を抑え込む。
「……もう案内はいい」
 唸るようにそれだけ告げた。
 すでに、窓や扉が塞がれた建物が視界に入っている。今夜の舞台はあそこなのだろう。中からは複数の人の気配が感じられるし、何かが流れ落ちる音もしていて、確実だ。
 これでようやく解放される。そう思った僕だったが、ディーノは僕の腕を離そうとはしなかった。しかもそのまま建物に近づいていくので、僕はひどく慌てた。まだザンザスたちの前に顔を出すつもりなどなかったのだ。スクアーロが勝利し、ザンザスが弟たちの処刑を命じてから、乱入すればいいと思っていた。
「待てよ! 離せったら! おい!」
 ディーノは何も聞こえていないかのように黙ったままで、僕を引きずっていく。何とか振り払おうとするがびくともしない。
「ディーノ!」
 建物から聞こえてくる水音が大きくなっていく。
「離してくれ、僕は別に観戦するつもりは、」
 入口らしき扉は開かれており、そこから漏れ聞こえてくる声が耳に入った途端、僕は口を噤んだ。

 ザンザス――。

 一気に心臓の鼓動が大きく、速くなる。
 待機を命じられたも同然なのに勝手にここに来たことが不安なのではない。そんなことは覚悟の上だ。
 ただ、声を聞くのは一昨日の夜以来だと、気づいてしまった。
 それももちろん覚悟していたつもりだった。つもりだったのに、実際に声を聞いたら、このざまだ。
 とにかくディーノたちに動揺していることを気付かれるわけにはいかない。でも、手のひらに汗が滲むのがわかる。

 そちらに気をとられた所為で、建物内部へと腕を引かれても、僕は一切抵抗できなかった。


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