XX

 綱重にエスプレッソを渡し、夫婦は早々に奥に引っ込んだ。挨拶のキスを綱重の方から仕掛けてきたのは、彼らに対する安心感の現れだろう。覗き見なんてしないと夫婦を信頼しているのだ。
 そして、触れるだけですぐに唇が離れたのは、ザンザスが何故わざわざこんなところに来たのか知りたいから。
「――まず飲んで。冷めたら勿体ない」
 トニーの淹れるコーヒーは本当に美味しいんだ。隣の椅子に腰を下ろしながら、綱重が言う。
「ね、美味しいでしょう」
 自分が淹れたわけでもないのに誇らしげだ。ザンザスは肯定も否定もせず――否定の言葉を吐かないことは何よりの肯定であったが――本題に入った。
「その服はなんだ」
 ネクタイにジレ、ソムリエエプロン。高級店のカメリエーレかと思うようなフォーマルな格好である。昼夜問わず近所の暇人どもが集まってダラダラと会話を楽しむのが通例の、どう足掻いても大衆向きとしか言えない店には似つかわしくない。実際、店主はポロシャツにジーンズというラフな格好だった。
 とはいえ、ザンザスは、店に不釣り合いな格好だと指摘したいわけではない。綱重が言葉通りに受け取ったことは誤算だった。
「ああ、これはテオが仕立ててくれたんだ。さっきカウンターにいた中の一番若い彼だよ。デザイナーになるのが夢で、学校にも通ってるらしい。それで僕に練習台になってくれって」
「脱げ。そして二度と着るな」
 何故そんなことを言われたのかまったくわかっていないキョトンとした表情を見て、後で、無理矢理剥ぎ取ったのちに服をかっ消すと決めた。今すぐにでもそうしたいところだったが、問いに正しく答えさせるのが先だ。
「ここで何をしている」
「見ての通り、働いてる」
 睨みつけてやればちょっとした冗談だというように肩を竦めた。
「オーナーのトニーは元ボンゴレ幹部で、昔、僕たちとも何度か会ってるんだよ。覚えてる?」
「知るか」
「だよね。僕も全然覚えてなかった。……トニーは下っ端の頃からコーヒーを淹れる腕だけは誰にも負けなくて、引退後はバールを開くって決めていたんだってさ。でも、この世界に引退なんてないだろう。マフィアは死ぬまでマフィア。だから彼は店をやりつつ、今もボンゴレのために情報を集めてくれている。つまり僕は、そんな彼と父さんを繋ぐ連絡係ってわけ」
「ふざけるな」
 最後まで聞いたのが馬鹿らしくなる説明に苛立ちを隠せなかった。
 ここが敵対ファミリーのシマならばともかく――それはそれで命の危険が伴う任務なので容認はできないが――ボンゴレファミリーの膝元で重要な情報が集まるとは考えられない。数ヶ月に一度、見聞きした小さなトラブルや住人たちの不満をまとめるくらいだろう。トニーの事実上の引退を容認する口実に過ぎない。そして今や、その口実を綱重も利用しているのは明らかだ。そうまでして、何のためにこの店で働きたかったのか。肝心なことを隠したままの説明で納得できるわけがない。
「ふざけたつもりはないけど」
「なら、誤魔化すのをやめろ」
「誤魔化したつもりもない」
「そうとしか聞こえねえ」
 CEDEFの一員として誰かの監査を行っているのなら、はじめにそう言うはず。隠すことじゃない。言わないのは、監査が理由ではないから。何か他の理由があるのだ。マフィアなんて知りませんという顔をして、この店で働かなければならない理由が。
 未来の記憶が流れ込んできたあの日以来、度々、形容し難い焦燥感に支配されてきた。今もそうだ。綱重が何を考え行動しているのかを把握するまで、この気持ちが治まることはないだろう。
「社会勉強だよ」
 一呼吸おいて、綱重が答えた。
「学校に通うのも考えたんだけど、そうするとCEDEFの仕事が出来なくなるから。ここで週何日か昼間だけ働かせてもらってる」
 まだ説明になっていない。ザンザスが促すまでもなく、本題へと続いた。
「十年後と比べたら焦るのは当然ってザンザスに言われたけど……」
 今ここにいるザンザスが言ったわけではないが、言った記憶はある。お節介な赤ん坊たちのおかげだ。
「焦っていたのは昔からだ。だって僕の周りには凄い人たちが揃っていたからね。今は何にも得意なものがなくても、いつかはきっと、みんなみたいになれるはず。今すぐ変わりたい、強くなりたいって、そればっかり考えてた。ずっと強くなる近道を探してたんだ」
 凄い人という単語を口にしたとき、一度だけ琥珀色の瞳がこちらを見たが、それ以降は、ギュッと握った自身の拳を見下ろしていた。ザンザスは、時折上下する綱重の長い睫毛を見ながら話を聞いた。
「最短距離に見える道を選んで、すぐに壁にぶつかって、何でだよって不貞腐れてさ。ぶつかって当たり前なのに。だって、僕、遠いところにあるゴールだけを見つめて走っていたんだ。そりゃあぶつかるよな。前の道に何があるかなんて全然見えてなかったんだから。未来に行って、そのことに気付かされた。それで、たまには遠回りに見える道でもいいかな、もしかしたら遠回りに見える道が一番近いのかもしれないって思って。……要は、無理しないで出来ることからはじめようかなって!」
 例え話をするのが途中で恥ずかしくなったらしい。最後は早口でまとめあげ「それだけ!」と乱暴に言い切った。
 金髪の隙間から覗く耳がピンク色に染まっている。ザンザスは欲望のまま、そこに唇を寄せた。
 いきなり耳を咥えられた綱重は、文字通り飛び上がった。
「人が真剣に話してるっていうのに! ちゃんと聞いてたのか!?」
「長ぇ」
「…………黙ってて悪かったよ」
 なんだか恥ずかしくて。
 蚊の鳴くような声で告げたのち、綱重は椅子に戻ろうとした。その腕を掴み、強引に膝の上に抱えあげる。
 もしも未来の記憶が伝えられなければ、自分はきっと、綱重が抱えた不安に気がつかなかっただろう。甘えてしまうなどと言いながら、最後の最後まで気持ちを吐露しなかった綱重。言われるまで思いもよらなかった十年後の自分。どちらにも腹が立っていた。そして、焦燥の理由はその辺りにあるとザンザスは睨んでいる。
「今度は俺が聞く前に話せ。どれだけ長くてもいい」
「……うん、わかった」
 神妙に頷いてはいるが、本当にわかっているのかは疑問だ。綱重は己の価値すらまるでわかっていない。
「本当、すごく勉強になるんだ。人口は何万人で、一年にどれぐらいの収益があるか、そういうデータは頭に入っていたけど、ボンゴレが守ってるこの街のことを――、住んでいる人々のことを、今まで何も知らなかったって思い知らされたし」
 ザンザスの膝の上で、照れたように笑う。
「修行にもなるんだ。店にくる人たちを観察するの。僕は今まで直感だけで人を判断してきたけど、実はあれってすごく疲れるからさ、直感を使わないでも、嘘を言ってないかとか何を考えてるかとかわかるようになりたくて」
 キラキラと瞳を輝かせ、綱重は続けた。
「そろそろ仕事にも慣れてきたから夜の時間も働こうかなって思ってるんだ」
「駄目だ」
「えっ?」
「もしもそんなことをすれば、この店をかっ消すからな」
「……ええー!?」
 また、わけがわからないといった顔をしているのを見て、ザンザスは大きく溜息を吐いた。
 働くこと自体、ギリギリで許容しているのに、酔っ払いどもの相手までさせてたまるものか。大体、あんなに笑顔を安売りする必要があるのか?
 段々、怒りがわいてきた。
「脱げ」
「いっ!? いきなり何するんだよ!」
「二度も言わせんな」
 先程も言ったのだから三度だ。我慢の限界だ。
 ジレを剥ぎ取り、ネクタイを緩め、シャツに手を掛けたところで綱重が「待って、待って!」と手首を掴んできた。
「文句あんのか」
「だって、」
「俺には何されても嫌じゃねえんだろ」
 綱重の頬が赤く染まる。悔しそうに顔を歪めながらも、ザンザスの手首を放した。
「……っ、そうだよ! だって、好きなんだもん……!」
「ああ。俺も愛してる」
 だから綱重がどうしてもと言えば許してしまうだろう。夜の店で働くことも、その他、何でも。ただし、ザンザスから離れる以外のことならば、だが。
 少しは自惚れてもいいのだとどうやったら理解させられるのか。
 ザンザスは、手始めに綱重の唇を奪うことにした。

fine.


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