39

 ――気まずい。
 あんなみっともない姿を見られてしまったのに、どのツラ下げて行けようか。しかし十年前に帰るためにはどうしたって弟たちとの対面は避けられないのである。
 巨大な装置の前には、すでに綱重以外の全員が勢揃いしていた。ツナが嬉しそうに手を上げるが、それより先にマーモンが口を開いた。
「匣兵器を渡してくれるかい」
「……やはり持って帰ることはできないんだな」
 予想はしていた。残念だが、ルドルフとは近い将来、再び出会えるはずだ。それを思えば寂しさよりも楽しみな気持ちの方が上回る。綱重の感情を読み取ったのか、ルドルフも抵抗はしなかった。
「リングはボスが?」
「ああ」
 今の綱重は、リングではなく、剣を携えている。ザンザスがイタリアから持ってきてくれたのだ。
 ルドルフと同じであのリングもいつか綱重の手に正しく渡るだろう。きちんとザンザスから贈られたい、そう期待していることは――綱重だけの秘密だ。
「おい」
 ぶっきらぼうな呼びかけに顔をあげる。一瞬警戒したが、ラル・ミルチの表情を見てすぐに力を抜いた。眉間に寄った皺は明らかに怒りのそれではなかった。
「あー、色々言ったがな」
 コホン、と咳払いをして。
「お前のその悪い癖は、決断力があると言い換えられなくもない。それは間違いなくお前の強みだ、と一応伝えておく。……まあ、判断ミスさえなければの話だが」
「わかった。覚えておく」
 笑いを噛み殺すのが大変だった。どうやら彼女は、人を褒めることに慣れていないらしい。
「何が可笑しいんだッ!」
 結局殴られてしまったが、バタバタしていたおかげで誰からもザンザスとのことを突っ込まれないまま、タイムワープのときを迎えたのだった。

 十年バズーカを被弾した場所である神社に戻されるのだと思いきや、イタリアで軟禁されていた部屋に綱重は飛ばされた。ツナたちが未来に飛ばされた事実が無くなるのだから、綱重が日本に居てはおかしいというわけか。いや、そもそも今は、綱重が未来に飛ばされるよりも前の時間なのかもしれない。
「細かいことはどうでもいいか。――お前もそう思うだろう?」
 右手の人差し指で輝く、トナカイの形をしたリングに向かって問いかける。
 次に赤ん坊たちに会ったときには、きちんと礼をしなくちゃならないな。
 そんなことを考えながら、ぐ、と大きく伸びをした。

×

 目覚めて一番最初に見えたのは、心配そうに顔を歪める少女たちの姿。
「綱重さん!」
「……きょーこ、ちゃん……?」
 ここがどこで自分が何をしているのかすぐにはわからなかった。状況の把握をしようとした途端、一気に記憶が蘇る。元々の十年と、マーレリングが封印されたことにより修正された十年。二つを同時に消化するのは、それほど苦しいものではなかった。混乱もない。どちらも間違いなく、綱重が歩んできた人生だった。
「綱重さん、気分はどうですか?」
 京子が躊躇いがちに問いかけてくる。弟の想い人である彼女は綱重にとっても、大切な女の子だ。安心させるため、にっこり笑顔を浮かべて答えた。
「もちろん最高だよ。起きたらキュートな女の子たちに囲まれていたんだからね」
 京子もようやくいつもの明るい笑顔を見せてくれた。ハルと顔を見合わせて喜ぶ姿は実に可愛らしい。
「よかった。綱重さんだけなかなか起きなかったから心配で」
「僕だけ?」
 見れば確かに、装置の中に残っている者はいないようだ。装置に保存されていたはずの仲間は、京子とハルの他、同僚であるバジル、それからツナの命令で綱重を見守っていたのだろうか――獄寺と山本が残っているだけだ。
「ちょっとしたタイムラグさ。この中で一番マーレリングの影響を受けていたのが綱重だったからね」
「マーモン」
 目深にフードを被った赤ん坊はフワリと浮き上がり、綱重の顔を正面から見つめた。
「君、白蘭に捕まってたんだって? 一体何をやってるんだ」
「殺されるよりはましだと思うけど」
 ムム、と唇を引き結ぶマーモンに綱重は小さく笑った。訃報を聞いたときの胸の痛みは、しっかりと残っている。これくらいは許されるはずだ。
「獄寺さん! ちょっとそれ脱いでください!」
「ッ、こら、何しやがる!」
 何やら騒がしくなってきた。そちらを見やると、ハルが獄寺から上着を剥ぎ取ろうとしているところだった。
「はやくはやく! このままじゃツナさんのお兄さんが風邪をひいちゃいますー!」
「えっ」
 驚いたのは綱重である。言われるまで自分がどんな格好をしているか気がつかなかった。白蘭ならびにミルフィオーレとの戦いで負った一切のダメージは消失し、濡れていた髪も乾いているものの、過去の自分と入れ替わったときに着用していた服はそのままだった。こんな薄い検査着一枚でうら若き女の子たちの前にいたのかと思うと頭を抱えたくなるが、今更恥ずかしがっても仕方がない。
「ハルちゃん、僕は大丈夫だから」
「もーっ! 獄寺さんがケチケチするからお兄さんが遠慮しちゃってるじゃないですか!」
「あぁ!? 大体なんでオレが貸さなきゃなんねえんだよ!」
「ツナさんが悲しんでもいいんですか!?」
「10代目は関係ないだろっ」
「ありますー! ツナさんのお兄さんのことですもん!」
「いや、本当に大丈夫だから……」
 喧嘩をはじめてしまった二人に綱重の声は届かない。途方に暮れる綱重の肩を誰かが叩いた。
「俺のをどーぞっ」
 振り向くと、山本がスーツのジャケットを差し出していた。
「山本殿の服だと大きすぎますよ。若、僭越ながら拙者のを」
「大は小を兼ねるって言うじゃねーか」
 獄寺とハルとは違い、穏やかな二人なので喧嘩というほどではない。しかし綱重が頭痛を覚えるには十分だった。大丈夫だと言っているのに何故誰も聞いてくれないのか。
「綱重さん、だったら私のを着てください!」
「京子ちゃんまで……。はは、ありがとう。でもサイズ的に無理そうだ。気持ちだけ受け取っておくね」
「あっ、そうか。ごめんなさい」
「謝らないで。心配してくれて嬉しいよ」
 ちょっとずれているところも彼女の魅力だ。
 近い将来、妹になるだろう京子に綱重はとことん甘かった。
「――おら! これでいいんだろ!?」
 ハルがしつこく迫ったからか、山本たちが進んで貸そうとしているのを見て競争心が煽られたのか。言い捨てた獄寺は上着を脱ぐと、綱重に向かって放り投げた。
「なんだよ、やっぱり貸したかったのかよ」
「どこをどう見てたらそういう解釈が出来るんだ! この野球バカが!」
 受け取ってしまったからには――乱暴に投げつけられたものでも――突き返すのは失礼だろう。これ以上薄手の布一枚でいたら風邪をひきそうなのも事実だ。
 ボンゴレ10代目の右腕が着るに相応しい、仕立てのよいジャケットに有り難く袖を通す。着心地は最高だ。煙草の臭いが染みついてさえいなければ文句無しに。
「君の厚意に感謝する」
 獄寺によく思われていないことは重々承知しているので、礼に対する返事がなくても気にはならない。
 ザンザスこそがボンゴレのボスに相応しいと考える綱重と、ツナ以外の人間が10代目になるなど考えられない獄寺には、大きな隔たりがあった。尤もここにツナがいれば、10代目が大切にしている“お兄様”として過剰なほど尊重してくれただろうが、こんな風にぞんざいな態度をとられた方がずっと好ましいと綱重は思っている。
「それじゃあ、綱重。体にも問題はないんだね?」
 マーモンの問いに頷きかけたそのとき、ラル・ミルチが横から口を挟んだ。
「念のため精密検査を受けさせる」
「ああ。こんな格好だし、丁度いいかもね」
 茶化すような綱重の言葉に、ラルの眉が上がる。たったそれだけの仕草で、彼女の中で怒りのスイッチが入ったとわかる。この十年、何百回何千回と彼女に叱られてきた経験から綱重は無言で後ずさった。
 三歩ほど下がったところで何かにぶつかった。壁はまだずっと後ろのはずなのに。
「ザンザス?」
 彼がこの場にいることに驚いたわけではない。近くにいるのは知っていた。十年前の綱重をこの場所に案内してくれたのはザンザスなのだ。
「どうしてそんなに怒っているんだ?」
 十年前の自分が別れた際、彼の機嫌は悪くなかった。そう記憶していたが。首を傾げる。
「……あうッ!?」
 突然、被弾したかと思うほどの衝撃が綱重の額を襲った。
「思い出したか?」
 指で弾かれただけだなんて信じられない激痛からして、ザンザスの怒りは相当なものだ。額を押さえ、涙を堪えつつ、口を開いた。確信はなかったが、すぐに答えなければ、次は実弾が飛んでくるかもしれない。
「ええと……もし白蘭とのことを怒ってるなら、あれは全部無かったことになったんだぞ?」
「俺は覚えてる」
 こんなにも嬉しくない正解は初めてだった。
 そしてザンザスの怒りを煽ったのはそれだけではなかった。ザンザスは、綱重が着ている獄寺のジャケットを剥ぎ取ると、地面に放り投げ、思いきり踏み躙った。
「……ぶっ殺す!!」
「まーまー。落ち着けって」
「離せ! こいつら一発殴ってやんなきゃ気が済まねーっ!」
 こいつらって、まさか僕も入ってるのか?
 理不尽に思えたが、すぐに当然だと思い直した。綱重はザンザスの暴挙を前にしても何も言えなかった。ザンザスの顔に浮き上がった古傷を見て、何かを言えるはずもない。
 綱重は思う。これはマジでヤバイ。
 上着を剥ぎ取られたことは関係なく、寒気がする。
「行くぞ」
 荷物のように肩に担ぎあげられたときも驚きはしても声が出なかった。声も出ないくらいパニックになっていたというのが正しいか。
 行くってどこに。どこに連れていかれるんだ。そして何をされる。……このまま黙っていては駄目だということだけ、わかった。何としてでもザンザスを止めなければ。
「――お、奥歯にCEDEFで開発した新型の毒を仕込んでたんだッ! 他人の唾液に反応して作用する仕組みで、いや、全然効かなかったみたいだけど、それは多分、奴がパラレルワールドで得た知識で解毒剤を開発していたからで……、なあ、嘘じゃないよなっ? 毒薬のこと、ラルもバジルも知ってるよな!?」
 弁明は、ザンザスを立ち止まらせることはできなかった。それどころか加速したような気がして、慌てて仲間に助けを求めたのだが。
「えっ? ……あ、ちょっと失礼します」
 タイミングよく着信を知らせた携帯電話を片手に、バジルは隅に移動してしまう。正一たちのおかげで、地下五百メートル地点のここにも電波が届いているようだ。それでも、本当にかかってきたのか怪しいものだと綱重は思ったが。
 そして頼みの綱のもう一人、ラル・ミルチは、ザンザス並みに怒りの表情を浮かべていた。
「まるでCEDEFの人間なら全員その毒を仕込んでいるかのような言い方だが、解毒剤が未完成で、標的のみならず使用者自身も死ぬしかない毒薬を取り付ける馬鹿は貴様だけだ」
「なっ……そ、そんなこと今言わなくてもいいじゃないか! ちょっ、ザンザスも、なに足止めて振り返ってるんだよ!? いいから、ラルの話は聞かなくていいから! ね、ねえっ、早く行こう。ホテルとってあるんでしょう?」
 藪をつついて蛇を出してしまった。引き攣った笑みを浮かべながら「僕お風呂入りたいなー」などと必死にザンザスの気を引こうとするが、ザンザスは完全に足を止めてしまっている。あれほど待ち望んでいた結果だがまったく喜べない。今の綱重の望みは、一刻も早くこの場を離れることだからだ。
「若。あの、非常に言いにくいのですが」
 戻ってきたバジルに切り出され、逃げ出したい気持ちは一層強くなった。
「親方様より伝令です。若が研究室の人間を脅して試薬を取り付けたこと、すでに親方様の耳に入っております」
 電話の相手は家光だったようだ。そして情報を耳に入れたのは、恐らくバジルだ。
「“すぐに向かうから覚悟しとけ”だそうです」
「げっ」
「家光の後はオレだ! 馬鹿者が!」
「……ということなので、ザンザス殿。明日には若の身柄を引き渡してください」
 それはつまり「今日一日はどうぞお好きなように」ということだ。申し訳なさそうな笑みを浮かべてはいても、バジルも相当腹に据えかねているのだろう。
 綱重は赤ん坊たちを睨みつけた。それだけで人を傷つけられそうな鋭い視線。ただの赤ん坊ならともかく、最強と呼ばれる彼らに通じるとは思ってもいない。それでも睨まずにいられなかったし、言わずにはいられなかった。
「余計なことをしてくれたな」
「礼ならいらねーぞ」
 案の定、小さな殺し屋がいけしゃあしゃあと言いのける。
「自分で蒔いた種だろう! 人の所為にするな!」
 家庭教師の叱責に、綱重は観念したらしく、がっくりと項垂れた。
「お手柔らかにお願いします……あの、精密検査もあるらしいし……」
「テメー次第だ」
 頷くしか道はなかった。


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