08

「――母さん、ちょっといいかな?」
「なあに?」
 母はマフィアについて何も知らない。現在日本に兄がいることも知らないだろう。だが、ツナが兄について尋ねることが出来る人物は、ごく限られていた。
 食器を洗う手は止めず、振り返りもせずに応対する母の背中に、藁にもすがる思いでツナは口を開いた。
「兄さんのこと、なんだけどさ」
「あら、ツナったら、お父さんが帰ってきたらお兄ちゃんのことも恋しくなっちゃったの?」
「そうじゃなくて! その、どこで何してるかとか……ちゃんと聞きたいんだ」
 母の手の中で、キュッという音を立ててスポンジが皿の上を滑る。
「前にも言ったでしょ。沢田家の長男は世界を見据えた男にならなきゃいけないの。その為に、お兄ちゃんは海外留学してるのよ」
 なんだよ、世界を見据えた男って……と思うツナだったが、ロマンチックだからと『父は消えて星になった』と言い続けていた母に、それを言っても無駄なことはよくわかっていた。
「でももう八年ぐらい帰ってきてないだろ? それっておかしいよ、母さんはなんとも思わないの?」
「お兄ちゃんは昔からしっかりしてるから大丈夫よ。そりゃ寂しいけど、ちゃんと電話や手紙がくるし、あのこが向こうで元気に充実した生活を送ってるなら、母さん文句はないわ。――っていうか、ツナ、あなた今まで何も言わなかったじゃない。いきなりどうしたの?」
 う、とツナは言葉に詰まった。確かに、兄についてこんな風に尋ねたことはなかった。いい加減な父とは違い、兄は定期的に電話を寄越したし、手紙もよく送ってくれた。毎回、忙しいから帰れないと言われても、仕方ないと諦め続けた理由がそこにある。そして次第に兄が帰ってこないことが当たり前になり、小学校を卒業する頃には、兄に帰国をせがむことはなくなっていたぐらいだ。
(あれ? そういえば……)
 小さな家庭教師が現れて周りが騒がしくなってからは、兄と一度も話していないことに、ツナはそのとき初めて気がついた。確か、簡単な挨拶が書かれた絵ハガキはたまにきていたように思うが、それまでよく送ってくれていた何枚もの便箋に綴られた丁寧な手紙も、リボーンたちがきてからは一通も受け取っていない。
(オレ、そんなこと全然……)
 騒がしく忙しない毎日に精一杯で、兄の変化にまったく気がつかなかったことに、愕然とする。ツナは、青ざめながら母に問い掛けた。
「ねえ、兄さんから一番最近連絡あったのっていつだったっけ?」
「んー、一ヶ月ぐらい前に電話があったわよ」
「んなっ!? な、なんで教えてくれなかったんだよ!」
「あら、ちゃんと言ったわよ。ツナったら聞いてなかったのね」
「そ、それで? 兄さん、なんか言ってた?」
 奈々は、そこでようやく息子の方に振り返ると、んふふ、と含んだ笑みを浮かべた。
「な、なに……」
「話しちゃおうかな〜。でもお兄ちゃんに内緒だって言われてるし〜、どうしようかしら〜」
「いいから教えてよ!」
 それなら誰にも言っちゃだめよ、母さんが話したってお兄ちゃんに言わないでね、と念を押して、
「なんだかいつもより明るい声だったからね、母さん、何かあったのか聞いたの。そうしたら『ずっと会ってなかった人と久しぶりに会えたんだ』って、嬉しそうに言うのよ。あれはきっと恋ね!」
 どうしようかしら、いきなり外国の可愛いお嬢さんを連れてきたりしたら、とはしゃぎまわる母に、ツナは、やはり母に聞いたのは間違いだったと項垂れた。

×

 黒衣の男たちが目の前に現れた瞬間、ツナは真っ先に兄を探した。
 しかし兄の姿はそこにはなかった。兄の体を地面に叩きつけた、あのザンザスと呼ばれる男の姿も。
(兄さん、)
 戦いは、はじまる。
 チェルベッロの用意した特設リングがツナたちの前に姿を現した。


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