37

 ザンザスは一度も綱重の方を見なかった。気付かなかったわけではない。綱重が肩を貸していた――反対側ではディーノも一緒に支えてくれていた――スクアーロとは会話をしていた。確実にその存在を認識していたはずだ。
 交わらない視線の理由は、考えるまでもない。
 白蘭の部下の頭を撃ち抜き、立ち去る後ろ姿を綱重はただ黙って見送るしかなかった。
「ぼーっとしてんじゃあねえぞぉ」
 スクアーロがザンザスを追うように促すが綱重は首を横に振る。
「奴と話せって言ったろうがぁ」
 もう一度、首が振られる。
「綱重!」
 大きな声に綱重はビクリと肩を揺らした。ずっと俯いていた顔を上げる。怯えた瞳は、今にも涙が零れ落ちそうなくらい潤んでいた。
「……だ、だって……も、行く意味、ないだろう……っ」
「あぁ!? 意味だぁ!?」
「も、もう、ザンザスは、僕のことなんて何とも思ってない……!」
 離れなければならない。その考えは未だに綱重の中に存在しているし、単独行動を取ったことに後悔はない。こうなることも予想していた。でも、どうしようもなく胸が痛むのだ。
 わかっていたようで何もわかっていなかった。ザンザスに想われていることさえ現実味が乏しくて、こうしていざ背を向けられてみてようやく言葉にできないほどのショックを受けているのだから、始末に負えない。
 とうとう綱重の瞳から涙が零れたのを見て、スクアーロはぎょっとしたように目を見開いた。
「おま……っ、あいつがGHOSTからテメーを庇っていたことに気がつかなかったのかぁっ?」
 スクアーロが慌てて紡いだ言葉を真に受けるほど綱重は能天気ではなかった。
 敵も味方も関係なく、周囲から死ぬ気の炎を吸収していたGHOST。綱重たちが現場に駆けつけたのは、その圧倒的な能力に誰もが脅威を覚えていた時だった。
 確かにザンザスは綱重の目の前にいた。綱重に背を向けGHOSTを見据えていた。それは見ようによっては、スクアーロの言うとおり、GHOSTと綱重の間に陣取ったように見えたかもしれない。でもそうではないことを綱重本人がよくわかっている。
「……殴ってもくれなかった……!」
 絞り出すように言うと同時、大粒の涙がいくつも地面に零れ落ちた。
「うわー。“殴られたから”じゃなくて“殴られないから”って泣く人初めて見ましたー」
「ッ、泣いてなんかいない……!」
 思いやりのかけらも感じられないフランの言葉。反射的に言い返し、目元を拭う。だが。
「いや、どう見ても泣いているだろう」
 そう言うレヴィの隣ではベルが携帯電話を取り出して。
「スク隊長が綱重泣かしたってボスに報告しねえとな」
「う゛お゛ぉい! ベル、こら、てめえ!」
「泣いてないって言ってるだろう!」
 ヴァリアー幹部たちの遠慮ない振る舞いのおかげで、いつの間にか涙は引っ込んでいた。
 ――人の気も知らないで!
 赤くなった目元を更に怒りの朱色で染めて、綱重は彼らを怒鳴りつけるために口を開く。しかし直前で、急速に気持ちが萎えていった。
 唇を引き結ぶ。
 もう何もかもどうでもいい。ここで騒ぎ立てたとしても何が変わるわけでもない。結局、己は何も出来なかったのだし、ザンザスはもう行ってしまったのだから。
「この、甘ったれが!」
 ガツンと後頭部に衝撃が走り、堪らず地面に膝をついた。目の前を星が飛んでいる。頭を押さえ、振り返った。
「っ、何をするんだ!」
「お前の周りはお前に甘い人間しかいないから、仕方なくオレが殴ってやったんだ。感謝するんだな」
「なっ……」
 尊大な物言いの彼女は今の綱重の記憶にはなかった。見ず知らずの人物にいきなり殴られて、感謝する人間はいない。
「ラル、兄さんに何してるんだよ!?」
「うるさい! 貴様は傷の手当てでもしていろ!」
「ぎゃんっ!!」
「うわー!? 10代目ー!!!」
 白蘭との戦いでボロボロになった体で、それでも兄を守ろうと駆け寄ってきたツナは、“ラル”の鉄拳によって地面に叩きつけられてしまった。倒れ伏したまま動かない体を獄寺が慌てて助け起こす。ただ気を失っているだけだろうが、白目をむいている弟の姿に綱重は絶句する。傷の手当てをしろと言いつつ傷を増やすなんて、無茶苦茶だ。
「ったく、兄弟揃って手間のかかる」
 乱暴な言動とは裏腹に、美しい顔立ちをしている。顔に走る火傷のような痣も彼女の魅力を失わせはしない。姿勢の良さはマフィアというよりも軍人のそれだ。動きからしても、ほぼ間違いないはず。
 値踏みするような視線になると承知で綱重は彼女を注視した。どんな人物であるか、敵なのか味方なのか、見極めるために。
「――ラル……、ラル・ミルチ? CEDEFの?」
 会ったことはない。話に聞いていただけの“なりそこないのアルコバレーノ”。先程、復活を遂げたばかりの赤ん坊たちと、目の前の彼女を見比べる。
「オレが誰かなんて今はどうでもいいことだ」
 ラル・ミルチは、そう、ぴしゃりと切り捨てた。
 不快だと感じる前に驚く。それまでは気にする様子も見せなかったのに、こちらが彼女が何者であるか確信した瞬間、探ることを遮られた。もういいだろうとでも言うかのように。実際、綱重は彼女に対する警戒をある程度解いた。納得したからだ。彼女は敵じゃない、と。
「泣きながら十年前に逃げ帰るつもりか?」
 これにはムッとして、立ち上がる。
「十年後の僕とあなたは親しい仲でも、今ここにいる僕はあなたを知らない」
 余計なお節介はやめろと暗に告げ、歩き出したところ、三歩目で今度は太ももに蹴りを食らった。弟と同じくらい派手に地面に倒れた――気は失わなかった――綱重は目を白黒させながら彼女を振り仰いだ。
「何をする!」
「黙れ。ガキのくせに口だけは一丁前か。ガキらしく最後まで足掻いてみせるんなら、まだ可愛げもあるがな。言っておくが、お前のそれは物分かりがいいんじゃなくて単に諦めが早いだけだ」
「……結果がわかりきってるのに足掻いてどうなる? そんなの時間の無駄だ」
 切れた唇を指で拭い、血の混じった唾と共に吐き捨てる。あなたには関係ないと繰り返そうかとも思ったがそうはしなかった。見下ろしてくるきつい眼差しを見返すくらい、綱重には自分は間違っていないという自信があった。けれど。
 ラルの顔色が変わった。
「あの戦いを見て何も感じなかったのか?」
 呆れたように問われ言葉に詰まる。
 ツナが白蘭に勝てたのは、足掻いたからだろう。数々の幸運に恵まれたのもあるが、それらをただの結果論だと跳ね除けることは出来ない。ユニが頼り、初代ボンゴレが認めたのは、彼の最後まで諦めない姿勢だ。
 見習えと言いたいのだろうが綱重は自分があんな風になれないとわかっていた。いたいけな少女が自らを犠牲にしようとも、世界が終わると言われようとも、絶対に。
「常にそうであれとは言わない。お前がこれまで生きてこれたのは、無謀な戦いを賢く回避してきた結果だからな。だが、見切りをつけるのが早かった所為で、剣も銃も体術も、ろくなもんじゃないこともまた事実だ」
 淡々とした口調に嘲る意図は感じないからこそ、深く胸に刺さる。
 こんな自分でも何か一つくらい得意なものがあるはずだと手当たり次第に修得を目指した。これが駄目ならあれ、あれも駄目ならそれ、といった具合に。今では、器用貧乏といわれても仕方がない有様であることは否定出来ない。
 才能がないのだと諦めた。考え方を変えた。色んな戦い方を学ぶことにこそ力をいれた。それが間違いだったと言いたいのだろうか。この女性も、スクアーロのように、十年前に戻ったら自分に教えを乞えだなんて馬鹿げたことを言い出すつもりなのか。本当に強くなれると言うのならば――……いや、そんなことはもうどうでもいい。生憎、ついさっき“強くなりたい理由”を失ったばかりだった。
 自嘲する笑みを浮かべ、綱重は問いかける。
「続けていれば物になったとでも?」
「そんなことオレが知るか」
 予想外の返答だった。
 そしてその突き放す言葉とは逆に、胸倉を掴まれた。ラルの顔がぐっと近づく。額が当たるくらいの至近距離で、彼女は続けた。
「これといったものを持たないお前の、唯一の“とっておき”を他と同じように諦めるのか」
 何を、誰を指しているのかは明白だった。
 すぐには返す言葉が見つからず固まっていると、苛立ちを含んだ声が更に続けた。
「わからねえならはっきり言ってやる。お前にはザンザスが居なきゃ駄目だろう」
「……そんなのッ、」
 言われなくたってわかっている。
 けれども、今更どうしろと言うのだ。
 ザンザスは行ってしまった。追いかけて、謝って、それから? 捨てないでくれと頼めば、彼の気持ちが変わると? そんなわけがない。二度目はないのだ。そもそも好きだと言われたこと自体、ありえない奇跡だった。あのザンザスが自分なんかを。
「う、うう……」
 勝手に涙が溢れてくる。綱重自身も驚いたが、ラルも驚いたようだ。ぼろぼろと止まらない涙の効果か、胸倉が解放される。
「お、おい、泣くんじゃあないっ」
 そんな狼狽えた声も綱重の耳には届かなかった。
 十年前に戻っても、以前と同じようにはいられないだろう。いつまたこうして嫌われるのかと怯え続け、きっと同じ結末を辿る。間違ったんだ。最初から。大人しくしていれば未来になんて来なくて済んだ。そうしたらずっと、何も考えずにザンザスの傍にいられたのに。……いいや。遅かれ早かれ、こうなっていた気がする。未来の自分も、いつかは疑問を抱いた。ザンザスの傍にいられないと、そう考えたはずだ。
「泣くなと言ってるだろうが!」
 拳骨が脳天を直撃した。痛みが涙腺を刺激して、余計に涙が溢れる。それなのに泣き止まないことを責めるような溜息が聞こえてくる。無茶苦茶だ。
 流石に抗議をしようと顔を上げた綱重は、そこに思い掛けない姿を見つけ、動きを止めた。
 見間違いでも幻覚でもない。
 いつもそうだ。
 不明瞭な視界の中でも、彼だけが輝いて見える。
「考えてもみろ。今まで一度でもまともな判断が出来たことがあるか? 直感が正しく働いたことが? ザンザスのことで!」
 ラルは言い切ってから、綱重がまるで話を聞いていないこと、綱重の視線が自身の背後に向けられていることに気がついた。
「……とっとと連れていけ」
 俺に命令するなとばかりに彼女を睨みつける紅い瞳。けれど、何も言わないまま、ラルの言う通り、ザンザスは綱重の手を取り歩き出したのだった。

「久々だよね、二人の痴話喧嘩」
「今まで喧嘩する暇もなかったからな」
 マーモンとベルの会話を聞きつけて、フランが口を挟んだ。
「あの二人、普段からあんな感じなんですか?」
「ああ。お前もそのうち慣れるぜ」
「慣れたくないんで今すぐ辞表出しますねー」
「あ!? なに脱いでんだ!? 辞めるなんて許さねえからな!」
「いいじゃないですかー。マーモンって人も戻ってきたんですし」
「ダメだ!」
 カエルの被り物を脱ごうとするフラン、阻止しようとするベル。攻防を繰り広げる二人の間で、ベルの腕に抱えられたままのマーモンは迷惑そうだ。
 そんな三人を横目に、レヴィは誇らしげに頷いていた。
「流石はボスだ。綱重が泣いていると察知して戻ってくるとは」
「違うわよ、私がメールしたの。“綱重がスクアーロに泣かされた上に、地面に転がされてるわ”って」
「う゛お゛ぉい! 何だその文面は! 語弊があり過ぎるぞぉ!?」
「うふふ。さ、スクアーロも怪我の手当てをしましょ。後でまたボスに殴られるかもしれないけど」
「いや、今回ばかりは本当にかっ消されるかもしれん」
「やったぜ、しししっ」
「給料あがるかな」
「ご愁傷様ですー」
「う゛お゛ぉい!!」
 結局のところ、ヴァリアー幹部の中で、二人のことを真剣に心配している者は居なかった。
 犬も食わないというやつだと、わかっていたので。


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