36

 治療用の匣兵器“晴コテ”を傷口に押し当てるのはこれで五回目だ。大空の炎で開匣したがために本来の効力が望めない上、分解の特性を持つ嵐属性の攻撃を受けた所為か、活性可能な細胞そのものが失われているようだ。目に見えた回復は殆どない。
 六回目の開匣をしようとした綱重の手をスクアーロが掴んだ。
「もういい。それ以上やったらお前の方がぶっ倒れる」
 開きかけた口を閉じ、綱重は目を伏せる。このまま効果のない開匣を繰り返すよりも、包帯でも巻いた方がよっぽど良いと気づいたからだ。
「綱重」
 医療キットから使えそうなものを引っ張り出している綱重の背中に、スクアーロは静かに呼びかけた。
「ザンザスと何があったんだぁ?」
「そんなの、今、話すことじゃない」
「いいや。今だからだ。気が紛れていい」
 綱重は沈黙したまま振り返り、壁に背を預けているスクアーロの隣に自分も腰を下ろした。酷く傷ついている左腕にそっと触れる。
「話してもらわねえと今にも気を失いそうだぁ。それでそのまま御陀仏かもな」
 脅し文句にも、笑えない冗談にも、聞こえる言葉。綱重の口からは溜息が零れる。
「何もない」
「また嘘かぁ」
「本当に何もないんだ。喧嘩とかは全然」
 問い詰める視線に、溜息をもう一つ。
「ただ……、僕は、このままじゃザンザスの傍にいられないって思った」
「何だって?」
 驚きに見開かれるスクアーロの目を見て、やはり、自分たちの関係が知られていると綱重は察する。言葉を選ぶ必要はない。とは言え、あまりにパーソナルな部分。どうしたって選んでしまうのだけれども。
「どうしてそうなる。やっぱり何かあったんだろう」
「十年って長いよな」
「――あぁ?」
「未来にきて、皆の変化に戸惑った。ベルは背も髪ものびて、ルッスーリアはすっかり姐さんで、レヴィには口髭生えてるし、マーモンの代わりがあのムカつく蛙、お前の髪は鬱陶しくて」
「う゛お゛ぉいっ!」
 予想通りのツッコミに綱重は小さく笑みを漏らした。
「それに」
 そう続けたときにはもう、一変して泣き出す寸前のような表情を浮かべ。
「――――ザンザスが僕に優しい」
 ぐ、と唇を噛み締めたあと、感情の揺れを誤魔化すように早口で続ける。
「もちろん変わってない部分もある。そしてその部分が余計に変化を際立たせていた。では、僕は? 十年後の僕はどんな人間だ? 少しは良い方向に変われているだろうか? いいや。何にも変わってない、十年経っても変われないんだって、気が付いた」
「見たわけでもねえのに」
「お前たちの僕に対する接し方を見ればわかるよ。僕がどんな風にこの十年を過ごしてきたのか想像がつくんだ。自分のことだからな」
「……。それで?」
「自分一人の力だけで元の時代に戻れたなら、これからもザンザスの傍にいてもいいって決めたんだ」
 今度はスクアーロが溜息を吐く番だった。血のこびりついた右手で額を押さえ、短くなった左腕よりも、今は頭の方が痛いとでも言いたげな様子だ。
「んなもん勝手に決めて、それをあのクソボスが許すと思うのか?」
「ザンザスがどう思うかは関係ない!」
 綱重なりによく考えて出した結論を、スクアーロはまるで子供を諭すような口調で撤回させようとしている。それに気付いた瞬間カッとなって大声をあげていた。
「僕が嫌なんだ。ザンザスの傍にいるなら、もっと……っ」
 握り締めた手の中でガーゼがぐしゃりと潰れた。
「わかってる。今はそんなこと言ってる場合じゃないって……。ほんと、駄目だ……僕……」
 ボンゴレどころの話ではない。世界が白蘭の手に落ちようとしているのに。
 現実から目を逸らしたいのかもしれなかった。ザンザスのことだけを考えていれば楽だから。
「オレが話せって言ったんだろうが」
 俯く綱重の頭を、乱暴に揺さぶる手。スクアーロの笑んだ目を見て、“撫でられた”のだと気がついた。
「来てくれて助かったぜぇ」
「お前なら、一人でも何とか出来たよ。甘やかさないでくれ」
「今のオレにそんな余裕あると思うかぁ? 血が足りなくてフラフラだってのに」
 明らかな慰めの言葉に返す言葉はなく、綱重は怪我の処置に戻る。スクアーロは尚も続けた。
「一々極端すぎるんだぁ。クソボスも大概そうだが、奴とは真逆の方向に突っ込んでいくのが更に面倒臭ぇ。関係ないなんて馬鹿言ってないで、ちゃんとあいつと話せよ」
 黙ったままでいるとドンと胸を叩かれた。
「違う世界なら10代目だろぉ。ちったあ自信持ちやがれ」
「……九割死んでるって言ってたけど」
「なら、残り一割に滑り込んだ自分を認めてやれ」
 しかし、白蘭に言われた言葉を思い出してみても自嘲の念しか浮かばない。耳当たりのいい単語はいくつも聞こえてきたが、褒められている気は一度もしなかった。それは白蘭が綱重を蔑んでいるためだ。どれだけ取り繕おうとも瞳の奥に浮かぶ侮蔑は隠せない。白蘭は、戦う前から綱重のことを絶対的敗者として扱っていた。
 パラレルワールドで白蘭が出会った綱重が、挑もうとすらしなかったから。ボンゴレファミリーのボスに昇りつめてさえ。数ある世界で、たったの一人も。
「“聡明”なんかじゃない。ただ単に諦めただけだ。力の差を見せつけられて、あの男に屈服した」
「自分のことだからわかる、か? それならオレだってわかるぞ。お前が降伏を選んだなら、それはそうすることで誰かを救えると判断したからだ。今もそうだぁ」
 自分の力を試し、成長を望むならば、ユニの側を離れるべきじゃない。彼女が鍵だと綱重の直感は確かに告げていた。それでも一人、アジトに戻った理由は。
「オレが負けるとわかったから助けにきた」
「っだから、僕が助けなくてもお前なら」
「グラッツェ」
 感謝の言葉に遮られ、綱重は口を噤んだ。スクアーロの言葉はことごとく優しくて、けれど、慰めるための嘘ではないと綱重にはわかる。スクアーロは本当にそう思っているのだ。
「白蘭なんてカスの言うことを真に受けてんじゃねえよ」
「それ、さっきお前が言ったことと矛盾してないか?」
「うるせえっ。剣を置いてきたのもどうせクソくだらねえ挑発の所為だろぉ!」
 綱重は返事をしなかったが、沈黙こそが図星を指された何よりの証拠だった。
「自分を器用な人間だと思いやがって」
 ピタリと動きを止めた綱重は自身の手元を見やった。ぐるぐる巻きの左腕がそこにある。スクアーロが右手一本でやったと言っても誰も疑わない出来だった。
「嫌味か」
 眉を寄せる綱重に、そうじゃねえとスクアーロは首を横に振った。
「武器は剣でなくてもいいと考えている。だから簡単に捨てられるんだ」
「やっぱり嫌味じゃないか」
 これという才能をもたない綱重は、広く色々な攻撃手段を用意することで天賦の才を有した者たちに何とかついていこうとしている。剣帝テュールに勝るほどの才能に恵まれたスクアーロには馬鹿馬鹿しく映るのだろうが、それが、マフィアの世界で生き抜くために綱重が見出した唯一の活路だ。他に方法はない。
 だが。
「確かに十年は長え」
 剣が輝くような鋭い眼差しが綱重を射抜いた。
「どんなに絵心のない奴だろうと十年ずっと描き続けていたら有名な画家になってるかもしれねぇ」
「は……?」
「綱重。過去に戻ったらオレに剣を習ってみるか? お前が頼めばオレは断らない。お前に覚悟があるならば、だがなぁ」
「なに……何を、言ってるんだ? 雨の守護者の面倒を見ているうちに指導者として目覚めたとでも言うつもりか? ……僕には無理だ。わかってるんだ。お前のようにはなれない」
 思いも寄らない提案は動揺を誘った。口をつく皮肉の言葉。そして否定。
 それら全てを不敵な笑みが一蹴する。
「理想が高いのは悪いことじゃねぇ。お前は強くなる。オレが保証してやる」


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