34

「……“まだ”だ」
 こちらの声は、弟には届かない。わかっているから綱重は怒鳴るような真似はしない。呟いた声は隣にいるスクアーロにだけ届いた。
「幻術かぁ?」
 ディーノが振り向く。その肩に乗る、弟の家庭教師も一緒だ。綱重は黙ってモニターを注視しつづけた。一切の接触を拒むように。
 それでも、雨の守護者が放った技が相手の剣士を直撃したのを見届けると、スクアーロの視線は再び綱重に向いた。
「お前、剣はどうしたぁ」
「……置いてきた」
 銀色の眉が上がる。当然一番に浮かぶであろう答えをスクアーロはまったく予想もしていなかったらしい。
 詳しく説明する気にはなれず口を閉じる。ルドルフを返してくれるならばいくらでも話したがスクアーロにその気はないようだ。
 一体ここで何をしているんだろう。
 こんなはずじゃなかったと思うと同時に、だったらどうしたかったのかと問いかけが浮かぶ。
 ――どうしたいか?
 綱重が目指すゴールは結局いつも同じだ。ザンザスを10代目にする、そう決意したときと同じ。変わったのは、そこに至るまでの道のりが長く険しいものとなったくらいだ。
 いや、違う。元々、長く険しかったのに、今までそれに気がつかなかっただけだ。とにかく早く辿り着くことばかり考えて、終着点だけを見つめていた。進む道がどうなっているか、そもそも進めていたのかも今となっては怪しいとも思う。
「……っ!?」
 地響きは、スピーカーからではなく直接綱重の体を揺らした。瞬間、モニターに意識を戻した綱重の耳に“X BURNER”という聞き慣れない単語が届く。
 弟が、ザンザスに一度勝ったという事実を、綱重は改めて信じざるを得ない。弟だけではない。成長の一言では片付けられないくらい、あの争奪戦のときとは比べものにならないほどに、少年たちは強くなった。単純な戦闘力ならば綱重を遥かに凌いでいる。
 しかし、戦いに必要なのはそれだけではない。ルールのあるゲームならば尚更だ。例え真6弔花の力が彼らを上回っていたのだとしても勝機はあった。掴み損ねたのは、彼らにも足りないものがあったからに他ならない。
 自分に弟よりも優れた面があるならば、きっとこの直感力だと綱重は思う。
 突然現れたユニという少女の腕を引いたのは殆ど反射だった。彼女を白蘭に渡してはならない、そう感じた。
「きゃっ」
 綱重に強く引いたつもりはなかったが、少女の華奢な体は、簡単によろめいた。態勢を崩したユニは綱重が誘導するまま、たたらを踏むように進む。
「えっ、な、なんで……!?」
 胸に飛び込んできた少女を抱きとめて、ツナは当然あたふたするばかりだ。
「綱吉クンに無理矢理ナイト役をさせる気かい?」
 そう肩を竦める白蘭は、相変わらず余裕に満ちた姿に見えるが、そこに、ほんの僅かな焦りのようなものが含まれていることを綱重は敏感に感じ取る。
 ユニがおしゃぶりを輝かせてみせてからは、より顕著な反応が現れた。ボンゴレリングを返してもいいと交換条件を口にしたのだ。
「綱重クンも皆を説得してくれないかな。君たちにとっても悪い話じゃない。観戦しながら、僕たちと綱吉クンたちの力量の差は把握したよね?」
「――確かに。リングを持ったまま過去に戻り、体制を整えて、十年前のお前を殺す。その方が勝算はありそうだ」
 一度言葉を切り、銃を取り出してから、続きを紡ぐ。
「ただし、お前が本当に約束を守るならば、だが」
 そもそもこのチョイス自体がとんだ茶番だった。ゲームに勝ったところで白蘭が素直にリングを渡すはずがない。取り引きをするにはあまりに信用のおけない相手だ。
 白蘭も、約束は必ず守るなどと薄っぺらい嘘を並べる気はないらしい。
「ザンザスくんが10代目になるためにはどうすればいいか、教えてあげようか?」
 その名前を出されて、反応を抑えられるはずもない。見開かれた琥珀色の瞳に、白蘭は「取引材料は山ほどある」と言いたげな笑みを差し向ける。
「パラレルワールドにはそういう道を辿った世界もあるのさ。もちろん君が10代目をしている世界もある。まっ、君の場合には、“10代目じゃない世界”は存在しないんだけど」
 顎に手を当て、わざとらしく思案してみせて。
「んー。幼少期に暗殺されている確率が七割、跡目争いに敗れて死ぬのが二割、かな。そんな確率のなか無事に生き延びてボンゴレ10代目になった綱重クンは例外なく聡明で話のわかる子でね。だから僕は、君が10代目をしている世界では必ずボンゴレファミリーと同盟を組むんだ。お互いに犠牲を出さずに済むのならそれが一番でしょ? あと僕たちって結構相性がいいし」
 平行する世界の知識を共有できるなんて信じ難い話だ。けれども、事実であるならば全て説明がいく。妙に馴れ馴れしい態度も、こちらのことを何もかも知りつくしていると言わんばかりの言動も。
「綱吉クンが継いだボンゴレ。ザンザスくんが乗っ取ったボンゴレ。その他の人間が動かしているボンゴレ。そのどれもに君の姿はなかった。死ぬか、10代目になるか。零か百か。極端な人生だ。――君はどちらの人生を歩む?」
 柔和な笑顔と共に差し出される手。平行世界の自分がその手を握っている場面が脳裏を過った。白蘭が語った別の自分について、嘘ではないのだろうと綱重は思う。何かが違えばそんな未来もあったかもしれない。
 でもそれは、この世界の、今ここに存在している綱重にとっては、決して有り得ない“もしも”だ。
「お前の言う通りにするくらいなら死んだ方がましだ。それに、誰かの助けなんかなくてもザンザスはボンゴレを手に入れる!」
 しっかりと目を見開いて狙いを定めた。ルドルフの背に跨りながら、頭の中で何度も何度もこの瞬間を描いていたからか、手の震えはない。
 白蘭の額目掛けて、銃弾は放たれた。

×

 転送装置を強制的に作動させたからだろうか。転送時の衝撃は行きに比べて大きかった。綱重が無事に着地出来たのはスクアーロのおかげだ。抱きかかえてもらわなくても、弟のように木の枝にぶら下がったりはしなかったと綱重自身は思っているが。
 大丈夫かと尋ねる声に、先ほどから再三繰り返している言葉をもう一度ぶつける。
「僕の匣を返せ」
 放った銃弾は、桔梗と呼ばれていた男に軽々と弾かれてしまった。ルドルフでなら殺せたとまで言う気はないが、少なくとも今、武器が必要な状況であることは間違いないのだ。
「後でなぁ」
 変わらない答えをスクアーロは返す。
 そんなことを言って返す気がないのではと怪しむ綱重に、こう続けた。
「お前がここに居ることをクソボスに報告してからだ」
 咄嗟に逃げ出した綱重は今までにないスピードであったがヴァリアークオリティには敵わなかった。

「往生際が悪いぞぉ」
 ボンゴレアジトの通信室。逃げることは諦めたようだが部屋の隅から動こうとしない綱重にスクアーロは何度目かの溜め息を吐いた。
 ところが、通信に応じたのがルッスーリアであった為か、いきなり消えた綱重を怒るわけでもなくただただその無事を喜ぶ姿に思うところがあったのか。スクアーロが促す前に、綱重は自らモニターの前に姿を見せる。
「一体何があったの? ボスと喧嘩でもした?」
「……ザンザスは何か言ってたか?」
「いいえ。怒ってるのは確かだけど……私ね、死を覚悟しながらあなたが居なくなったことを報告したんだけど、ご覧の通りピンピンしてるでしょう? 殴られも蹴られもしないのが逆に恐ろしくて堪らないのよ! あんなのボスじゃないわー! いやー!」
 ガクガクと身を震わせるルッスーリア。大袈裟だと言わんばかりにスクアーロが一喝する。
「ピンピンしてるならすぐにボスに伝えろぉ!」
「はーい。綱重が日本にいるってしっかり伝えるわねン」
「う゛お゛ぉい!! 敵がいることもだぁ! ガン首揃えてやがるんだからなあっ!」
 それについては最初に伝えたときと同じく、ルッスーリアは難色を示す。
 だが、ザンザスが日本に来ることを綱重は確信していた。綱重がここにいることは関係なく、敵をまとめて葬り去れる機会を彼が逃すはずがないから。
 ルッスーリアはザンザスが怒っていると言った。
 怒られるのは覚悟の上だ。殴られるのも、蹴られるのも、物をぶつけられるのも、恐くはない。
 ギュッと拳を握ったそのとき、ルッスーリアとの通信が途絶えた。鳴り響く警報。次いで、爆発音。
 通信室を出てすぐに綱重たちは敵と遭遇する。
 真6弔花の一人、ザクロだ。
「スクアーロ!」
「弟たちと一緒に逃げると言え。でなければ匣は返せねえ」
 綱重に選択の余地はなかった。
「わかった。逃げるから、ルドルフは返してくれ」
 投げられた匣を受け止め、綱重は俯く。
「……スクアーロ、ごめん」
 しおらしい謝罪にスクアーロは僅かに微笑んで返した。
「いいから早く行けぇ」
 今はこうする他ない。すでに走り出していた少年たちの後に続く。
 途中、ツナが一度不安に駆られて振り向いたとき綱重は確かに最後部を走っていた。

 神社とはまた別の出口から地上に脱出し、次の目的地を定めたところで、ツナは気が付いた。
「――あれ? 兄さんは?」
「はひ!? さっきまで、ハルたちの後ろに居ましたよね?」
 キョロキョロと辺りを見回す少年少女たちにラル・ミルチは眉を顰める。
「綱重がここに来てるのか? ということはザンザスたちも?」
「チョイス会場にいつの間にか……えっと、一人で来たみたいで、スクアーロとすごい言い合いをして……っていうか、今さっきまでここにいるのをラルも見てたはずじゃ、」
 ハッとした様子で言葉を切ると、ツナは心配そうに彼女を見つめた。すぐ近くを走っていた兄の姿も視認できないほど体調が思わしくないのかと思ったのだ。しかし気遣いの言葉は、発する前に突っぱねられてしまう。
「お前たちが幻覚を見せられていただけだ」
「幻覚?」
「綱重の属性は大空だ。全ての属性の匣兵器を開けることができる。十年後のヤツも霧の匣兵器を多用していた」
「でもそんな、一体何のためにオレ達に幻覚なんか、…………ッスクアーロのところに戻ったんだ!」
 アジトの出入り口を振り返るツナ。思わず来た道を戻りかけた彼の足は、地響きと爆発に制された。
「兄さ、」
 伏せた体をすぐに起き上がらせて、アジトに向かいかけたツナの体をラル・ミルチが引き止める。
「綱重は匣兵器をいくつ持っていたっ? その中に柊が装飾されたものはあったか!?」
「はあ!? 今はそんなこと言ってる場合じゃ、」
「答えろッ!」
 彼女の鬼気迫る表情に気圧されたようにツナは口を開く。
「一つしか見てないし――他にも持ってるかもしれない――装飾までは見えなかった。でもなんとなくクリスマスっぽい感じの、」
 そこまで話すと、彼女は少しだけ表情を和らげた。無論、緊張感は保ったままであることは言うまでもないが。
「……不動産屋へ行くのだろう」
「ラルッ、でも……!」
「綱重は大丈夫だ。逃げるくらいのことはできる」
「何でそんなことわかるんだよっ」
「いくら焦っていたからと言って、お前たち全員が綱重の幻術にかかった。属性の違う匣をそこまで操るには相当の炎が必要だ」
 この十年後の世界では兄の家庭教師をしているという彼女の言葉には、説得力と、教え子に対する信頼が含まれている。不安を全て消し去るほどのものではないし、状況は悪くなるばかりだ。スクアーロからの通信が入っても綱重については一切触れることなく“逃げろ”と――それだけ伝えて途絶えてしまった。
 だからツナは、ラル・ミルチの言葉を信じるしかなかったのだ。


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