32

 ルドルフの気持ちを理解することが出来た綱重だが、霧属性のアンバランス匣についても、この数日で色々と解ったことがある。
 構築した幻覚が無機物ならば数時間は持つこと。それが人間ならば数分しか持たないこと。ただし、人であっても複雑な動きや受け答えの出来るものではなく、最小限の行動しかしない(一定方向に走り続けたり、座っているだけだったり)という制限を設けたり、幻覚を見せる対象者を一人に絞ることで、出来るだけ長く幻覚を見せられること。
 ――晩餐の準備をするルッスーリアの目には、綱重が部屋の隅で大人しく雑誌を捲っているように見えているはずだ。
 ザンザスは“わかった”と言っただけで了承はしていない。だから、綱重はこうしてルッスーリアを出し抜かなければならなかった。ルッスーリアには悪いことをしたと思っている。十年経って少し丸くなったらしいザンザスだから、殺しはしないだろう。……多分。
 気配を消し、暗い廊下を進む。選んだのは北側に大きな窓のある部屋だ。
「一時間は稼げるといいんだけど」
 呟きの小ささは、そのまま自信の無さを表している。三十分持てば御の字だ。もたもたしている時間はない。早速開匣し、指示を送った。
「ソリを出してくれ」
 ルドルフが大きく瞬きをする。
 綱重は焦れた様子で繰り返した。
「ルドルフ、時間がないんだ。ほら、角を出すのと一緒でソリも出せるんだろう?」
「……」
「……」
「……」
「……っ痛!」
 角のない額でも思いきり頭突きされたら堪らない。脇腹を押さえながら、綱重は己の勘違いに気がついた。
「も、もしかして背中に乗るのか? 直接? トナカイなのに? ソリじゃなくて? 本当に?」
 ごくりと唾を飲み込み、獣の逞しい背中を見つめる。見る限り、安定感はありそうだ。しっかり掴まっていればそうそう振り落とされたりはしないだろう。
 綱重には乗馬の経験だってあった。遊園地のふれあいコーナーでポニーに乗ったことを乗馬と呼んでもいいのならば。
「ッ、わかった、わかったから! 乗るってば!」
 頭を低くして今にももう一度頭突きをしてきそうなルドルフの背中に、綱重は飛び乗った。

×

 快適な空の旅とは言い難いが、思った以上にスピードがある。小回りもきき、一時間もしないうちに、ボンゴレ本部のある場所から山を二つ越えることができた。
「少し明かりが欲しいな……」
 あまり高く飛びすぎては見つかる恐れがあると思い、現在は地面から二メートルほどの位置を低空飛行しているのだが、鬱蒼と茂った木々の所為で辺りは真っ暗だ。まるで真夜中のようである。ルドルフには何の影響もないようで、障害物を上手い具合に避けて進んでくれているものの、行き先を指示するのはあくまでも綱重だ。ルドルフの四本の足に灯る炎は進行方向までは照らしてくれない。このままでは迷いに迷って、ボンゴレ本部に後戻りしかねない。
「止まれルドルフ。そして“ピカピカのおはな”だ!」
 綱重の明らかにワクワクした様子の所為か、それとも間の抜けた技名の所為か、ルドルフは意味あり気な表情で背に乗る主人を振り仰いだ。
「なんだ? わからないのか? あ、十年後の僕は別の呼び方をしていたのかな? ……シャイニン、」
 それ以上は聞きたくないとばかりにルドルフの頭から角が生える。
「うわっ!? いきなりなんだよ!? というか、角は出さなくていいから。このまま飛んだら木の枝にぶつかったりして大変だろう? 明かりは鼻の炎だけで充分だ」
 ルドルフは少し考え込む仕草を見せたのち、角をしまった。だが同時に鼻の炎も消えてしまう。
「……? ……お前、まさか……」
「貴様、何者だっ!」
 突然強いライトに照らされて綱重は眉を寄せた。
「その服はヴァリアーか! くそっ」
「落ち着け、相手は一人だ!」
「仲間が隠れているかも……ッ」
 光源には少なくとも五人以上がいるようだ。声の調子から、彼らがヴァリアー、そしてボンゴレと敵対していることがわかる。
 ベルとレヴィが連日出かけるのは、ミルフィオーレの残党狩りをしているからという話だった。彼らのような者たちを始末していたのだろう。
 逃げてもいい。ルドルフの速さならば逃げきれる自信はある。だが。
「初めての実戦だ」
 相棒の首元を撫で、そっと囁く。
「覚悟はいいか?」
 この場にいる全ての者――綱重自身も例外なく――に向けたセリフが始まりの合図だった。
 ライトが消えた闇の中にボッ、ボッ、と色とりどりの炎が浮き上がる。ブーツに灯った炎は、ルドルフの背に乗る綱重よりも高い位置に彼らの体を押し上げた。赤色が多い。数は七、いや八か。嵐属性を中心とした分隊。綱重が冷静に分析する中、ルドルフが駆け出した。先程の何倍ものスピードで。
「えっ」
 一度瞬きする間に、綱重の目前にはマスクを被った敵の顔が迫っていた。
「ヒィッ……!」
 短い悲鳴をあげて腕を振り上げる男。匣兵器を開匣するためではなく、自身の身を守るための本能的な防御行動だ。そんな彼に負けず劣らず、綱重も、ルドルフの行動に怯んでいた。振り落とされなかったのが不思議なほど。太い幹のようなトナカイの首にしがみついたのはただの反射である。そして次の瞬間、一言の指示を送ることもなく、綱重は勝利を収めていた。
 燃え盛る林を思わせるルドルフの角から橙色の炎が噴き出したのだ。放射状に広がった炎はあっという間に分隊を飲み込んでしまう。悲鳴は上がらなかった。大空の炎の性質は調和。炎は飲み込んだ全てを同化させ、灰燼に帰す。
「え、ええっ?」
 困惑の声が綱重の口から零れたのは、呆気なく転がり込んできた勝利の所為ではなく。
「ッ……!」
 敵を一掃した途端、相棒が何の断りもなく匣の中へと戻っていったからである。落下の衝撃を和らげるため、わざと枝に接触するよう体を捻る。枝を二本ほど折りながらも綱重は何とか無事に地面に降り立った。顔や手に擦り傷はあるものの大した怪我ではない。ふう、と息を吐いて力を抜く。
「鼻だけを光らせることは出来ない。角を突出させた状態は戦闘態勢であり、パワーとスピードが段違いにアップする。だが炎の消費量も上がる。特にあの大技は一度が限界――ということだな」
 増えた知識を整理するため並べた言葉に、匣が大きく一度震えた。まるで「そうだ」と頷くかのように。ただし、続く「技の名前を考えなくちゃ」という呟きには沈黙を通すルドルフであった。
 短い戦闘だったが得たものは非常に大きい。知識と自信、戦う上で重要な二つを手に入れた。
 収穫はそれだけではなかった。
 茂みが揺れる微かな音を聞き取り、綱重は顔をあげる。風が揺らすのとは違う、誰かが駆ける音だ。
「――ルドルフ! 行け!」
 再び匣からトナカイを出し追跡させる。戦闘態勢で無いルドルフでも、人の足に負けるはずがない。一分もかからず、頼もしい相棒は綱重の元に“生き残り”を連れてきた。
「殺さなかったのか?」
 昏倒しているが息はある。脈を確認するまでもなく、薄い胸が上下しているのがわかった。
 先程の男たちに比べて小柄な体格。ルドルフに捕らえられたときに落としたのかマスクもしていない。その幼い顔つきは、ベル――十年後の、ではなく――や、もしかしたら弟たちと同い年くらいに見えた。
 懐の拳銃に手をのばしたが、結局、少年の命は奪わずに先へ進むことに決めた。始末すべきなのはわかっている。けれど、どうしても引き金を引くことが出来なかった。
「……ん、なんだよ」
 ルドルフが肩口に頭を擦り寄せてくる。何が言いたいのかは読み取れなかったが、お返しに頭を撫でてやってから、その背に跨がった。

 イタリアから日本まで、匣兵器だけで渡るのは難しい。角のない、鼻に炎を灯さない状態のルドルフであれば、スタミナの問題は大幅にカバーされるものの、それでも不安は残る。また、海を渡るだけで疲れきってしまっては何の意味もない。目的は日本に渡った後にあるのだから。
 つまりスクアーロがそうしたように、綱重も船を“ヒッチハイク”する必要があった。民間の船を襲うのはあまり気が進まなかった綱重にとって、ミルフィオーレの旗を掲げた船を発見できたことは思いがけない幸運だった。
 船の規模は然程大きくなく、指揮官さえ抑えれば掌握は容易だと判断する。唯一危険があるならば、海上を行く船に乗り込む瞬間ぐらいだろう。慎重に、見つからないように、乗船さえ出来れば後は簡単だ。少年から剥ぎ取っておいたミルフィオーレの隊服が役に立った。難なく指揮官に近付き、船を乗っ取った綱重は、すぐさま日本へと舵を取らせる。
 そうして二時間ほど経った頃。
「――やあ、綱重クン」
 白蘭から通信が入っても綱重は特に驚かなかった。寧ろ遅いくらいだと感じていた。
「おかしな動きをしている船があるって聞いて、すぐにピンときたんだよ。その前にも報告を受けていたしね。“強力な大空属性の匣兵器を使うヴァリアー隊員に襲われた”って。ダメだよ、ちゃんと皆殺しにしなくっちゃ」
 ミルフィオーレの船を狙った時点で、白蘭に気づかれる覚悟はできていた。あの少年を殺さないことで起こる不利益も同様に。
「やっぱり10代目じゃない君は甘ったれだね。珍しくその年齢まで生きてるんだから、もっと強かだと思ったのに」
「……? どういう意味だ」
 白蘭は笑みを深くするだけで答えない。
「あ、でも十年後の君はそうでもなかったなー。単に今はまだお子さまなだけ? ザンザスくんとも寝てないみたいだし」
 馬鹿にされているということだけ理解して、唇を引き結ぶ。こんな、ほんの僅かな反応でも白蘭を喜ばせてしまうことが腹立たしい。
「並盛神社で綱吉クンたちと約束があるんだけど、よかったら君もおいでよ」


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