12

 本来ならこの豪華な部屋の主である男。彼は今、強制的に床に跪かされていた。
 目前には男がいつも腰掛けている椅子がある。今は、未だ顔に幼さの残る少年が踏ん反り返ってそこに座っている。
 まるでレストランで店員を呼ぶかのような自然な仕草で、少年が軽く手を上げる。すると二つの生首が男の前に投げ出された。
「……!」
 悲鳴を漏らさなかったのはマフィアとしての矜持からだろうか。しかし、単に声すら出ないほど怯えていたのだとしてもおかしくないくらい、男の顔は青ざめていた。
「この男たちに僕の暗殺を依頼したのはお前だな」
「綱重……これは何かの間違いだ。私は何も、」
「黙れ」
 二人の年齢差は半世紀近くあったが、そんなことは関係なかった。男――カプラはすでに己が支配される側であることを理解していた。そして、目の前の少年がこれからどれほど残酷な結果をもたらそうとしているかも。邸内のあちこちから聞こえてくる部下たちの悲鳴と、顔の判別がきかないぐらい焼け爛れた二つの生首を見れば明らかである。
「次に殺し屋を雇うときはオレたちみたいな一流の者を雇うんだなぁ。こんな風にターゲットに仕返しされないように。……次があれば、だが」
 カプラの首に剣をあてがいながらスクアーロが皮肉げに笑った。
「わ、私は何をすればいいっ!? 何でもする! 言ってくれ、君の望むものを何でも、」
「それが取引の材料になると本気で思っているのか? お前が僕の為に働くのは当然だろう」
「……そ、それは……っ」
「違うか?」
「……いえ……、綱重、様……私の全ては貴方の為に……」
 忠誠を誓い、その証しとして靴の爪先に口付けを落とす。恐怖と屈辱、二つの感情から男の声と体は震えていた。
 冷めた目で男の後頭部を見下ろしていた綱重がゆっくりと口を開く。
「いいだろう。では、カプラ。まず最初にお前がやらなければならないことは……」
「おいっ! この女が貴様に会わせろと煩いから連れてきてやったぞ!!」
 扉を開けたのではなく蹴破ったかと思うほど大きな音を立てて現れたのはレヴィだ。脇には、さめざめと涙を流す黒髪の美女を抱えている。
「う゛お゛ぉい!! てめえ、なに色仕掛けに引っかかってんだぁ!」
「なっ!? し、失礼なことを言うな! この俺が女ごときに惑わされるわけないだろうッ」
「そういう台詞は鼻血を拭いてから吐きやがれ!」
「ハッ! ……こ、これは、別に、俺の腕に女の胸や尻が当たったからではない! 断じて違うからなっ」
 明らかな嘘をつきながら袖で鼻血を拭うレヴィに、スクアーロは怒りと呆れの入り混じった表情を浮かべている。これさえなければレヴィは間違いなくヴァリアーで一、二を争う優秀な暗殺者だっただろうに。
 するりとレヴィの腕から抜け出して、セレーナが綱重に駆け寄った。
「私、本当はあんなことしたくなかったのよ! 父に無理矢理やらされていたのッ。お願い綱重、助けてちょうだい!」
 綱重の足元に当の父親がいるのが見えているはずなのに、よく言えるものである。とはいえ、父親の方も、邸内で大量虐殺が行われているのに気づいていながら娘を気にかける様子は一切なかったのだから、これがこの家の教えなのかもしれない。自分が助かる為なら血の繋がりすら捨てる、と。
 憐れを誘う仕草で、涙の跡が残る頬を綱重の胸に押し当てるセレーナ。
 白けきった目でそれを眺めていたスクアーロだが、いつまでも綱重が彼女をそのままにしておくので、堪らず不安の声を上げた。
「まさか、お前……」
 涙は女の武器というが、こうも簡単に引っかかる上司では困る。懸念する視線を受け取った綱重は慌てて首を横に振った。
「いや、なんだか感じが違うと思って」
「そりゃあ今はその女が性悪だって分かっているからだろぉ」
「いや、性悪なのは初めて会ったときから分かっていたんだ。上手く隠してはいたけど、僕を見下していることも。そこが魅力的だった。……ええと、セレーナ、本当に君なのか? 影武者じゃあなくて?」
 スクアーロが顔を顰めると同時に、セレーナが綱重の唇を奪う。
「このキスを覚えているでしょう? 間違いなくあなたのセレーナよ。私たち、あんなにも激しく愛しあったじゃない」
 綱重の顔付きが変わった。しなだれかかる体を押し退けて、きっぱりと言い放つ。
「あなたを愛した覚えはないし、あなただって僕を愛してはいなかっただろう。そんなこと、軽々しく言うのは感心しない」
「綱重……? ちょっと待ってよ、ねえ、」
「スクアーロ、彼女を連れて行ってくれ。話が進まない」
「始末していいんだな?」
「作戦に変更はない」
「皆殺しかぁ」
「そうだ」
 困惑で彩られていた顔から血の気が失われる。一瞬のことだった。
「――女の趣味が悪い上に面倒くさい奴だ」
 スクアーロの評価はセレーナの悲鳴に掻き消され、綱重の耳には届かない。

×

 深夜、黒衣の集団が寝室に押し入ってきたとき、ミゲルは当たり前だがベッドの中にいた。警備は万全だった。戦場という過酷な環境で戦い抜いてきた屈強な男たちに最新の銃器を与え、この国の官邸ですら敵わないほど厳重な警備システムを敷いていた。しかしミゲルは、ベッドから引き摺り下ろされるまで彼らが侵入してきたことに気がつかなかった。
 それが、彼らが名乗った部隊名が嘘でないと証明していた。ヴァリアー。あのボンゴレファミリーが誇る伝説の暗殺部隊。
「な、なぜだ!?」
 ミゲルには襲われる心当たりがあった。だが問わずにはいられなかった。当代のドン・ボンゴレは穏健派で、現在ヴァリアーは活動していないという話だったのだ。ボンゴレファミリーの幹部に聞いたのだから間違いない。
 更にもう一つ、ミゲルが襲われるはずがない、大きな理由があった。
「……僕の要求はそれだけだ。三つの組織を統合し、世界最大級の麻薬カルテルを作り上げた手腕ならば不可能ではないだろう?」
 ヴァリアーのボスだという少年――これについてもミゲルは信じられなかった。まさかこんな子供が最強の暗殺部隊を率いているだなんて――の言葉に、ミゲルは大きく頭を振る。
「だから! それはカルロスのことだ! 俺はカルロスの弟だから幹部になれただけで、ただの太鼓持ちさ! カルロスが何をしていたかなんて全然知らな、ッうがぁっ!」
 横っ面に蹴りを食らいミゲルは床に倒れこんだ。蹴り自体は大した威力ではなかった。少年のブーツに灯る炎が、決して華奢ではないミゲルの体を吹き飛ばしたのだ。これが噂に聞く死ぬ気の炎。口の中に血の味が広がる。
「カプラに呼び出させた場に、カルロスが現れたときには驚いた。まさかボス自ら足を運んでくださるとは思わなかったからな。手間が省けたと喜んだよ。でもよく見たら違和感があったんだ。こいつはボスの器じゃあない、と。そして資料を見返してピンときた。本当のボスはミゲル、お前だ」
 確信に満ちた声だった。
「もう一度言うぞ。カルテルを一つ潰しても、台頭してきた別の組織が売買ルートを乗っ取るだけ。結局は何も変わらない。それでは何の意味もないんだ。だから、麻薬をやらない組織として生まれ変われ。地域の平和を守り、お前が今まで踏みつけてきた弱者を守る組織に」
「そ、んなこと……」
「出来ないと思うか? いいや、死ぬ気でやれば出来るはずだ」
 琥珀色の瞳は子供らしく大きくて、けれども酷く冷たい輝きでミゲルを見下ろしている。
「死ぬ気で頑張るか、今すぐ死ぬか。どっちにするんだ?」


 異国の地を飛び立ったヴァリアー専用機内は明るい雰囲気に包まれていた。ミゲルの邸宅襲撃後も、カルテルの幹部宅、麻薬工場と立て続けに大暴れしたおかげで、幹部たちは今まで溜め込んでいたフラストレーションを発散できたようだ。メキシコからイタリアまで、空の上の密室で過ごさなくてはならないことを考えると、幹部たちの機嫌がいいのは綱重にとって実に有難かった。
 前方の座席ではルッスーリアがマーモンに話しかけている。
「超直感がない私でもミゲルが真のボスだってわかったわ。ほら、大抵は兄弟の下の方が優秀じゃない。王子様を射止めたのは意地悪な姉たちじゃなくシンデレラだし」
「シンデレラの姉って継母の連れ子だろう? 関係無いじゃないか」
「んもう。水ささないでちょうだい!」
「ま、でも間違いじゃねーな。オレも兄貴に余裕で勝利したし」
「悪い子よね。お兄さんを刺し殺しちゃうなんて」
「仕方ないだろ。ゴキブリと間違えちまったんだから」
「しかも王位を継ぐわけでもなく、こんなところでフラフラしてるんだから国の人間としては堪ったもんじゃないだろうね」
「そんなの気にしてらんねえっつうの! オレはオレがやりたいようにやるだけ!」
「ワガママだね」
「だってオレ王子だもん」
 ベルも加わって、和やかな会話(内容はともかく)が交わされている機内で、綱重は最後尾に座り、手紙を読んでいた。
『綱重が挑戦しようとしていたのはスイミングだったのね!』
 母への近況報告の手紙に、泳げるようになったと書いたら――もちろんそこに至るまでの経緯は伏せた――このような返事が来たのである。
 そういえば少し前にそんなことを書いたような気もするな、と綱重は記憶を辿る。あれは、ヴァリアーの本部に久しぶりに足を踏み入れた日だっただろうか。詳細は話せなくても、決意を誰かに聞いて欲しかったのだと思う。
『すぐに泳げるようになるなんて、さすが母さんの自慢の息子。ツっ君にとっては自慢のお兄ちゃんね。綱重がオリンピックに出場する日が楽しみです』
 オリンピックは飛躍しすぎだと思ったが、何にせよ母の気持ちが嬉しかった。母は綱重が暗殺部隊のボスをしているなど知る由もない。けれども心から綱重のことを応援してくれている。それだけは確かな真実だ。
「う゛お゛ぉい! 綱重、兄の立場から一言ねえのかぁっ?」
 まさか話を振られるとは思っておらず、驚いた拍子に読んでいた手紙を握り潰しそうになる。ちょうど、母からのものに続き、弟からのメッセージを読んでいたので、“兄”という単語に過剰に反応してしまった。
「お前、弟居たのかよ?」
「妹っていう可能性もあるわよ」
「何だと! そいつもボスの座を狙っているのか!?」
「レヴィ、暴れるなら飛行機の外でやってくれないか」
「パラシュート無しでな! しししっ」
「ッ、貴様ら、俺を馬鹿にしているだろう!?」
 このままでは殺し合いに発展しそうなので、仕方なく問いに答えることにした。
「弟もボンゴレの血を引く者として、10代目候補に名が挙がっている。だが形だけだ」
 弟の拙い文字を――帰ってきたら泳ぎを教えてね、と書いてある――指でなぞってから、手紙を懐にしまう。いつも通りそこにある大切な写真と共に。
「弟はマフィアにはならない。僕がさせない」

 最強の赤ん坊が日本で家庭教師の任につく、数年前の話である。

fine.


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