11

 同じ敷地内にあるはずの温室だが、パーティ会場の喧騒は遥か遠く。
「世界には僕らしか居ないみたいだ」
 綱重の言葉にセレーナはクスクスと笑みを漏らした。初めて会ったときとは違うドレスだが、今夜もやはり情熱的な赤い色に身を包んでいる。彼女の艶やかな黒髪にキスを落とし、美しいな――綱重は素直にそう思った。
 ドレスは脱がさないまま、体を重ねた。万一、人が来ても取り繕えるようにだ。だが心配しなくとも、彼らは、きちんと行為が終わるのを待っていてくれたらしい。
 綱重の頭に銃が突きつけられたのは、彼が服の乱れを整え終えた直後だった。
「やはり、あなたの父親が密輸に関わっているんですね」
 動揺のないセレーナの顔を見て、綱重は小さく溜め息を吐いた。この様子では、彼女も父親のしていることを承知している。綱重に近づいた理由も父親の指示に違いなかった。
「さあ? 私、難しいことはよくわからないの。知りたくもないわ。ただ、お父様の言う通りにしているだけで……。ああ、私を恨まないでちょうだいね。最期にイイ思いもさせてあげたんだし。あなた、なかなか素敵だったわよ」
 うふふ、とセレーナが笑う。
 綱重は二人組の男たちが指示する通り、武器と携帯電話を彼らに渡し、目隠しと手錠をされた状態で車に乗り込んだ。いや、正確に描写するならば、車のトランクに詰め込まれた、だ。

×

「この辺で良いんじゃあねえか?」
 波の音と船のエンジン音が響く中、より綱重に近い位置にいた男が言った。それに対する返事は聞こえなかったが、もう一人もどうやら賛成らしい。船が停まったこと、また、男がこちらに近づいてくるのを感じた。彼が胸元から拳銃を取り出そうとしていることも。
 綱重は気づかれないようこっそりと、後ろで拘束されている両手の具合を確かめた。
「さてさて……あんたももう心の準備はできてるよな? 大人しく成仏してくれや」
 銃を構える音。
「申し訳ないが、お断りだ」
「なっ!?」
 目隠しをされたままでも気配と声を頼りに大体の位置を把握できる。銃を持った男に思いきり体当たりを食らわせた。運良く男の手から銃が放れ、海へと落ちる。男がよろめくと同時に船も大きく揺れ、男たちは慌てて船端にしがみついた。一人揺れに備えていた綱重は、その間に手錠を外し、目隠しを取りさる。
「てめえっ!」
 相手も素人ではない。すぐに態勢を整え、二人同時に飛びかかってきた。
 三発ずつ、二人の男それぞれの顔に拳を打ち込んだものの、どれも決定的なダメージにはならない。反撃を食らった綱重が、先ほど男の手からすり抜けた銃のように、海へと転落するまでそう時間はかからなかった。
「……、ッう、あ……!」
 バシャバシャと綱重の両手が水面を叩く。綱重はなんとか体を浮かせようとしているのだが、沈みきるのを堪えている風にしか見えない。恐らく、初めて水に浸かった猫でももう少し上手く泳げるだろう。あまりにも無様な姿に男たちは声をあげて笑った。
「ハハッ。こりゃあいい! 泳げねえっていう情報は合っていたみたいだな。手間が省けたぜ!」
「馬鹿なやつだ。撃ち殺された方が苦しまずに済んだっていうのによ」
 嘲笑を残し、男たちを乗せた船は旋回、そして物凄いスピードで走り去った。
 船のスクリューが起こした波に引き込まれた綱重がようやく波間に顔を出したときには、男たちがどちらの方向に向かったのかわからなくなっていた。
 夜の海は真っ暗で、陸地など見えるはずもなければ、近くを行く船もない。三百六十度全てが海だ。その中で綱重だけがポツンと浮いている。
「はっ……あははッ……浮い、てるぞ、沈んで、ない……!」
 大丈夫。泳げる。前に進める。
「……“死ぬ気”になれば、泳げるもん、だな……っ」
 とりあえず今すぐ溺死することはなさそうだ。
 感覚的に、車の中で過ごした時間は一時間足らず。あの場所からその所要時間で辿り着く港といえば一つしかない。船が進んだ距離はどれくらいか……あのくらいの小型船舶の最高時速は……。必死に考える。頭が動くうちに。
「北は、あっち」
 幸いに星だけはよく見えた。

 急がなければならない。わかってはいるが、海水を吸った服が体の自由を奪い、また、迫りくる波が行く手を阻んだ。
 体の震えが止まらなくなってどれくらい経つだろう。震えは、冷えた身体に発熱を促す生理的な反応である。次第にそれだけでは持たなくなってきたらどうなるか。体の熱が奪われるのと同時に、手足の感覚がなくなっていく。心臓や脳といった、より重要な器官へと優先的に血液が送られていくからだ。生存する為、肉体が勝手に腕や足を切り捨てる。皮肉なものである。動けなくなったら、それこそ終わりだというのに。
「はっ……はあっ……」
 大きな波が、まるで死そのもののように、綱重の体に何度も何度も襲いかかる。
 思うように体が動かなくなり、一分の間に進める距離は短くなり、それでも前に進むしかない。本当に進めているのか不安に感じはじめた頃、道端で惨たらしく死んだ少女のことを思い出した。彼女は最期のときに何を思ったのか。今の自分のように、取り留めのないことを思い出したりしたのだろうか。
 ボンゴレファミリーの幹部たちの前で熱い演説までしたけれど、実のところ、綱重は事件に対しそれほど憤りを感じていたわけではない。若くして亡くなった少女に向ける同情の心は、9代目が抱いたであろうものと比べたら無きに等しい。彼女のことを知ったとき、まずはじめに思ったのは、9代目の関心を引ける事例があったということだけだった。
 果たして、少女を死に追いやった連中と自分は何が違う?
 きっと何にも変わらない。どちらも自分の利益のため彼女の命を利用した。これは、その報いなのかもしれない。
 ここで死ぬのか。誰にも知られず、冷たい海の底に沈むのか。あんな奴らの手によって――。
 違う、と首を振れば冷たい海水が頬を叩く。
 ――違う、違うんだ。僕がここで死ぬのは、僕自身の弱さが原因だ。危機を回避するチャンスはいくらでもあった。彼女の誘いを断ることも出来た。逆に「パーティを抜け出して僕の部屋へ」と誘っても、きっと計画は中止された。
 トランクの中で、船上で、期待した。もしかしたらあの時みたいに、助けにきてくれるんじゃないかって。だっていつも何だかんだ言いながら助けにきてくれたから。
「……ザン、ザス……」
 ヴァリアーを選んだのは、幹部たちが本当にザンザスの守護者に相応しいか、この目で確かめたかったからだ。ザンザスの人を見る目を疑うわけではないが、あまりに凄い――良くない意味で――評判ばかりで、気になった。実際に会ってみての感想は、評判以上に凄い奴らだったのは言うまでもなく。もちろん良い意味でだ。
 それから大事なことがもう一つ。
 ザンザスの居場所を見つけることだ。彼が今どこで何をしているのか、幹部たちなら知っていると思った。それを探るため、綱重はスクアーロに接触したのだ。
 どこかすぐ近くにいるような気がしていた。もしもザンザスがヴァリアーのアジトに居たとしても綱重は驚かなかっただろう。そうでなくとも、ザンザスが選んだ者たちの側にいれば、すぐにザンザスに会えるんじゃないかと考えたほどに。
 こうなってようやく、ずっと理解することを拒んでいた心が降伏する。
 全て自分で何とかするしかないのだ。ザンザスは来ない。ザンザスは助けてくれない。――ザンザスは、手の届かない遠い場所にいる。
「ふっ……うう、あ、アア……」
 溢れた涙はすぐに波に浚われていった。どちらにせよ酷く塩辛くて堪らない。
 泣いて、最後の体力を消耗したようだ。限界だった。
 父、母、弟。家族の顔が浮かんですぐに消えた。残ったのは、最期に想うのは、やっぱり彼のことだけ。
 ……ザンザス……。
 ……。
 ……。
「――う゛お゛ぉい! 寝てんじゃあねえぞぉおっ!」
 沈みかかった体が海面に引き戻され、その拍子に手放しかけた意識も戻ってきた。尤も、しっかり掴まれだの、海なんかに落とされてんじゃねえ助けるのが面倒くさいだろぉだの、人工呼吸は御免だ!だのと耳元で怒鳴り続けられては気を失っていたくても無理な話だ。
 海の中でも騒がしい剣士に脇を抱えられて、船上に引きあげられてからも、綱重は暫く事態を把握できなかった。渡された毛布に包まりながらスクアーロを呆然と見つめる。
「ど、うして……」
「こいつの粘写で位置を割り出したんだぁ」
 言われてはじめて、船の上にもう二つ、人影があることに気がついた。
「これで減給処分は取り消してもらえるよね? あ、臨時ボーナスも期待してるから」
「ついでにオレの外出禁止も解けよ」
「解かなくても外出しているじゃないか」
「当然! だってオレ王子だもん。うししっ」
 ベルのいつもの決まり文句にスクアーロは軽く肩を竦める。
「一応、オレがついてるからいいと思ってな。レヴィはルッスのやつに任せた。今頃二人が殺し屋どもを確保しているはずだぁ」
 ――違う。聞きたいのは。
 血の気の失った唇が動くことはなかったが、綱重の言いたいことはスクアーロに伝わった。濡れた銀髪をタオルで拭っていた彼は、ゴシゴシと乱暴に最後の仕上げを施してから、綱重の前に腰を下ろした。
「まずはじめに言っておく。お前は自分が思っているよりもかなり迂闊なところがあるから、今後、どこに行くにも何があっても護衛を連れていけぇ」
「……え?」
「言っておくがこれは譲らねえからなぁ。この寒い中、海水浴させられたんだ。大体、今お前に死なれたりしたらヴァリアーは終わりだぁ! この馬鹿野郎が! 次にこんなことがあったら、かっさばく!」
「かっさばいたら死ぬし」
「本末転倒だね」
「てめえらは黙ってろ!! ……あー、とにかく。10代目になりたいなら好きにしろぉ」
 思わぬ言葉に目を見開いた。スクアーロはニヤリと不敵な笑みを浮かべて続ける。
「オレたちは自分たちの居場所が守れるんなら何だって構わない。どうせ、ヤツが戻ればお前なんか一捻りだしなぁ。ザンザスが戻るまでの命だ、精々大事にしやがれ! オレが言いたいのはそれだけだぁ!」
 スクアーロがそう締めくくった直後、綱重の顔の前をナイフが通過した。何事かと、ナイフが飛んできた方向を見た瞬間、綱重の視界は反転する。船床に後頭部をぶつけた衝撃で目の前にいくつも星が飛んだ。
「いま! 笑っただろ!?」
 ナイフの持ち主は、綱重の体に馬乗りになり、覗き込むようにして綱重の顔に顔を近づける。
「オレ、いっつもそういう顔してるんなら、割とお前のこと好きかも」
「……ナイフを投げるのを止めてくれたら僕も割とお前のこと好きかもな」
「じゃあ嫌いでいいぜ!」
 そっぽを向くベルの姿は年相応で可愛らしい。綱重は小さく笑って、上体を起こす。横に転がされたベルが抗議の声をあげるのに謝りつつも綱重の瞳は、まっすぐと前だけを見つめていた。
「早く帰ろう。僕らの城に」
 もうすぐ夜が明ける。


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