10

 ある日を境に、スクアーロとルッスーリアに目に見えて変化が訪れた。
 綱重へ向ける言葉、表情が初めよりも穏和なものになったのだ。元々敵意を向けていなかったルッスーリアはともかくとして、あのスクアーロが年若いボスに対し、ある一定の(“僅かな”と言い換えることも出来る)敬意を払う光景は、ヴァリアーの隊員たちに大きな衝撃を与えた。
 長い謹慎期間中、また綱重がボスに就任してからも、実質ヴァリアーを束ねていたのはスクアーロだ。沢田綱重が名目だけの上司であると示すように、スクアーロは部下に命令を下す役目を譲らなかったし、報告が自分のところに集まるよう指示していた。そしてボスである綱重に報告を“伝え忘れる”ことも度々あった。活動再開とは言ってもまだ殺しの仕事はなかったので、大した混乱にはならなかったが。
 ――では、今、スクアーロがきちんと綱重に報告をするのは、混乱を防ぐためなのか?
 机に広げた地図を覗き込みながら、二人が何事か話をしている。声までは聞こえてこない。唇を読もうにも角度が悪かった。
 室内を肉眼で覗けるギリギリの距離。大木の上で、「覗きなんて趣味じゃないのに」とマーモンは口をへの字に曲げた。体をがっしり抱えこまれて無理矢理共犯にさせられていることも気に食わない要因のひとつである。だが、「本当に嫌なら脱け出せばいい」とはベルフェゴールの談で、確かに興味がないとは言い切れないのだ。
 綱重が指で地図をなぞる。するとスクアーロが首を横に振って何かを言う。綱重は顎に手を当てて数秒思案し、改めて地図の上をなぞった。今度はスクアーロも満足そうに頷きを返す。
 これまで綱重が何か言う度に鼻白んでいたぐらいなのに、今ではまるで手のかかる弟の面倒を見る兄そのものである。スクアーロ本人が聞けば憤慨するのだろうけれどそう見えるのだから仕方がない。
 経験不足のリーダーを支えるサブリーダー。組織にとっては理想的な形だ。
「気に入らねー」
 隣でベルが呟くのを聞き、マーモンは嫌な予感を覚えた。また残念なことに、それは勘違いや杞憂ではなかったのである。

 最年少幹部の立てた計画は、嫌がらせというよりも悪戯と呼ぶべき些細なものだった。
「しかも全部僕頼みだし。巻き込むのは止めてほしいんだけど……」
「戻ってきたぞ!」
 不満はあっさり聞き流される。窓際に張り付いていたベルは、手を振って合図をしたのち、ソファーの陰に身を隠した。マーモンは、部屋の隅にある観葉植物の後ろにも大男がいることに気がついた。こちらは全然隠れられていない。
 小さく溜め息を吐く。報酬は前払いで貰っているものの、やはり気が進まない。綱重がどうこうではなく、己の力はこんなくだらないことに使うためにあるのではないと思うからだ。しかしマーモンにはプライドよりも金を取らねばならない理由があった。
「ム。これじゃあ駄目か」
 10代目候補同士、面識があってもおかしくはない。経過した月日を考えて、幻に少しだけ歳を取らせる。金を貰ったからには完璧な仕事をしたい。
 自身でも納得がいく出来映えにマーモンが頷いたとき、部屋の扉が開いた。
 綱重と、彼のボディーガード役を仰せつかったスクアーロとルッスーリアがヴァリアーのアジトに戻ってきたのである。
 目に見えた動揺が見られたのは、標的である綱重ではなくスクアーロとルッスーリアだった。
「ボス!?」
「お前、なんで……!」
 マーモンが幻術で作り出した青年はクッと皮肉めいた笑みを浮かべ、綱重へと近付いていく。
「沢田綱重――ここはテメーごときが居ていい場所じゃあない」
 不遜さは本人そのもの。実際の彼がここにいたならば、きっとそう言うであろう言葉。
 ソファの向こうでベルの肩が小さく揺れている。口元を押さえているのは笑いを堪えるためだ。
 綱重は立ち尽くし、幻覚を凝視するばかりだ。いきなりのことに言葉もでないらしい。
 幻の――綱重にとっては現実の――手のひらが、綱重の顎を掴んだ。
「大サービスだ。とっとと日本に帰るか、今ここで俺にかっ消されるか、選ばせてやる」
 綱重の答えは。
「…………マーモン」
 琥珀色の瞳には、すでに幻は映っていなかった。
 これが超直感の力。マーモンはム、と唇を引き締めて、前に進み出る。
「どういうつもりだ」
「さあね。僕は別にやりたくてやったわけじゃないから」
「ベル」
 ソファへと視線が移る。
「何でオレだって決めつけんだよ!」
「お前だろう」
「ハハハッ! それは違うな! 全てこの俺の計画だ!」
 部屋の中央に躍り出るレヴィだが、綱重の視線はソファに向いたままだった。
「ベルフェゴール」
「……だったらどうだって言うんだよ!」
 不貞腐れた顔がソファの陰から現れた。腕を組み、すっかり居直っている。なお、後ろでは「無視するな!」とレヴィが叫んでいるが、例によって例の如し、反応するものはいない。
「幻術の内容はお前が決めたのか」
「ああ。ビビらせようと思ってな」
「それだけか」
「は? なに?」
「……それならいい」
 話は終わったというように視線を外し、綱重は部屋を出て行こうとする。しかし、ベルの方はそれでは気が済まない。綱重の手首をガシリと掴む。
「何か用か」
「それはオレのセリフだぜ」
「なんだと?」
「何でヴァリアーにきた。オレたちじゃなきゃならない理由はなんだ? オレたちに何をさせたい」
「……!」
 逃げようとしてか腕を引く綱重。ベルは、手首を掴む手に力を入れて逃さない。
「言いたいことがあるならはっきり言えよ。あるだろ」
 長い前髪の奥から、ベルは綱重の顔を見つめた。僅かだが、そこには動揺が見て取れた。ナイフを投げられようが、毒殺されかけようが、平然としていた綱重が、いま、己の発した言葉に心を乱されている。その事実はベルの胸を熱くさせた。
 人形のような無表情よりも、ずっとこの方がいい。もっと色んな顔を見てみたい――。
「お前、」
「確かに言いたいことはある。一週間外出禁止だ」
「…………。……はァ!?」
 驚いた隙をつき、綱重はやすやすと拘束から脱け出した。
「レヴィもな」
「なぬ!?」
「首謀者なんだろう? マーモンは減給だ」
「そんな!」
 悲痛な叫びに軽く手を振り、綱重は今度こそ、その場を後にする。自室に向かったのだろう。
「私もお部屋に戻ろうっと」
 わざとらしく明るい声を出しながらルッスーリアが続き、スクアーロは何か言いたげにベルたちを見つめたが、結局何も告げることなく部屋を出て行った。こちらはトレーニングルーム行きか。
「……なんだよ……」
 ベルの拗ねた響きの呟きは、扉に跳ね返されて、虚しく散った。

×

 広いベッドに倒れこみ、枕に顔を押し付ける。
 ――彼は僕のことを“沢田”なんて他人行儀に呼んだりしないッ!
 そう叫べたらどんなに良いだろう。全てぶちまけてしまえたら。
 彼ら、ヴァリアーの幹部たちのことを好ましいと思う。癖のある連中だが、実力は確かだし、何よりも彼に対する忠誠心が感じられるからだ。自分に対する反発も、彼を慕う気持ちの現れだと思えば気にならない。寧ろ嬉しいくらいだ。傲慢な言動の所為で理解されないことの多い男だった。そんな彼の良さを分かる者たちが、こんなにも存在していることが嬉しくて堪らない。
 一緒に彼の帰りを待てたら、きっと楽しいだろう。彼が皆の前ではどんな風だったのか聞いてみたい。代わりに子供の頃の話をしてあげよう。彼が知ったら怒るだろうし、大切な思い出だから、話せるのは少しだけだけれども。
 甘やかな空想に暫し酔いしれる。
 実際にはできる訳もない。彼らが綱重に完璧に従うようになってしまっては、9代目や父に計画が気づかれてしまう。それに、彼らと綱重では決定的に違う部分があるのだ。
 綱重の本当の目的を話したとして、どうしてそこまでするのかと尋ねられたら、言葉に詰まることなく答えられるだろうか?
 彼らに隠し通せるだろうか?
 忠誠心や敬愛ではない。この欲にまみれた感情を。

 アラーム音が綱重を現実へ引き戻した。
 そろそろ出かける準備をしなければならない。
 緩慢な動きでヴァリアーの隊服を脱ぎ捨て、クローゼットからタキシードを取り出した。行きたくない。それは今夜だけでなく、いつも思うこと。でも今夜はいつも以上に憂鬱だった。
 頭が痛い。熱っぽい気もする。風邪を引いたわけではなく、精神的なものからくる症状だ。それらを溜め息で紛らわしながら身支度を整える。銃を懐に。それから彼の写真――いや、今夜は置いて行った方がいい、と思い直す。いつもみたいに、ちゃんとボンゴレファミリーの10代目候補として振る舞えるように、今夜だけは金庫の中に居てもらおう。
 電話が鳴った。今度はアラームではなく、着信だ。
 窓の外を見る。一台の高級車が停まっている。着いたことを知らせる電話だろう。
「はい。今行きます」
 短い応答に、いつも以上に気を遣った。今夜はよくよく気をつけなければ、ボロが出てしまいそうな気がするのだ。
 ただ、気をつけていても、どうしようもない不運が重なることもある。
 今日はもう幹部の誰とも顔を合わせたくなかったのに、こういうときに限って広い城内が狭くなる。
「出かけるのかぁ」
 礼服姿の綱重を見たスクアーロは眉を上げた。
「ああ。今夜は護衛はいい。彼女がお前のことを怖がっているからな」
「……それならルッスーリアを」
「スクアーロ」
 駄目だ。そう思ったけれど、動き出した口は止まらなかった。
「ベルの気持ちは分からなくもない。お前のその態度はなんなんだ。お前は僕が10代目になっても構わないというのか? 彼を、ザンザスを裏切るのか?」
 凍りついたスクアーロの表情を真正面から見つめ、やはり今夜は上手く振る舞えそうにないと思う綱重だった。


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