綱重の変化に、ルッスーリアはすぐに気がついた。パアッと顔を輝かせて駆け寄ってくる。
「ちゃんと言うことを聞いてくれるようになったのね!」
「……というより、僕がちゃんと話を聞くようになったっていうか」
首を傾げるルッスーリアと、己の腰に下げた匣兵器を交互に見つめ、綱重は小さく笑った。
「いや、うん、とりあえず上手くいった」
「ふふ。その明るい顔とフランが側に居ないのを見たらすぐにわかったわ」
「ああ、フランなら――」
綱重は昨夜あれからのことを思い起こした。
フランの感想は「絶対死んだと思いましたよ」だった。ルドルフに綱重が殺されるという意味ではなく、綱重を守れなかったが為に、ザンザスにフランが殺されるという意味である。
「そんなこと考えている暇があったなら開匣すれば良かったんじゃないか?」
邪魔されたかったわけではないが、匣兵器を取り出す素振りすら見せなかった護衛に不審を覚えるのは当然だった。
だが、向けられた冷ややかな視線をフランが気にするわけもない。
「どうせ間に合わないと思ったんで。無駄なことってしたくないじゃないですかー」
綱重も合理的な考え方は嫌いじゃない。無駄を省く選択は、この世界で生き延びるには必須だ。
「この被り物の所為ですぐに開匣できないんですよー。だから文句なら王子(仮)にどうぞ」
「別に文句なんかない。そのカエルはお前によく似合ってるしな」
響く舌打ちに小さく笑う。綱重の楽しい気持ちが伝わったのか、ルドルフが身を震わせる。
フランのジャケットから着信音が鳴り響いたのはそのときだった。
「――電話をしてきたのは、あー、フランはW・Wって言っていたが多分違うと思う。あいつがそう呼び掛けたら怒ってたから。本当はエスだかエムだか……」
「SとMの違いは大きいわよ!」
そうは言っても、電話の向こう側で相手が怒鳴りつつ訂正するのを聞いただけなので、どちらが正解なのかわからない。そもそもそういう意味のSとMではないと思う。
「とにかくそんな名前の女に呼ばれて」
「まああ! あの子ったら、この私よりもそんなSだかMだかわからない女を選んだの!?」
「それで、ザンザスはどこにいる?」
一々突っ込むのも面倒で、話題を変える。案の定、ザンザスの名前を出した途端ルッスーリアは真面目に答えを寄越した。
「まだ部屋で寝てると思うわ」
×
ザンザスは部屋には居たが、眠ってはいなかった。
ノックをしてすぐ応答があった。綱重の気配に随分前から気づいていたのだろう。
最高級ホテルのスイートルームにも負けない豪奢な室内は、綱重が今使用している部屋とそう変わらない。だが、この城にはもっと快適な部屋があることを綱重は知っていた。ボンゴレの歴代ボスが使用してきた部屋だ。ザンザスに本当に相応しい部屋は、そこだけである。
主がいない隙を狙って乗っ取るような真似はしたくなかったのだろう。ザンザスの高い矜持が窺えて、綱重は僅かに頬を緩めた。
「おはよう」
するりと挨拶が口をついた。
“大丈夫、普通に話せる”
この部屋に来るまで自分を励ますように何度も心の中で呟いていた言葉が、確信と共に脳裏を過った。
「フランはどうした?」
挨拶を返すことなくザンザスが尋ねた。不快感をあらわに眉根を寄せている。綱重は慌てて、女から電話があり彼がここを離れたことを説明した。
ボスには綱重さんからよろしく伝えておいてくださいね。そうフランに言われていた。綱重が言えば仕事放棄しても怒られないと思うので、と。綱重は自分にそんな影響力はないと思っているし、フランにもそう告げた。聞いてもらえなかったが。
一方的に任されたとはいえ、出来る限りのことはしたい。フォローの言葉も色々と考えてきた。まずは、ルドルフと和解した事実を述べる……つもりだった。
「そうか」
フランがどこかに呼び出されたことを伝えただけで、ザンザスはあっさり納得した。もちろん綱重が伝えたからではなく、どうやらザンザスは、フランがどこかに行くことを予想していたらしい。どこに何をしに行ったのかも解っているのかもしれないと綱重は感じとる。
「今日からルッスーリアの側にいろ」
「嫌だ」
反射的に言葉を返していた。
ザンザスが眉を上げる。そんな些細な仕草一つで綱重の心臓は鼓動を速くする。けれど、もう後戻りをする気はなかった。
「ルッスーリアじゃなくても、ベルでもレヴィでも嫌だ。……お前でもだ」
紅い瞳が見開かれるのに気づいていながら、そのまま口を動かし続けた。
「護衛はいらない」
ルドルフがいるから大丈夫だと更に続けようとして、止める。いま伝えたいのは“護衛が不要な理由”ではないから。
「お前たちに守ってもらいたくない」
言い切った。
俯きたくなる気持ちを抑え、ザンザスの目を見つめる。
「嫌なのはそれだけか?」
「……え?」
どういう意味か考えるより早く。
「お前の言いたいことはわかった」
ふいっと顔を逸らし、ザンザスは唸るように言葉を紡いだ。
改めて聞き返すなんて出来るわけもない。それきり押し黙った男に綱重は同じく黙って踵を返した。
話はそれだけか、なら早くここから出ていってくれ。はっきり言葉にされたわけではないけれど、ザンザスがそう思っていることは伝わってきた。
扉を後ろ手に閉め、深く息を吐く。
――綱重はザンザスのものだ。
何があっても変わらない、変われるはずがない。それは紛れもない事実だけれども。
今はもう、ただザンザスの後ろをついていけばいいとは、思っていられない。