30

 食事を終え(こんなときでもヴァリアーの食事は豪華で美味しい。隊員たちが何よりもザンザスの機嫌を損ねることを恐れているからである。おかげで食欲がなくともそれなりに箸が進んだ)、ふと気になっていたことを尋ねた。
「スクアーロは今どこにいるんだ?」
 作戦隊長という役職を考えれば忙しいのは百も承知。ずっと顔を見ないのも、最初のうちはタイミングが悪い日が続いただけだと綱重は思っていた。だが、流石に違和感を覚えはじめている。
 綱重の知っているスクアーロなら、いくら忙しくとも無理に時間を作ってまで綱重の様子を見に来ているはずだ。粗雑に見えて、その実、お節介なほど周囲に気を配る男だから。十年経ってその部分が変わっているとも思えない。
 ルッスーリアは、あら言ってなかったかしら?と頬に指を当てて首を傾げた。
「雨の守護者が敵の剣士に負けたっていう情報が入ってね、“あんのクソガキィッ! 根性叩き直してやるぅあああ!”って、そりゃあもう物凄い形相で、止める間もなくアーロに乗って日本に飛んで行っちゃったのよ〜」
「アーロ……って、あの鮫の匣兵器か? あれで日本まで?」
「そうねぇ、スクアーロなら行けないこともないでしょうが途中で漁船でも見つけてヒッチハイクしたんじゃないかしらね」
 きっと限りなくハイジャックに近いヒッチハイクだったに違いない。
「聞きたいのはスクアーロのことだけ?」
 今度はルッスーリアが尋ねる番だった。
 答える前に、左側へと視線を向ける。そこに座るフランは、懸命にデザートのメロンを頬張っていた。こちらの会話には一切関心がなさそうだ。
「……。十年後の僕はきちんと匣兵器を操れていたのか?」
「そっちの“彼”の話なの?」
 含みを持たせた笑みを浮かべ、別に構わないけど、とルッスーリアは前置きし。
「操れていたかと聞かれたら答えはNOよ」
 綱重が何らかのリアクションをとる前に言葉は続く。
「貴方とあの子は良い相棒だった。道具や何かではなくね。だから操るっていう言葉は当てはまらない」
「相棒……」
 敵に囚われていた者の武器が、今ここにあること自体がおかしい。普通なら匣兵器もリングも白蘭の手に渡っているはずなのだ。もしかしたら十年後の自分もあの匣兵器を持て余していたのではないかと思ったのだけれど。真逆の返答に目を丸くする。
「――言っただろう、大空の匣兵器はレアだと。十年後のお前はあの匣兵器を守ったんだ」
 レヴィが部屋に入ってきた。たった今、外から戻ってきたようだ。隣にはベルの姿もある。
 二人の後ろに視線を向けかけて、綱重はすぐに我に返った。そこにザンザスがいるはずがない。わかっていた。
 あの夜以降、綱重はザンザスの顔を見ていない。
 それは綱重が避けているからだが、しかし、それだけではなかった。
 綱重がいくら接触を拒んでもザンザスが真に望めば綱重に拒否権はない。つまりザンザスの方も、……いや、“ザンザスが”、綱重に会いたくないと思っているということだ。少なくとも綱重はそう解釈している。

 ベルが綱重の右隣、レヴィがその前の席に腰かけた。それまで綱重の目の前に座っていたルッスーリアは、二人の食事を用意するため席を外した。
「一応開匣する気はあるんだ」
 そうベルが言った。長い前髪に隠されて彼の瞳は見えないが、探るような視線を感じる。
「……あの匣兵器を使わなければ、ろくに戦えないからな」
「わかってんじゃん!」
 どこか嬉しそうに綱重の肩を叩いたベルは、次の瞬間、唇を尖らせた。
「過去のお前がわかってんのに何で十年経ったらわからなくなってんだ?」
 疑問符がついていても独り言のような響きで、相槌は打ちかねる。
「メインの匣兵器を手放すやつがあるかよ。ミルフィオーレなんかに捕まりやがって。自分が死んだあとのことを考える前に、ルドルフに乗って逃げりゃあ良かったんだ」
 ルドルフに乗るだって?
 琥珀色の瞳が輝いた。
 もしかして、サンタクロースのようにトナカイがひくソリで空を飛べるのだろうか。それはすごい。……けど、今はそんな場合じゃない。頭を振って、浮かんだファンタジーな光景を無理矢理追い払う。
 未来の自分をフォローするというのは妙な気分だが、他に言うこともないので――空飛ぶトナカイについてなんて論外である――綱重は口を開いた。
「どうしたって逃げられない状況だったんだろう?」
 死を覚悟するほどの。でなければ匣兵器はともかくとしてザンザスから貰ったリングを己が手放すことは考えられなかった。
「だ、か、ら! 逃げられるうちに、だよ! 一人でギリギリまで粘ってんなってこと! ……今のお前に言ったって仕方ねーけど!」
 それもそうだ。ベルを怒らせているのは自分であって自分ではない。これ以上のフォローをするのも居心地が悪いので口を噤み、綱重は、それでも理解はできる、と心の中だけで呟いた。
 自分であって自分ではないから想像するしかないが、引き際を誤ったというよりは生き延びる気がなかったのだろうと思うのだ。ルドルフを使って逃げるという選択肢があったのだとしても、逃亡に失敗して希少なリングと匣兵器が敵の手に渡ってしまう確率の方が高いのならば賭けにでるべきではない。死にたくないとあがくよりも、そのとき自分に出来ることをするべきだ。
(僕ならそうする。だからきっと未来の僕も)
 最後に大切なものを守りたい、そう考えたのだろう。ザンザスから貰ったリングを。そしてあの匣兵器のことも。守るつもりで……、
「……そうか」
 勢いよく立ち上がった所為で椅子が大きな音を立てたが、綱重の耳にはもう届かなかった。
「綱重?」
「なんだ、突然」
 驚く面々すら目に入らない。
「守りたかったのか」
 言葉が零れ落ちると同時、綱重は駆け出していた。

×

 今の自分では駄目なのだと思っていた。
 ルドルフの中では、未来の自分と今の自分がイコールではなく、別人と認識されていて、故に攻撃的なのだと考えていた。
 でも、そうではなかったら?
 匣兵器が人間をどう認識しているのかはわからない。もしも、彼らに過去や未来といった概念がなく、注入された炎の性質で判断しているのであれば。そうでなくとも、ちゃんと今の綱重を、ルドルフの相棒である綱重と繋げていたのならば。
 なんとかしてルドルフに自分の力を認めさせなければならないと思っていたが、もしも、そんな必要はなかったのだとしたら。

 柊の装飾にしっかりと指を沿わす。呼吸は乱れていたが気持ちは落ち着いていた。大丈夫。
 慌てたのは、突如走り出した綱重を一人追いかけてきた――お前はあいつの護衛だろとベルに怒鳴られなければまだメロンを頬張っていたことは言うまでもない――フランである。いくら彼にやる気がなくとも、ザンザスに護衛を任されているからには、綱重の行動を見過ごせない。
「あの、ちょっと待ってもらえますー? そのトナカイ暴走したらめんどく……ミーだけじゃ止められないんで。今すぐベルセンパイたち呼んできますから」
 匣に炎を注ぎ込む。フランが毒づく声も聞こえない様子で、綱重は獣が現れるのを待ち構えた。
 匣から放出された橙色。その軌跡の先。
 綱重とトナカイは見つめあった。
 改めて、匣兵器の素晴らしさに心が震える。
 雪深い道のりを何百キロでも駆け続けられる逞しい体つき。大空の炎が灯るのは足先のみだが、その太い蹄だけでも立派な凶器と成り得るだろう。そして何よりも瞳だ。人が作った兵器であることを頭では理解していても、瞳の輝きを見たならば“生きている”としか思えない。
 無意識に感嘆の息が零れ、綱重の体から僅かに力が抜ける。
 獣が動いた。
 鼻に炎が灯り、額から二本の角が突き出す。後ろ足が床を力強く蹴り、大きな体が一直線に綱重へと跳躍する。
 綱重は逃げなかった。向かってくる獣から目を逸らさず、両腕を広げる。大丈夫、大丈夫だ。心の中で繰り返した。
 衝撃は軽くはなかった。綱重の体は後ろに吹き飛び、したたかに尻を打ち付けた。
 けれど、それだけだ。
 角はぶつかる直前に仕舞われており綱重の体を傷つけることはなかった。
「ルドルフ……」
 胸元にぐいぐいと頭を押し付けられて息が詰まる。角のない額は当たっても痛くないし、体重をかけられて苦しいわけでもない。ただ、物言えぬ動物が必死に気持ちを伝えようとしている姿に胸が締め付けられただけ。
「ルドルフ、ごめん」
 涙を堪えて頭を下げた。
「初めて見たとき、わかっていたんだ。お前は僕を傷つけないと。わかっていて、信じなかった」
 ルドルフを信じなかったわけじゃない。信じなかったのは、自分の能力だ。突然、十年後の世界なんかに飛ばされて混乱していたし、自分の力の無さに失望もしていたから。
 言い訳ならいくらでも出来る。でもどれも口に出す気にはならなかった。全てルドルフには関係がないからだ。どんな理由があるにせよ、綱重がルドルフを拒絶したことに変わりはない。
 ルドルフにしてみれば、置いてきぼりにされた上、文句を言う機会も与えられずに今の今まで放置されていたわけだ。他でもない綱重に。大切な相棒に。
「辛い思いさせたな」
 分厚い被毛に覆われた頭を抱え込み、心の底から謝った。
「ごめん」
 いいよ、とでも言うかのように、甘えた様子で巨体が綱重にのし掛かる。重くはない。体重をかけないよう気を遣ってくれている。いじらしさに、また泣きそうになる。
 未来にきて良かった。
 綱重は思う。
 十年後の自分では理解できなかっただろう。今の自分だからこそ、こんなにもルドルフの気持ちがわかるのだ。今だから。十年後の世界で、無力感を味わった今だからこそ。
 役に立たないと切り捨てられるのなら納得がいくのだ。でも、ただ守られて、一人だけ安全な場所に置かれるのは我慢ならない。
 傍にいたい。隣に立たせて欲しい。自分にはそうするだけの力があるんだと信じたいし、認めてもらいたい。
 頭を抱える腕に力がこもる。
「……僕にはお前が必要なんだ。十年後の僕よりもずっと」
 未来の自分とは違い、何があっても手放したりしない。
 手放せるはずがない。ルドルフは、最後の切り札だ。
「一緒に最後まで戦ってくれ」
 力強く応じる声が確かに聞こえた気がした。


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