きみだけは知っている

 対の深紅が僕を見下ろす。痛みすら感じそうなほど冷ややかな視線。
 ……動けない。
 まさに蛇に睨まれた蛙。そんな僕はともかく何故か相手にも動く気配はなく、お互い見つめあったまま時間だけが過ぎていく。その間、本当は一分も経っていないのかもしれないけれど僕には何時間にも感じられた。額から噴き出した汗がぽたりと零れ落ちるのを合図に、沈黙に耐えきれなくなった僕は、ついにザンザスの足へと縋りついたのだった。
「お、お代官様ぁーっ、このことはどうかご内密にー!」
「誰が代官だ! 離れろ!」
 ガシガシ踏みつけられても縋りつくのを止めない。寧ろ、絡み付くみたいにして一層強く、ザンザスの右足を腕の中に抱え込んでやった。
「全部忘れてくれるって言うまで離さない!」
「ふざけんな!」
「お願い、フィアンマレッドの人形あげるから!」
「んなもん要るかっ!」
 一番の宝物を“んなもん”と切り捨てられてムッとする。フィアンマレッドは去年のクリスマスにサンタさんがくれた僕の憧れのヒーローなんだ。悪と戦い、地球を守る、正義の味方。それを“んなもん”だなんて。要らないだなんて。
 不満で膨らませた頬は、大きな手のひらに両側からパチンと押し潰された。
「説明しろ」
 ザンザスはちろりと机に視線を向けて促した。いや、本当に見たのは机ではなくその下にあるものだ。
 もう逃げられないと悟った僕は観念して口を開いた。
 発端はそう、三週間前の日曜日。その日は父さんが遊びに連れていってくれるはずだった。はずだった、という言葉の通り直前でダメになってしまったけれど、僕は素直に諦めた。仕事なら仕方ないし、それに父さんは来週は大丈夫だからと再度約束してくれたんだ。でも、代わりに約束した二週間前も、代わりの代わりで約束した先週も、代わりの代わりの代わりで約束した今週の日曜日もだめって、いい加減怒ってもいいはずだ。だから。
「父さんの大好きなものを没収してやろうと地下室からこれを持ちだしたんだ」
 机の下から、先程まで必死に隠そうとしていた袋を取り出せば、ザンザスが軽く眉を上げる。この袋がザンザスの枕カバーだということがバレたのではと思ったが、幸い、そうではなかった(どうせ夜にはバレるだろうけど)。恐らくはこの枕カバー……あ、いや、袋の一部が変色していることに気づいたのだろう。あるいは、そこから漂う芳醇な香りを嗅ぎとったのか。
 もうどうにでもなれ!
 ええいと袋の中身を机の上へとぶちまける。
「……没収どころか破壊してんじゃねえか」
 呆れたようなザンザスの言葉に、僕は深々と頷いてみせた。
「運ぶ途中、手が滑って落としちゃった」
「……」
「……」
「……」
「……割るつもりはなかったんだよぉおお!」
「うぜえ! 触んな!」
 縋りつく前に蹴り飛ばされた。床に蹲って呻くけど、ザンザスはそれを見て心配したり、やり過ぎたと焦る男ではない。案の定、馬鹿にしたような笑い声が聞こえてきて、悔しさからスンと鼻をすする。
「大体これ家光のじゃねえだろ」
「え?」
 欠片のいくつかを持ち上げてザンザスは続けた。
「あの安酒好きがこんな酒を買うわけがねぇ。ジジイのもんだな」
「ええっ?」
 慌てて飛び起きた。
「これそんなに高いの? しかも父さんじゃなくて9代目のやつ?」
 また僕をからかってるんだな、そう思ってザンザスを見るけどその顔にふざけた様子は少しもなくて。
 ……え?本当に?何それやばくない?
 ど、どどどどうしよう。なんか急に気分悪くなってきた。お腹痛い。
「――で?」
「え?」
「それを何で俺の部屋に隠そうとしてやがったんだ、って聞いてるんだよ」
「ちょっ、頭蓋骨割れる! 死んじゃう!」
 何とか頭から手を離してもらい、説明した。
「だって、ここなら見つかっても僕の仕業だとは……ぐえっ!」
「カスの分際でこの俺に罪をなすりつけようとしたわけか」
「そんなこと言ってないだろ!」
 蹴られた背中と、その所為で床にぶつけてしまった鼻を押さえながら抗議する。いや、まあ、それを考えなかったわけじゃないけど、例え結果的にそうなったとしても、あくまで僕は自分がやったことを隠したいだけであり、ザンザスはもちろん誰かに濡れ衣をきせたいわけじゃないのだ。
「大体、毎日ここに来てるお前が疑われないわけねえだろう。ドカス」
 …………確かに僕はザンザスの部屋に入り浸っている。
「じゃあどこに隠せばいいの?」
「知るか」
 冷たい返答に唇を尖らせつつ、僕は破片に手を伸ばす。パズルのように欠片同士を組み合わせて、出来上がった四桁の数字をじっと睨みつける。ワインには当たり年というものがあるんだそうだ。だからこの数字が一つ違うだけで、値段が全然違うものになる。何でこれを選んじゃったかなあ。そういえば、見た瞬間に胸がざわざわしたっけ。悪いことをしようとしているときだから、僕はそれを罪悪感だと解釈した。そしてこれは間違いなく父さんの物だと決めつけて……今思えばあれは、高価な物だから触らない方がいいっていう“ざわざわ”だったのだろう。
 ここの机の引き出しがタイムマシンだったらいいのに、なんて馬鹿なことを考えていると、ザンザスがぽつりと言った。
「この間、なんか見つけたって騒いでただろうが」
 首を傾げる僕に、独り言みたいな声がぼそりと補足する。
「二週間前、本部」
「あっ!」
 すっぽかされた二回目の日曜日、僕はボンゴレの本部を探検した。時々やるんだ。誰かに見つからないようにしながら(見つかればここは遊び場じゃないって怒られるだろうから)、迷路みたいな城内を歩き回り、秘密の抜け道や部屋を探す。結構楽しいんだ。
 その日は、一階の一室でとある仕掛けを見つけた。何となく窓枠に違和感を覚え、色々触っていると、なんと小部屋……とは呼べない、壁から一メートルほど掘り進んだだけの謎の空間が現れた。
 抜け道にでもする気だったのかな。途中でやめるにしろちゃんと塞げばいいのに。何代目かは知らないけど適当なボスだったんだね。と、ザンザスに話したのは記憶に新しい。
 うん、あそこなら隠し場所にぴったりだ。
「なに笑ってやがる」
「ザンザスが共犯になってくれたのが嬉しくて」
「何だと?」
 本当は、ザンザスが僕の話をちゃんと聞いて、覚えていてくれたことが嬉しかったんだけど。
「隠蔽の手伝い。間違いなく共犯じゃん」
 見つかったときは一緒に怒られようね、と言ったら思いきり殴られた。


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