8

 綱重には、食事の前に必ず行うことがある。
 部屋の隅にシェフたちを並ばせてこう尋ねるのだ。
「これを作ったのは誰だ?」
 ご丁寧にも一皿ずつ順に指し示し確認すると、名乗りをあげた者たちを跪かせて、再度忠誠を誓わせる。
 スクアーロは初めてそれを見たとき、唖然とし、その後、金をちらつかせて命乞いをする人間を見たときと同じような感覚を覚えた。つまり、口汚く罵ったり、唾を吐き捨てる気力も出ないほど呆れ返ったのである。
 その日は綱重がヴァリアーのアジトで初めてちゃんとした食事をとった日でもあったが、翌日も、翌々日も、それから今日に至るまでずっと、綱重の行動に変わりはなかった。
 他の幹部たちの反応もスクアーロと大体同じで、全員がうんざりした様子だ。けれども、決められた時間になれば、誰一人として欠けることなく幹部全員が食事の席についていることもまた事実だった。
 くだらない耐久レースの敗者はレヴィであろうとスクアーロは思っていた。血走った目には嫌悪が溢れていたし、小刻みに震える唇は今にも“臆病な軟弱者め”と怒鳴り散らしそうだったから。
 恐らく今日あたりには爆発するだろうという予想は、意外な形で外れることになる。

「ブルーノ以外は下がっていい」
 いつも通り、ずらりと並んだシェフたちを一瞥するや否や、綱重は言った。指名された男――シェフ一人一人の名前を把握していなくとも、弾かれたように顔をあげる様を見れば誰が“ブルーノ”かは一目瞭然だった――そしてスクアーロはその男に見覚えがあった。綱重がヴァリアーに連れてきた男だからだ――はもちろん、その場にいた全員が戸惑い、顔を見合せあう。しかし雇い主に真意をただす勇気を持った者は居らず、言われるがまま一人を残してぞろぞろと部屋を後にする。
「……あの、俺は、調理には殆ど関わっていませんが……せいぜい野菜の皮を剥いたくらいで」
「それはわかってる」
 勿体つけるように深々と頷き、綱重は、不安げに目を泳がせている男に向かって微笑んだ。
「だからこそ聞きたいんだ。お前がどうやって毒を入れたのか」
 先程名前を呼ばれたとき以上に男の体が揺れる。
「出来上がったスープに溶かした? メインの肉に擦り込んだのか? サラダ?」
 誰が作ったのか確かめるときと同様、ひとつひとつ料理を指していく。ブルーノは顔色をなくしていくばかりで何も答えない。答えられないのだろう。立っているのが不思議なほど震えている足は、逃げ出すことを忘れてしまったようだ。
 スクアーロが静かに立ち上がった。
「調理器具に塗っておいた――いや、食器か。このグラス? ……スプーンか」
 一言も発しない相手のどこに確信を得たのか、床にスプーンが放られる。
「正解者への褒賞はなんだ? 裏切りの理由でも聞かせてもらえるのかな」
「裏切り者の首でどうだぁ」
 剣は、所有者の髪色と同じく銀色に光っていた。ブルーノの喉元にぴたりと合わさり、スクアーロが軽く腕を動かせば、鋭い刃が肉を切り裂くのは間違いない。
「あ……あう、あああ……」
 上下の歯がぶつかり合う音と意味を持たぬ呻き声が不協和音を奏でる。己の死を悟った男の目からは抑えようのない涙が溢れだした。命乞いの視線は、背後で剣を構える男ではなく正面に座る少年へと送られる。
「放してやれ」
「本気で言ってんのかぁ」
「まだ聞きたいことがある」
 スクアーロは渋々、罪人を解放した。
 がくりと膝から力が抜けて、ブルーノはその場にへたり込んだ。首が繋がっていることがまるで奇跡であるかのように喉元を擦っている。とはいえ、まだ助かったわけではない。それがわかっているからこそ、ブルーノは綱重を仰ぐ。
 じっと見つめる茶色の瞳を、それよりも薄い琥珀色の輝きが見つめ返す。
「……僕はお前を信じていた。でなければ、ヴァリアーに一緒にきてくれなんて頼まない」
 何かを訴えかける声音ではなかった。裏切られた悲しみも、責め立てる響きも、後悔を引き出そうとしている意図も感じられない。淡々としたそれは、だからこそ言葉の内容が事実であると感じさせる。
 自分はこの小さな主人を裏切ったのだと改めて思い知り、ブルーノは打ちのめされた。死への恐怖とはまた違った理由で、体が震える。
 一方で、主である少年は悠々とグラスに口をつけ――そこに毒が入っているとは微塵も思わないらしい――「それで?」と皮肉げな笑みを浮かべた。
「僕の命はいくらだったんだ」
「……っ、娘が、いたんです……!」
 まったく答えになっていない。けれども。
「娘?」
 首を傾げる仕草はいつになく年相応だ。瞳を丸くして、ぱちぱちと瞬きをする様はマフィアらしからぬ愛らしいもので、ブルーノは勢いづいて言葉を続けた。
「俺と別れてから妊娠がわかり……、彼女は一人で産んで育てるつもりだったらしいんですが、娘が、生まれつき心臓の病気で……手術すれば治るけど、そんな金、ないし……もう薬代も払えなくなって、どうにもできなくて、俺を頼って……、だから、お、おれは、こんなこと……ッ」
「まあ。なんだかドラマみたいね。泣けてきちゃうわ」
「どこが? くっだんねーの」
「娘がすごい美少女で、将来玉の輿に乗る可能性があるっていうなら、先行投資もありかもね。ギャンブルだけど」
「おい! 貴様ら! あの方の留守を預かっている今、こんなことが起きて情けないと思わないのか!?」
 レヴィは、好き勝手な感想を並べ立てている仲間たちをそう叱責した後、ブルーノに向き直った。
 綱重を指差し、いいか勘違いするなよと前置きし。
「こいつの命はどうでもいい! 寧ろ何故しっかり殺らなかったのかと貴様に怒りを覚える!」
 なんて言い種だ。
 綱重は眉を顰めたが、レヴィの演説は続く。
「だが! それ以上に! この城でこんな騒ぎを起こしたことが許せん! あの方の顔に泥を塗った罪、貴様ごときの命で償えるものではないが、生かしておくわけにはいかない!」
 電気傘を手に、殺気を放った大男が一歩、踏み出した。
「ひい……!」
 短い悲鳴に重なるようにして、今度もまた綱重が制止の声をあげる。
「よせ」
「俺に命令するな!」
「お前こそ口の聞き方に気をつけろ」
 取り出された銃に、レヴィが顔を強張らせる。
 椅子に腰掛けているベルたちの表情からも笑みが消えていた。
 何かあれば一番に動けるよう、スクアーロが考えていることは、引き締められた口元から窺い知れる。幸い、スクアーロが危惧した騒ぎは起きなかったが。
「始末は僕がつける」
 綱重とレヴィの身長差は三十センチ余り。当然レヴィを見上げる形になるが、綱重に怯んだ様子はない。この世の全ての人間は己に平伏すべきだと、そう確信しているかのような傲慢さで、年上の部下を圧倒する。
 ノックの音が遮らなければ――もしかしたら、レヴィは跪いていたかもしれなかった。

 暗殺部隊の根城に飄々と現れたのは、綱重が依頼した運び屋だった。
「確認してくれ」
 何の変哲もないジュラルミンケースが開かれる。その場にいた全員が、そこに、目も眩むような大金が入っているのを目撃した。
「ああ、間違いない。――……そうだ。ちょうどいい」
 綱重はおもむろに懐からメモ用紙を取り出した。それを札束の詰まった鞄と共に、ブルーノに手渡す。
「これをここに運んでくれ。先方には連絡しておく。交通手段は」
「俺が車で送っていけばいいんだな」
 言葉の続きを、訳知り顔の運び屋が紡いだ。綱重は頷いて、更に続ける。
「これを運び届けるのがお前の最後の仕事だ。そして二度と僕の前には現れるなよ。現れたら殺す」
「う゛お゛ぉい、ちょっと待て! それがお前の始末のつけ方だってのか!?」
 口を挟んだのはスクアーロだったが、綱重の言葉の裏――“現れなければ殺さない”――を読みとったのは彼だけではない。
 部下たちが不信感を募らせていると気付きつつも、綱重は命令を重ねた。ブルーノではなく、ヴァリアー幹部たちに向かっての命令を。
「こいつを届け終わるまでブルーノに手を出すことを禁ずる」
「ふざけるな!」
 やはりレヴィが一番に声を荒らげた。スクアーロもそうしたいのだろう。耐えるように奥歯を噛み締めている。
「頭おかしいんじゃねーの」
 ベルが呟き、それにマーモンが続く。
「まさか、さっきの話に同情したわけじゃないよね?」
 彼らは綱重の身を案じているわけではなく、裏切り者の始末もできないのかと“ヴァリアー”が侮られることを案じているのだ。
 幾ばくか冷静な――中立といってもいい――ルッスーリアも流石に顔を曇らせている。
「いくらなんでも無罪放免なんて」
「無罪放免? どうしてそうなるんだ」
「ししっ。それ以上の厚待遇だよな、金を渡して逃がすんだからさ。どうせなら飛行機でも用意してやれば?」
「渡したつもりも逃がしたつもりもないが」
「……絶対こいつ頭おかしいぜ」
 綱重は肩を竦めてみせた。
「お前たちの言いたいことはわかった。では、こうしよう。二十四時間以内に先方から“金を受け取った”と連絡がなければ、逃げたと見なして殺す。それでいいだろう」
「逃げたと見なすもなにも逃げないわけがないだろうが! その金を使って高飛びするに決まっている! わざわざ逃亡の時間を与えるのか!?」
「たった一日で、ただの料理人を見失うほどお前たちは無能なのか?」
 暗殺者たちは返す言葉を見つけられなかった。
 直前まで唾を飛ばし激昂していたレヴィも悔しそうに口を噤む。
 静かになった空間で、どうしたらいいのか戸惑っていた男は、名前を呼ばれて立ち上がった。
「ブルーノ」
「…………はい」
「僕が生きていることは、お前の依頼主にもすぐに伝わるだろう。前金がいくらだったかは知らないが、例えそれらを返したとしてもお前の失敗は許されない。こちらだけでなく、あちらからも命を狙われる。仕方がない、因果応報だ」
「……」
「幸運を祈る」
 形式的な挨拶に小さく頷いて、ブルーノは城を後にした。

×

 運転手は、メモにどこの住所が書かれているか知らないようだ。空港に向かってくれと言えば向かうだろう。何なら金を半分差し出してもいい。それでも娘の命を救い、海外に逃げるくらいの金は残る。
「ブルーノ……だっけか? さあ、行き先を教えてくれ」
 ゴクリと唾を飲み込む音がする。


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