6

 今夜のパーティーを主催した人物とは、何の繋がりもなかった。綱重がここにいられるのは橋渡しをしてくれた存在があったからだ。
「カプラさん」
 世話してくれた男の姿を見つけ、綱重はすぐさま歩みを寄せた。そして、目を見張る。
 きつい眼差しが印象的な美女だった。
 礼を告げつつも、綱重の視線は、男の隣に立つ彼女に釘付けだった。気付いたカプラが、そっと女の手を引く。
「娘のセレーナだ。娘は、あまりこういう場は好きではないんだが、君の話をしたら是非会ってみたいと言い出してね」
 母親似なのだろう。男とは似ても似つかない美しい娘は、少年に向かって蕩けるような笑みを向ける。
「初めまして」
「初めまして――素敵なドレスですね」
「あら。素敵なのはドレスだけかしら?」
 艶やかな黒髪をくるりと人差し指に絡め、セレーナはツンと唇を突き出した。色香漂う美女がするには少々幼すぎる仕草に思うが、彼女がすると不思議と愛らしく見えた。
「い、いえっ、ドレス以外も、もちろん素敵です。失礼をお許しください。これほど美しい方とお話するのは初めてで緊張してしまって、その、」
「まあ」
 早口で取り繕う少年を前に、セレーナは自身の口元を右手で押さえた。細い指の隙間から、ドレスと同じ赤色に彩られた唇が笑いに震えているのが見える。
「ボンゴレファミリーの10代目候補がこんなに可愛らしいなんて驚きだわ。ああ、悪い意味ではないの」
 真っ赤なドレスの胸元は大きく開いており、染みひとつない二つの膨らみが惜しげもなく晒されている。豊かな胸を一層強調するかのようにセレーナは前屈みになって、綱重の顔を覗き込む。
「色々教えたくなっちゃうってこと」
 言われた内容の所為か、ちょんと鼻先を突かれたからか、少年の頬がピンク色に染まる。蠱惑的な笑みをたたえていた美女の唇は、一層口角を引き上げて、笑みを深くする。

「くだらねえ」
 スクアーロが吐き出した呟きは誰の耳にも入ることなく、シャボン玉が弾けるようにかき消えた。
 視線の先には、カプラ親子との話を終え、今は数人の大人たちに囲まれている少年がいる。
 沢田綱重がヴァリアーを率いることとなって半月、暗殺部隊らしい任務は未だ一つも――廃工場を潰したのは綱重でスクアーロたちは何もしていない。何もさせてもらえなかった――行っていない。パーティーに出席する綱重の運転手兼護衛……それがここ最近のスクアーロの仕事である。
 こいつは、パーティーに出るためにヴァリアーのボスになったのだろうか。そう思うほどの連日連夜のパーティー三昧にいい加減うんざりしている。
 ボンゴレの10代目候補という立場を考えれば、ボンゴレの幹部をはじめとする有力者たちに媚を売るのは当然なのかもしれない。同盟ファミリーの中でも規模の大きいファミリーのボスに狙いを定めて、せっせと話しかけている姿はスクアーロからしてみれば露骨で滑稽であったが、相手方に気にした様子はない。今の綱重がどれだけ未熟に見えても、将来ボンゴレという巨大な組織を背負う可能性がある限り、彼を邪険にする人間はいないのだ。
 その上、綱重は、相手の好みに合わせて自分を演出してみせていた。あからさまに演技をするわけではない。基本的な話し方や表情は統一されている。あたかも、幼くも聡明な少年の隠れた一面が顔を覗かせたかのように、相手が望む色を纏うのだ。
 老いてなお、その実力と影響力において端倪すべからざるものを持ったマフィア界の重鎮には、言葉の端々に己の若い頃を思い起こさせるような荒削りで純粋な野心をちらつかせ。豊満な体をしたマダムの前では、母性をくすぐる無知で愚かな光を瞳に宿しながら、他愛ない話に一所懸命耳を傾ける。
 そんな努力の甲斐あってか、綱重と会話をした者は概ね好意的な印象を抱くようだった。
 これも一種の才能といえるのだろう。しかしスクアーロは、綱重に他人を惹き付ける何かがあるとは決して認めたくはなかった。
 ――あの男は、他人に媚びたりしなかった。ただそこにいるだけで、人を従わせる強さを持っていた。
「辛気臭い顔はやめろ」
 いつの間にか綱重が側まで来ていた。笑みを消し、毅然とした声にも感情は一切こもっていない。無愛想なそれにスクアーロは苦り切る。愛想を振りまかれても困るが、これはこれで気に食わない。
「なら、こんな場所にオレを連れてくるのをやめたらいい。ここは暗殺者が来るような場所じゃねぇ」
「そんなことはないさ。パーティー好きなヴァリアーのボスを知っている」
 スクアーロの右眉がぴくりと跳ねあがる。自らが切り落とした、ある筈のない左手が疼いた気がした。
 沢田綱重について、スクアーロが把握していることは少ない。突然取引を持ちかけてきた少年の情報を、ボンゴレの監視を掻い潜りながら必死に調べた成果は今一つ上がらなかった。
 確かなのは、門外顧問の息子であることと、いくつかのカジノや飲食店の経営に携わっていることだけで、その他は信憑性の薄い噂ばかり。剣帝テュールが彼の家庭教師をしていたという話もそのうちの一つだ。綱重の家庭教師だったという人間は複数見つかったが、彼らから聞く綱重の評価は散々なものだった。例えボンゴレ9代目や門外顧問に依頼されたのだとしても、剣の帝王とまで謳われた男が面倒を見るとは思えないほどの。てっきりガセだと思っていたが。
「よっ、スクアーロ」
 朗らかな声がスクアーロの思考を遮った。
「跳ね馬かぁ」
 言葉を交わす二人を綱重が交互に見つめる。特にスクアーロには、どういうことか尋ねる意図を込めて。
「こいつとオレは同級生でな」
 人好きのする笑みを浮かべ、“跳ね馬”が答えた。
「お前は綱重だろ? 親父さんから聞いてるぜ。自慢の息子だってな」
 ニコッと微笑みを返す綱重。
「こちらこそ、あなたのお噂はかねがね伺っております。お会い出来て光栄です、跳ね馬ディーノ」
「照れるぜ」
 綱重が差し出した手にディーノが応えることはなかった。正確には、ディーノは応えようとしたものの、突然赤ん坊に後頭部を蹴り飛ばされたため、それどころではなくなったのである。
「部下がいないと何も出来ないヘナチョコが調子に乗んなよ」
「ッ、リボーン! お前なんでここに、っていうか、なんなんだその格好は!?」
「あなたが変な女にたぶらかされないよう監視に来たのよ! 部下たちに心配かけるなんて、ボス失格ね!」
 金色のウィッグを揺らしながら、わざとらしい女性言葉で赤ん坊が言う。身に纏うのは、エレガントなシルエットのドレスだ。妙齢の女性が着れば、さぞ会場の注目を集めるに違いない。……実際、今も別の意味で注目が集まっている。
「ったく、あいつら、余計なことを」
 ぼやくディーノの肩に飛び乗った赤ん坊。その黒曜石のような大きな瞳が綱重を捉える。
「ちゃおっス」
 先程ディーノに向けたものとまったく同じ笑みを浮かべ、綱重は、一切の動揺を見せずに答えた。チャオ、素敵なドレスですね――と。


 当たり障りのない会話の後、連絡先を尋ねたのはディーノの方だった。にも関わらず、今、携帯電話の画面を見つめるディーノの表情は浮かない。簡単な挨拶が綴られたメール。何度か読み返した後、結局返信はしないまま携帯をしまう。
 ロマーリオの運転はいつも通り丁寧で、眠気を誘った。今夜のように精神的に疲弊しているときには特にだ。自分は、ああいう腹の探り合いには向いていないと改めて思い知った夜だった。いつも手厳しい家庭教師もそれがわかっているからか、大あくびをしても何も言わないでくれている。
「聞いていた感じと随分違ったな」
「俺は、家光の親バカ話なんて最初から当てにしてなかったぞ」
 辛辣な言葉に、おいおい、と苦笑いを浮かべる。だが親バカという単語を否定することもできない。その通りだからだ。
 親の欲目というのはかくも恐ろしい。あれのどこが“無邪気”で“素直”だというのだろう。
 値踏みするような視線を思い出し、ディーノは頭を掻く。
「家光さんには悪いが、あいつとはあんまり関わりたくねえな」


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