29

 寝起きの体に活を入れようと熱めの温度に設定した。数十秒ほど目を瞑ったまま動かずに、シャワーヘッドから降り注ぐ湯に打たれる。
 右手で濡れた髪をかきあげる。
 鏡に映る自分は、相変わらず酷い顔色をしていた。

 下着一枚で部屋に戻ると冷ややかな視線が向けられた。
「何か着てください」
「着てるだろ」
「パンツは何か着てる内に入りません」
 無視して、濡れた髪を乱雑に拭きながら冷蔵庫を覗く。ミネラルウォーターに伸ばしかけた手を途中で方向転換。コーラを掴む。カエル相手に気取る必要はない。
 フランが綱重の護衛についてからすでに三日が経過していた。初日はフランの言動に常時ピリピリしていた綱重だったが、いっそ推し量るのを止めてしまえば、途端に楽になった。何を考えているのかわからない幻術士は恐ろしいが、人を逆上させることに長けたカエルなら、警戒するのも馬鹿馬鹿しい。
 口の中で炭酸が弾けるのを感じながら、肩にかけたタオルの端で首筋を擦った。うっすらと紅い跡が残る、その箇所。擦ったところで消えるわけじゃない。それでも綱重の指は止まらなかった。あんなに嬉しかったキスマークが今は意識する度に心に重くのしかかる。
 匣兵器は未だ上手く使いこなすことができない。
 机の上に置いたままの匣を視界にいれないようにしながら、ソファーに腰を下ろす。ごみ箱に放り投げてやろうか。思うだけで、実行には移せない。
 どうでもいい物のように部屋の隅に放り出してある、過去から連れてきた武器も同じだ。見ないようにしていても、どこにどんな風に置いたか思い描けるほど意識している。これもまたあの白蘭という男の言う通り。何があっても、いつまでも、捨てられない。縋りつくのを止められないのだ。
 未来の自分は、この十年、何も感じなかったのだろうか。匣兵器は一応使えていたようだけれど、敵に囚われていたことを考えれば実力はやっぱり“その程度”なのだろう。なのに、ザンザスの傍にいる。こんなリングまで与えられて。
 とんだ馬鹿野郎だ!
 罵る言葉は次から次に湧いてくる。ドカス、図々しい、恥知らず……天に向かって唾を吐き続ける。
 ザンザスに愛してると告げられ、傍にいることを許されたあの日。あれからずっと馬鹿みたいに浮かれていた。いや、馬鹿みたいじゃなくて馬鹿なんだ。こうして十年後の未来に飛ばされなければ一生気付くこともなかった。
 十年後の未来で気付いたこと。それが良かったのか悪かったのかは、まだわからない。
 確かなのは、このままではいられないということだけだ。

×

 ボンゴレ本部の地下には射撃場の他にトレーニングルームもあって、綱重は起きている時間の殆どをそこで過ごした。護衛であるフランはずっと側にいたが、持ち込んだゲーム機で遊ぶか、雑誌を読むか、さもなければ寝ていた。そんなカエルを、射撃場のときのように“余計なこと”をされるよりはいいと綱重は放っておいている。
 たまにザンザスとスクアーロを除く幹部たちが顔を出した。
 レヴィ曰く、澄んだ色の炎は、純度が高い証拠だという。綱重が灯す炎は、属性特有の力を強く引き出すことのできるそれだと。
「と言っても、ザンザス様の足元にも及ばない、いや、比べるのもおこがましいレベルだ! 決して調子に乗るんじゃないぞ! あのお方は……」
 どれだけザンザスが凄いかという話を四十分続けた後、レヴィは去っていった。
 また、眠りこけるフランにナイフを投げながらベルが言うには、属性違いだと言われなければわからないほど匣の力を引き出せているらしい。けれども
「そこら辺にいる雑魚なら蹴散らせるんじゃね」
 と言いつつ、
「試しに行くならオレに声かけろよ。カエルは役に立たねーかんな」
 そう続けるあたり、若干の世辞も含まれているようだ。
 彼らの優しい言葉を真に受けるほど綱重は楽観的ではない。炎の純度は確かに高いのだろう。手のひらに灯る小さな炎を弾丸に集めて集めてようやく手に入れることのできる爆発力が、リングと匣兵器さえあれば数秒で形にできる。もしもこれを長い時間維持できるとしたら、一人でも戦えると胸を張っていたところだ。
 敵と圧倒的な数の差がある以上、大勢に囲まれる可能性は高い。それも短時間に何度も。戦闘シミュレーションを連続三回行った程度で炎を灯せなくなるほど疲弊していては、話にならない。
 すぐにスタミナ切れを起こすのは、体を巡る波動の総量が少ないからだと綱重は推測した。どうにもできない生まれ持った資質だと。
 諦めの表情で俯く綱重の頬を、両手で包み込むようにして上向かせ、ルッスーリアは言った。
「ある程度はそうでも全ての原因ってわけじゃないわね。……あら、なぁに? そんなびっくりした顔をして。だっておかしいでしょ、炎の質と量は比例しないとはいえ、あれだけ純度の高い炎が出せるのに、いくらなんでも燃費が悪すぎるじゃない」
 ルッスーリアの顔には人を安心させる微笑みが浮かんでいる。
「他属性の匣兵器は、開匣できても、全ての力は引き出せないって話したわね。あなたは無意識にそれを補おうとして必要以上に炎を注入している」
「注入する炎の量を減らせと?」
 属性違いの匣兵器を武器に、複数に向かうとなるとどうしたって持久戦は免れない。戦闘の途中で炎が切れてしまったらそれこそ目も当てられない。
 ルッスーリアの口元が一層緩んだ。駄々をこねている子供を見るような、仕方ないわねと言うような笑みだ。
「綱重。本当は、わかっているんでしょう?」
 どうすればいいのか。
 何が必要なのか。
「……わからない」
 首を振りながら、しかし、机の上でガタガタ揺れる匣が見えた気がした。


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