28

 弾痕はターゲットの中心に集中している。全弾が命中したことを確認し、綱重はそれまで詰めていた呼吸を再開した。
 パチパチパチ……拍手と呼ぶにはお粗末な、ただ手のひらを打ち合わせただけの乾いた音が向けられて、軽く眉を寄せる。意地でも振り返りたくない。淡々と、銃のカートリッジを入れ替えた。
 そうして顔をあげれば、無機質なコンクリートの壁が広がっていたはずの前方には、ある筈のない街並みが広がっていた。
 悪く言えば古ぼけた、良く言えば歴史を感じさせる家々。平均的なイタリアの下町だ。瞬きをすると同時に、車の影から、路地裏から、複数の男が飛び出してくる。左手に匣兵器を持ち、右手の指にはまるリングには炎が灯っている。
「余計なことはするな」
 後ろを睨み付けた綱重の体に赤い炎を宿した肉食獣が襲いかかる。
 ガブリと噛みつかれた右肩から真っ赤な飛沫が上がり、綱重の顔が歪んだ。痛みではなく怒りの感情によって。
「いや、折角の最新設備を使わないのは勿体ないなーって」
 ホログラム映像のスイッチを切りながら、フランはそう言い訳した。
 街並みが消え、敵がいた場所には白黒の的が戻る。しかし全て元通りというわけではなく、円形だったそれは人型のターゲットに変わっていた。さあ戻しましたよ続きをどうぞとカエルの被り物の下で澄ました顔が告げてくる。
 銃を放り投げる代わりに(暴発を心配する冷静さは残っていた)、シューティンググラスとイヤーマフを床に叩きつけた。ストレス解消に来た射撃場で、なぜ余計に苛立ちを募らせなければいけないのか。

 射撃場は地下にあり、行き来にはエレベーターを使用する。
 フランが乗り込む前に扉を閉めてやろうとも思ったが、護衛である青年を置き去りにすることは許されない。仕方なく想像のなかだけで一人になった綱重は、これっぽっちも解消されない苛立ちを抱えたまま、奥の壁に背を預けた。
 二人を乗せた箱が浮上する。
「克服しようとは思わないんですか?」
 何を、なんて聞かなくともわかった。円の的は狙えても、人を思わせる的からは目を逸らしてしまうことについてだ。
“――君は撃たない。”
 嘲る声が頭の中で蘇る。あのやり取りをこの青年にも見られていたことに気付いて、頬が熱くなった。羞恥。それから、あのとききちんと白蘭を仕留めていればという後悔。
 フランの言う通り克服すべきだろうか?
 否。炎を蓄積した弾丸を使えば、狙いが多少外れても問題ない。十年後の世界では匣兵器を使った戦闘が基本だというし、尚更、意固地になる必要はないと思う。
 結論付けると、すっと気持ちが落ち着いた。
 何の解決もしていないが少なくともこれで心の平穏は保たれる。逃げているわけじゃない。自分の限界を見極めただけだ。今までもずっとそうしてきた。自分には才能がないのだと、様々なことを諦めてきた。
 だから、昨夜のことも。ザンザスが自分を強制的に眠らせたことも、いつものように割りきってしまえばいい。
 逆に感謝してもいいくらいだ、ああでもされなければいつまでも眠れなかったのだから。
 気遣ってくれてどうもありがとう。
 言葉にすれば、間違いなく嫌味たらしい響きを持つのだろう。朝食をとりながら“必要だと思ったら自分から飲む”とルッスーリアに伝えたが、それも随分な口調だった。“もしくは薬を変えてくれないか。昨日の昼にも飲ませてくれただろう? 体にあわないみたいで頭痛がするんだ”――自分でもうんざりするくらい、皮肉たっぷりだ。
 幸い、今日はまだザンザスと顔を合わせていないので、当てこすりの感謝の言葉だけは紡がずにすんでいる。
 動き始めと同じにゆっくりと箱が停止する。
 問いを無視をする形になったが、フランは何も言わなかった。エレベーターを降りて、どこに向かうとも言わずに歩き出した自分の後ろを黙ってついてくる。目だけで窺えば、被っているカエルの方が余程表情があるのではと思うような無表情が顔にはりついていた。一体何を考えているのか、読み取ることは不可能に思えた。
「十年後の僕はお前と親しいのか?」
「会ったこともないですけどー」
 何故そんなことを聞くのかとフランは首を傾げる。綱重は怪訝な表情を返した。
「僕はヴァリアーに所属していないのか?」
「はい?」
 もう一段階、ガクリと横に傾けられる頭。重そうだ。思わず、頭上のカエルの方と目を合わせてしまう。
「ヴァリアー所属だって誰か言ってました?」
「言われてはいないが、でも、恐らくはそうなんだろうと」
 左手にはまる指輪を右手の親指でなぞりあげる。確かめるような動きに、ああ、とフランは頷いた。
「そのリングのことなら普通にアレじゃないですか、エンゲージリング的な」
 フランにからかっている様子はない。単に思ったことをそのまま口にしているだけのようだ。現に、絶句する綱重に更なる言葉をかけることもなければ、桃色に染まった頬を指摘することもない。
 馬鹿を言うなと怒鳴りたかったが、相手がこれだ。そんなことをすればこちらが馬鹿に見えてしまうと気付き、わざとらしい咳払いで言葉を流す。
「だったらどうして僕の護衛に志願したんだ」
「ミー、ベルセンパイとよく組ませられるんですよ。新米とペーペーはセットだとかなんだとかで」
「……それで?」
「ここだけの話、あいつ嫌いなんですよー。だからセンパイから離れられるなら喜んで志願もしますー」
 綱重の表情が変わった。琥珀色の大きな瞳が細められる。
「僕は嘘を吐かれるのが嫌いなんだ」
「八割くらい本気で言ってるんですが。っていうか、答える義務ありませんよねー?」
「本当はベルと片時も離れたくないらしいとザンザスに話そうか」
 チッという舌打ちの音を綱重が咎めるより早く、フランは自ら、すみませんと謝罪の言葉――相変わらず心のこもっていない声音ではあったが――を口にした。
「ちょっとした興味ですよ。ボスが綱重さんに執着する理由が知りたいんですー」
 綱重の体が大きく前後に揺れる。
 朝起きてからずっと、胸の内で渦巻いているものの核心をつかれた気がした。
 本当は、睡眠薬を盛られたことなんてどうでもいいのだ。気付けなかった迂闊さは反省しなければならないが、それよりも、ザンザスにそこまでさせた自分が――自分の弱さが、そんな弱い自分がザンザスの傍にいることが、許せなくて、苛立っている。
 ザンザスの視線が、言葉が、態度が、疑いようもない彼からの想いを伝えてくれる。ザンザスに愛されていると感じるからこそ、誇れるものが何もない自分が情けなくて仕方がない。
「今のところ全っ然見当もつかないんですけど、ご自分ではどの辺りだと思ってますー?」
 この場にいるのがフランと自分の二人きりで良かったと思う。もし他の幹部がいたら動揺を隠しきれなかったはずだ。他人であるフランには虚勢を張れても、彼らには無理だ。無意識に甘えがでてしまう。彼らなら、不安になることなどないと慰めてくれるに違いないから。
「答える義務はない」
 黙れと眼だけで告げる。人に向けるにはあまりに冷ややかな視線だ。10代目候補であったとき、よく使った手だ。
 他者を黙らせるのに多くの言葉はいらない。短く毅然とした命令に、射抜くような視線を加えるだけ。手本は言わずもがなだ。
「じゃあ綱重さんはあの怒りんぼのどこが良かったんですか」
 突き放す眼光にフランがまったく堪えていないこともそうだが、なかなか聞く機会のない単語を耳にして、眉を上げる。おこりんぼ。それはもしかしてザンザスのことを言っているのかと尋ねそうになった。話の流れからしてザンザス以外に有り得ないというのに。
「……知らない」
「自分のことじゃないですかー」
「どうでもいいだろ」
「気になるんです」
 これは答えるまで追求されそうだ――仕方なく、口を開いた。
「だったらお前は答えられるか? なぜ人は酸素を吸って生きているのか……そうだからとしか言えないだろう。僕があいつを求める理由は、それと同じだ」
 予想外の反応をフランは示した。さっきまであれほど無表情だったのに、目を剥き、口をあんぐりと開け、顔全体で驚きを示している。それほど答えが返ってきたことが意外だったのか? だったらはじめから聞かなければいいのに。綱重が思うと同時に、
「言ってて恥ずかしくなりません?」
「ッ、お前……!」
 今度は我慢できずに、ふざけるな、と怒鳴っていた。


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