5

 長い廊下の先に消えていく金色を見送った。
「つまんねーの」
 頭の後ろで手を組みながら唇を歪める。そんなぼやきを聞きつけてか、突如隣に小さな気配が現れる。ベルもまだまだ小さな子供であるが、そんなベルよりももっと小さく幼い体。マーモンだ。
「スクアーロから言われたこと、もう忘れたのかい? “手出しはするな”“奴の命令は素直に聞け”」
「うっせ」
 赤ん坊の柔らかな頬をつねる。ギュッと力を込める前に目の前が歪んで――幻術だ――仕方なくすぐに手を離した。
 マーモンが深く嘆息する。
「いつまでもこだわっていたって仕方がないだろう。割りきりなよ。まったく……レヴィといい、君といい。金さえ払ってくれたら誰だっていいじゃないか」
「オレだって殺しが出来れば文句はないっつうの」
 だったらどうして。フードの奥から見つめられ、居心地悪そうにベルは身動いだ。そんな年相応の少年らしさを覗かせながら、しかし、続けた言葉は紛れもない暗殺者のものだ。
「あいつ、動きが特別早いわけじゃない。反応の速度も並みだ」
 顔合わせの日、先程のように奇襲をしかけあっさり避けられてしまったベルが、数時間ずっと膨れていたことをマーモンは思い出した。拗ねているだけかと思っていたが、説明のつかない現象にずっと違和感を覚えていたらしい。
「あんな奴がオレの攻撃を避けられるはずねぇのに」
 幼い身でありながら、ベルは超一流の暗殺者だ。気配の絶ち方に間違いはない。殺気を放つのもナイフを投じるその瞬間だけ。綱重が身を翻す時間は確実になかった。それなのに。
 無能な振りをしているだけかとも思ったが、壁に刺さったナイフを見て目を丸くしていたあれは絶対に演技ではなかった。避けられたのには別の理由がある。
「多分、オレがナイフを投げるより一瞬早く動いてやがんだ。こちらの気配に気付いたわけでもないのに何故だかな」
 忌々しげに吐き出したベルにマーモンが、ああ、と頷いた。
「超直感だね」
「何それ」
「9代目が何故神の采配と謳われているか、知ってるかい。ボンゴレの血統にのみ受け継がれるという能力、見透かす力、超直感。それを使っているのさ」
「つまり、ナイフがくるのを見透かしていた――予知していたってことか?」
「予知じゃなく予感さ。彼が感じたのは“ナイフが向こうから飛んでくる”なんて具体的なものではなく“なにか嫌な感じがする”程度だと思うよ。嫌な感じがしたから一瞬足を止めた、そうしたらナイフが目の前を横切った、そんなところだろう」
「……ふぅん」
 そんな隠し球を持っていたとは。腐ってもボンゴレの10代目候補か。
 じゃあボスも持っていたのかな、超直感。いや、そんなこと考えるまでもないか。あの人は、ボンゴレ9代目の息子なのだから。
 ベルが辿った思考をマーモンも同じく通ったらしい。
「ボスは、そんな特殊能力に頼る必要がない……いや、能力が霞んでしまうほどに強いからね」
 ん、と小さく相づちを打つ。
 金を払ってくれたら誰でもいいと言いつつ、マーモンの口から出た“ボス”という呼称が示すのは、綱重ではない。そして、決して過去形では語らない。ベルは長い前髪の奥でそっと目を細めた。
「あいつ、ボスの話した途端に顔色変えたぜ。ビビりまくり」
「ボスを恐がらない人間はいないよ」
「まあな」
 あんな強張った表情を見せるくせに、不在の隙を狙ってではあるが、あの人と10代目の座を競おうというのだから、余程楽観的なのか度胸があるのか。
 何にせよ、これから綱重のすることは全て無駄な足掻きにしかならない。
 玉座は王のために存在するのだから。王子であるベルが唯一認めた男のためだけに。

×

 モニカにドラッグを渡したとされる売人グループの溜まり場は、たった一発の弾丸によって吹き飛ばされた。その小さな弾丸には、廃工場を崩れ落ちさせるに充分なエネルギーが蓄積されていたのだ。その上、工場内には火薬や燃料の類いが残されていたらしく、時間差で何度も爆発が起き、炎の勢いは増すばかりだった。
 黒い煙の中から、二人の男が逃げ出してきた。それぞれ背中と腕に火がついていたが、ぎゃあぎゃあ元気よく叫んでおり、どちらも命に別条はなさそうだ。
 地面を転がる二人の前に黒衣の集団が現れる。ヒッと引き攣った声をあげたのは左側の男。右側の男は声も出ないぐらい驚愕している。
 こいつらがやったんだ!
 混乱した頭が認識するや否や、縺れた足で再び逃げ出した。
 スクアーロがすかさず義手に取り付けられた剣を構える。
「放っておけ」
 綱重の制止に真っ先に反応を示したのは、傘を背負った大男レヴィ・ア・タン。
「何だと?」
「恐怖を伝える生存者がいるなら都合が良い。今日はこれで終わりだ。戻るぞ」
「待て。奴らを捕らえ、元締めについて吐かせるべきだろう」
「ただの売人に何を訊くつもりだ? 言われなくとも、有用な情報を引き出せると思っていたらそうしている。弾丸を撃ち込む前にな」
「……ということは……貴様、まさか、あれを見せるためだけに幹部全員をここへ連れてきたというのか!?」
 わなわなと震える指が尚も燃え盛っている建物を指し示す。綱重は肯定も否定もしなかったが、レヴィは目を吊り上げた。
「俺たちを何だと思っている!」
「……? 部下だと思っているが」
「ッ、貴様をボスと認めた覚えはない!!」
 綱重の琥珀色の瞳は、炎が映り込み、いつもより鮮やかな色で輝いていたが、そこに感情はみえなかった。怒りも落胆もなく、肩を震わせ憤りを隠しもしない“部下”をただ見つめている。
「レヴィと同じ意見ってのは気に食わないけど、オレも納得いかない」
「なぬっ!? それはどういう意味だ、ベル!」
「久々に暴れられると思って来たんだぜ? このまま何もしないで帰れるかよ」
 そんな最年少幹部の言葉にも淡々と言葉を返す。
「僕は“ついてこい”と言っただけだ。お前たちが勝手に勘違いしたんだろう」
「てめっ」
 ナイフを取り出し飛び掛かろうとしたベルに、綱重は素早く銃口を向けた。そこから放たれる弾丸がただの弾丸でないことは、証明済みだ。舌打ちと共に、幼い王子様は振り上げた凶器を収めた。
「おい。話していたのは俺で、」
「剣は使わないのかぁ?」
 剣士であるスクアーロの意識が綱重が持つ武器に向かうのは当然だ。
「貴様ら、」
「必要なときに必要なものを使う」
 スクアーロから隠すように――そんなことで隠れるはずもないのだが――ギュッと剣の柄を握る綱重。まるで、己の身を守ろうとしているようにも見える。これ以上この武器について聞いてくれるなと全身で告げていた。過剰な反応に、逆に興味をそそられたスクアーロが口を開くが、あの男が爆発するのが先だった。
「いいか!」
 綱重だけでなく同僚たちからも言葉を遮られたレヴィは、彼らを無視し返すことに決めたようだ。ターゲットである綱重を睨みつけ、高らかに言い放つ。
「こんなことで貴様を認めると思ったら大間違いだ! この程度で、偉そうにしおって! あのお方ならば、あんな工場一つだけでなく、ここ一帯を焼け野原にしているところだっ!!」
 ぎゅっと綱重の眉間に皺が寄る。細められた瞳にも僅かな色がのったが、幹部たちが読み取る前に、綱重の手のひらが隠してしまった。俯き、目元を覆いながら、深い溜め息を漏らす。顔をあげたのは数秒後。
「それでも今ここにいるのは僕だ」
 皮肉気に歪んだ唇で綱重は言った。


「途中に、シーフードが美味しいお店があるのよ」
 車が走り出して十分が経った頃、ルッスーリアは切り出した。
「寄り道がしたいなら一人のときにしろ」
「……それじゃあ帰ったら私が何か作るわ。やっぱり、お魚よりお肉が好きなのかしら?」
「必要ない」
 素っ気ない返事にルッスーリアは小さく息を吐いた。二人きりの車内に流れるロマンチックなラブソングも、冷ややかな雰囲気の中ではまるで葬送曲に聞こえる。
 レヴィが綱重と同じ車に乗るはずはなく、スクアーロは、このままじゃ気分がおさまらないから地元の殺し屋と遊んでくると言って駆け出したベルを追いかけていった。綱重は最初マーモンに指示したのだが、守銭奴の赤ん坊が高額な報酬を要求したことから王子様のお目付役にはスクアーロが任命されたのだ。そのマーモンは幻術士らしくいつの間にか姿を消していて、結果、この車にはルッスーリアと綱重だけが乗っている。
「毒なんて盛らないわよ」
 ミラー越しに窺った、広い後部座席の真ん中に座る少年は相変わらず無表情だ。長い睫毛が上下する間隔は一定で、動揺は見受けられない。
「私だけじゃなく、そんなセコい殺し方する人間はヴァリアーにはいない。殺るなら真っ正面からじゃなきゃ楽しくないもの。そもそも、あなたに危害を加えたって何の利益にもならないことは皆わかってるわ。レヴィもね。ベルちゃんは……ちょっと遊びが過ぎるけど」
 以前の有力候補と同じ地位に就いて他の10代目候補を引き離したいのだと、この少年はスクアーロに言ったそうだ。本当にそれだけが目的だとはヴァリアーの幹部たち誰一人として思っていない。だが、綱重が門外顧問の差し金であろうとなかろうと、ボンゴレの大切な10代目候補を殺してしまえばヴァリアーは今度こそ終わりだ。それに、ようやく取り戻した自由を手放す気もない。
 打算ばかりなのはお互い様。
「“弱者は消す”、それがヴァリアーの掟なの。死にたくなければもっと顔色を良くすることね」
 フフッと笑みを溢したルッスーリアに綱重は何も答えなかったが、この日からきちんと食事をとるようになった。


prev top next

[bookmark]
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -