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 手紙を投函してから今日でちょうど二週間になる。ドキドキ煩い胸の鼓動は、走って帰ってきたという理由だけではない。
 封筒に宛名を記すのはいつも母の役目だった。兄がいるのは遠い外国で、だから届け先の住所は、向こうの文字で書かなければならないのだ。ひらがなとカタカナは間違えずに書けるものの、漢字はほんの少し使えるだけの自分にはとても難しい。
 それでもどうしても兄に聞いてほしいことがあって、それが何と読むのかもわからないまま、リターンアドレスを書き写した。
 間違えたかもしれない。汚くて読めないかもしれない。兄の元に届くことなく、どこかの国の郵便局で放置されているのではないか。時間が経つごとに不安は大きくなり、ここ数日、あまり眠れずにいた。だから、ポストの中に封筒があるのを見た瞬間、思わずぴょんと飛び上がってしまったのである。
 ただいまも言わずに自分の部屋へと駆け上がる。手洗いうがい!と追いかけてくる母の声には答えず、ランドセルを背負ったまま封を切る。


お手紙 ぶじに とどきましたよ。
あて先が ローマ字で きちんと書いてあって びっくり しました。
かん字も ずいぶん いっぱい 書けるようになりましたね。
ツっくんの がんばりが 手紙から つたわってくるようで とても うれしかったです。何度も読みかえしています。
母さんには ひみつ らしいので ツっくんが 一人で 読めるよう あまり むずかしい字は つかわず おへんじ します。
もし わからない字が あったら、かん字じてんや 国語じてんを つかって しらべてね。いい べんきょうに なると思います。
さて、あたらしいクラスで なかなか 友だちを作れないそうですが、その きもち よく わかります。
ぼくも さいきん たくさんの あたらしい出会いがあり、「はじめまして」と言うことが とても おおいのです。うまく 話せたり話せなかったり いろいろですが、なるべく 自分から話しかけるようにしています。
ツっくんも はずかしがらず まわりに どんどん話しかけてみてください。
まずは、あいさつ。
あいさつは だいじ ですね。ニッコリわらって 元気よく。あいさつ されて、おこる人は いないでしょうから。
そして なかよくなるには、あいてに 自分のことを 知ってもらうのが 一番だと思います。
自分の すきなものや とくいなこと きょうみのあること について 知ってもらうんです。きらいなものや にがてなものを 話すよりも 楽しく 話せると思います。
ツっくんは、ゲームが すきだから おなじ ゲームが すきな子と 友だちになれると いいですね。

・・・いい アドバイスができなくて ごめんなさい。
じつは、友だちの作り方、ぼくも よく わからないのです。
たよりにならない兄だと 思われたくはなかったのですが、ウソは つけませんね。
それでも また何かあったら こうして お手紙くださると うれしいです。ちゃんと答えられるかは わかりませんが、いっしょに 答えを考えることは できると思います。
もちろん、何もなくても、ツっくんからの お手紙 まっています。
こちらからも手紙を送りますね。
では、また。
ツっくんに すてきな お友だちが できるよう いのっています。


 手紙から顔をあげ、はあ〜と息を吐く。あまりに情けない悩みを母には相談できなくて、こっそり兄に手紙を送ったが、そもそも兄に聞くこと自体間違っていたようだ。
 よくわかると書いてはいるが、兄には理解できないのだろう。休み時間にやることもなくクラスの隅でぼうっとしている人間の心情は。確かにゲームは好きだが、それは誰かを惹き付けられるものではない。
 クラスの人気者は、大抵、足が速くて、サッカーやドッジボールが得意だ。自分は違う。同じチームになることを嫌がられるのも、自分を押しつけあうジャンケンがはじまるのも、いつものこと。
 運動が苦手でも、せめて勉強が出来たらよかった。算数の時間にみんなから教えを乞われたりするのだ。
 運動や勉強が苦手でも、面白いギャグを言える子は人気だけれど……笑われるのには慣れているが、誰かを笑わせる自信はない。
 手紙を引き出しの中に仕舞い、溜め息をもうひとつ。
「どうせオレなんか一生ダメツナなんだ」
 あーあ。ランドセルを放り投げ、ベッドに寝転がる。
「……帰ってこないかなあ……」
 一日だけでもいい。もしも兄が帰ってきたら、外国に留学しているかっこいい兄の“弟”として、みんなから一目置かれるかもしれない。兄じゃなくても、ポケットから便利道具を出してくれる猫型ロボットでも、いいんだ。このつまらない日常を劇的に変えてくれる何かがある日突然、目の前に現れたなら。
 もう一度だけ溜め息を吐いて、有り得ない夢想を振り払う。それから読みかけの漫画に手を伸ばした。

×

 広い厨房には、ブルーノの姿しかなかった。汚れた皿の山に必死に向かっているが、彼一人では、洗い終えるまでにどれぐらいの時間がかかるだろうか。
 ブルーノは、綱重が一週間前まで住んでいた屋敷で、副料理長を務めていた男だ。豪華で洒落たものよりもどちらかというと家庭的で素朴なメニューを得意としており、彼の作る食事を綱重は気に入っていた。無事にヴァリアーのボスに就任することが決まり、ヴァリアーの本部に居を移さなければならない綱重が直々に“一緒に来て欲しい”と交渉したうちの一人だ。
 彼は、数少ない、警戒する必要のない人間だった。
 金銭や地位への欲求が強いタイプは、意外に扱いやすい。エサを目の前にぶら下げて、飢えさせない程度に与えておけば、なかなかよく働く。より美味しい話を見つければ簡単に裏切るし、だからといって予め過剰に飴をあげすぎても言うことを聞かなくなるから、そのあたりの加減が難しいが、部下にするなら、最高とは言えないものの悪くない選択といえる。
 逆に厄介なのは、自己を満たす欲求の薄い者、己より他者を優先する者だ。
 血を分けた家族。愛する人。かけがえのない友人。そんな、何かを犠牲にしてでも守りたいものがある人間。――人は、大切なもののためならどこまでも非情になれる生き物だから。
 裏社会に生きているからといって天涯孤独な人間ばかりではないし、皆がみんな愛を知らないわけでもない。つまるところ、大半の人間に裏切る素地があるのである。
 故にブルーノは文句なしに素晴らしい。
 彼は、生後すぐに捨てられ孤児院で生まれ育った。幼少の頃から無口で、親しい友人は一人も居らず、七年前に別れたきり恋人もいない。酒もギャンブルもやらない。仕事には至極真面目に取り組むが、他人を蹴落としてまで出世したいとは考えない。まさに理想的な人材。
「あ……」
 髪の色と同じ、深い茶色の瞳がこちらを向いた。
 丁寧な仕事ぶりと、彼の内面が滲みでたような温かみある料理のおかげで、一緒に働く者たちから厚い信頼を寄せられていた、そんな彼も、ここではただの無口な新入りだ。包丁を握ることは許されず、雑用を押し付けられて、文句も言えない。
 イタリアでも日本でも変わらないのだな。綱重は妙に感心する。暗殺部隊お抱えのシェフだろうが、小学生だろうが、新しい環境に馴染む努力は同じだ。
 ブルーノならば弟にもっと良い手紙を送れたかもしれない。友人のいない彼なら、効果的な助言をするのは無理でも、悩む弟の心にもっと寄り添う文章を書けたはずだ。そうでありたいと思いながら手紙を綴った綱重だが、しかし綱重が友人を作ろうとしたことはないしこれからもそれは有り得ない。綱重が、料理人でも小学生でもなく、マフィアボンゴレファミリーの10代目候補である限り。
 ブルーノが泡だらけの手を拭くのを待ってから、綱重は口を開いた。
「シェフ全員の顔を見ておきたかったんだが今は誰も居ないようだな」
 声もなくこくりと頷く。相変わらず無口な男だ。
「出直そう」
 踵を返した綱重をブルーノが呼び止める。綱重様、と。一回り以上年下の少年に向けるには丁寧すぎる呼び方で。
「何かお作りしましょうか」
「……、必要ない」
 食材が減っているのを見つかったら怒られるのは自分だろうに。余計なことはしなくていいと睨みつける。思わず頷きそうになった自分への苛立ちもあって、きつい視線を向けてしまった。可哀想な男が顔を強張らせたのに気付いたが、綱重はそのまま黙って厨房を後にした。

 過剰反応だという自覚はあった。幹部たちも一緒に食事をとるわけだし、それこそ毒を盛るチャンスはいくらでもあるのだから、シェフだけを警戒する理由はない。しかし顔も知らない人間が作ったものを口にする気にはなれないのだ。顔を見て一言かわす。たったそれだけ。されども。
 ブルーノに調理をさせろと命令するのは簡単だ。元からここで働く料理人たちは反発したくてもできず、渋々ながら従うだろう。鬱憤は綱重ではなくブルーノに向かう。それにブルーノが耐えられないとも思わない。赤ん坊のときから周囲にぞんざいに扱われてきた男だ。誰に何をされても、ああして黙って自分のするべきことを行うのだろう。あの無口な男は、世間知らずで考えなしの主人に、ひたすら尽くし続けるのだ。
 ぐうと腹が鳴いたので、仕方なく固形栄養食を懐から取り出して口に運ぶ。チーズ味のそれは嫌いではないけれど好きでもない。
 本当は、チョコレートが厚くコーティングされたキャンディバーが食べたかった。暗殺部隊のボスには相応しくない、小さな子供が好む甘い甘いお菓子。今の綱重には、欲しいなどと口が裂けても言えないそれを。
 最後の一口を胃におさめると同時に、ナイフが鼻先を掠めるようにして飛んできた。もう一歩踏み出していたならば、壁ではなく己の頭蓋にそれは突き刺さっていただろう。
 ナイフから伸びるワイヤーの先、階段の上に立つ小さな体に視線を向ける。
「二度と僕に武器を向けるなと言ったはずだ」
「“ヴァリアーを辞めたくなければ”だっけ? 了承した覚えはないぜ」
 うししっと悪戯に笑う少年の名はベルフェゴール。幹部たちからはベルと呼ばれていた。
「大体、前のボスはそんな脅し使わずとも、オレにナイフを投げさせなかった。態度に問題があるのはオレじゃなくてそっちじゃね?」
 ぐっと歯を食い縛り、綱重は腰から下がる剣へと手をのばした。
「おっ、やる気か」
 望むところだ。ししっと白い歯を剥き出して笑うベルから視線を外し、剣を振るう。
 ベルではなく、目の前に張り巡らされたワイヤーに向かって。


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