2

 乾いた音が響き渡り、パーティー会場に緊張が走った。和やかに歓談していた声は悲鳴と怒号に変わる。
 警備の任についている男たちは音のした方向へと一斉に駆けだした。

 中庭の真ん中で立ち竦む少年をいち早く目に留めた男が彼の名を呼んだ。
「綱重様!」
 ゆっくりとした動作で綱重が振り返った。その顔は青ざめ、震える右手には銃が握られていた。先程の銃声は彼が引き起こしたものらしい。
「大丈夫ですか」
「……ああ。少し切りつけられただけだ」
 それは随分と控えめな表現だった。綱重の左腕には大きな裂傷が走り、溢れる血液は自然には止まりそうもない。
「すぐに手当てを。さあ」
 背中を押し、屋敷へと誘う男に綱重は頷く。しかし彼は自身の足下に視線を向けたまま動こうとはしなかった。
 琥珀色の瞳が見つめる先には死体があった。仰向けに倒れ伏す、もう冷たくなっていくしかない体。
「大丈夫です。これは我々が始末しますから」
「“始末”」
「はい。ですから早く中へ」
 ようやく足を動かした綱重に男たちはほっと息を吐いた。

×

 慌てて椅子から立ち上がろうとする綱重を制しながら、ボンゴレ9代目・ティモッテオは部屋の中央に歩を進めた。先に室内に集まっていたボンゴレの幹部たちが皆一歩後退したため、綱重とティモッテオは一対一で向かい合った。
「大丈夫かい?」
 綱重は俯いた。
「宴を台無しにしてしまい、申し訳ありません」
「君が謝ることではない」
「しかし」
「君の所為ではないのだから」
「……はい」
 膝の上で握られている拳が小刻みに震えているのを見つけ、ティモッテオはそっと眉を寄せた。
 あってはならない事態だった。ボンゴレ主催のパーティーで、暗殺未遂など前代未聞だ。本来なら事が起きる前に情報を手に入れ、片をつけるべきこと。それなのにこうして彼は傷付いた。しかも。
「まさかボンゴレ内部の犯行とは……」
 呟いたのは、幹部の一人。
「心当たりは?」
「わかりません。僕の命を狙う素振りは、まったくと言っていいほど……」
 後半は苦々しい声音で吐き捨てられた。部下に裏切られたのだから、当然だろう。
「あ、でも――」
 ふと何かに気が付いた様子で綱重が顔をあげる。しかしすぐにまた俯き、口を噤んでしまった。
「何か思い当たることがあるなら言いなさい。どんな些細なことだって構わない」
 優しい声に、零れ落ちそうなほどの大きな瞳が揺らいだ。ティモッテオは続ける。これは君一人の問題ではない、ボンゴレに対する攻撃なのだ、と。
 厳しさの滲む声に促される形で、綱重はおずおずと口を開いた。
「彼は、以前エンリコが仕切るシマで働いていたと話していました」
「何?」
 反応したのは、名前を出されたエンリコその人だった。幹部たちをかき分け、エンリコは綱重に歩み寄る。
「まさか俺が仕組んだとでも言う気か」
「そんなこと……っ」
 言い淀む綱重の胸ぐらを、男の筋張った手が掴んだ。
「いい加減なこと言ってんじゃねえ! 証拠もないのに告発する、それがどういうことか解ってんだろうな!?」
「……っ」
「大体なあ、お前なんか殺す価値もねえんだ! 実力のない、名前だけの10代目候補を殺って俺に何の得があんだよ!」
「落ち着きなさい、エンリコ。綱重もまだ動揺しているのだから」
 叔父であり、そしてボンゴレのボスであるティモッテオに宥められてもなお――流石に綱重からは手を離したが――エンリコは憤慨した様子を隠しもせずに声を荒らげた。
「しかし、こんな謂れのない疑いをかけられるのは我慢できません!」
「あの、」
 ギロリと鋭い視線が綱重に向かう。エンリコの怒りのこもった眼差しに身を竦ませ、綱重は小さな声で話しはじめた。
「犯人探しは、もういいんじゃないでしょうか? 実行犯から話が聞けないとなると難しいと思いますし……ボンゴレに対する宣戦布告なのはわかってますけど、僕自身は、もう今夜のことは忘れたいです。……このままじゃ、周りの人を不快にするだけだ。考えなしに変なこと言って、ごめんなさい」
 次第に俯いていった綱重は、涙声の謝罪を述べたあとスンと鼻を啜った。気遣わしげにティモッテオがその肩を叩く。
「顔をあげなさい。君のその優しさは美徳ではあるが、時には前を向く強さも必要じゃ」
「……。……そう、ですよね……」
 暫くはグスグス鼻を啜っていたものの、目元を力強く擦り、綱重は顔をあげた。自身を奮い立たせるかのように握られた拳を膝におき、決意の現れた力強い瞳をティモッテオに向ける。
「9代目。お願いがあるんです」
「ほう?」
「急にすみません。さっきまでずっと考えていたことなんです。……その、今後は、僕自身に部下を選ばせてはくれませんか?」
「君に?」
 こくりと頷き、綱重は笑みを浮かべて言った。
「自分の目で判断した、信頼できる人間に側にいてもらえたら安心できます。もし裏切られて殺されてもそれなら諦めがつきます」
「もし殺されてもなんて笑いながら言うことではないよ」
「……すみません……」
 一転、しょんぼりと肩を落とす綱重に、ティモッテオは思わず表情を緩めた。
「君が望む人材を君の下につけるというのは、うむ、叶えてあげられそうだ」
「……僕が望む……誰でも、いいんですよね?」
「ああ。誰か当てがあるのかな?」
「正確には、ファミリーに属している者ではないのですが」
「もちろん外部からでも構わないよ。君の安全と安心のため出来る限りのことをしよう。約束する」
 綱重がふわりと微笑んだ。それは年相応の、無邪気さを感じさせるものであったが、その瞬間、ティモッテオの胸に過ったのは、明白な後悔だった。
 ボンゴレ9代目は瞬間的に己の失言を悟っていた。
「感謝します、9代目」
 綱重の瞳から、怯えや恐怖といった感情が消え去る。卑屈さを感じさせるほど弱々しく縮こまっていた体は、いつの間にかぴしりと背筋を伸ばし、ボンゴレ9代目に対峙するに相応しい居住まいを見せていた。
「では、ボンゴレ独立暗殺部隊ヴァリアーの謹慎処分を解き、そして指揮権を僕に与えてください。無論、現在彼らについている監視の目も全て外していただきたい」
「なんだと?」
「ヴァリアー、と言ったか……?」
「有り得ない」
「論外だ」
 ざわめきが細波のように広がった。驚愕や困惑の滲んだ否定的な声音が室内を支配するなか、綱重は、怯んだ様子もなく真っ直ぐにティモッテオだけを見つめていた。
「9代目は先程、誰でも構わない、とおっしゃいましたよね。僕が希望するそれに尽力するとも」
「……尽力するにも限度がある。それはわかるね?」
「ええ。ですが、暗殺される危険がある以上、部下に高い戦闘能力を求めることは“度を越したお願い”とは言えないのでは?」
 返す言葉が見つからず、ティモッテオは、眉を寄せる。
 完璧で淀みない受け答えは、全てシミュレーション済みであることを窺わせる。
 部下の手前、つい先程したばかりの約束を反故にするわけにはいかず、かといって「よしわかった」と二つ返事で了承するわけにもいかない。
 少年の狙いを見極めようと、その琥珀色の瞳を覗き込むティモッテオだったが、横から邪魔が入った。
「それが狙いか。自作自演でこんな騒ぎを起こすとは呆れるな」
「……言っておきますが、襲われたことは事実です。あなたにも心当たりがあるでしょう」
「なに?」
 再び疑いをかけられたと思ったエンリコがいきり立つが、綱重は、そういう意味ではないと首を横に振ってみせる。
「最近、狙撃されたそうですね」
「なんで知っ……、まさかお前が!」
「僕がやるわけないでしょう。偶然、そんな話を聞いただけです」
「この、ぬけぬけと!」
 綱重の胸ぐらに伸ばされた手は、途中でバシンと叩き落とされた。予想外の反撃にエンリコが目を見張る。
「自分はあれこれと調べまわっているくせに、こちらが同じことをしたら怒るのか?」
「なっ……!」
「ちなみに、これについての証拠はある。だが、今後ボンゴレを担っていく者として、ボンゴレに関わる全てを知っておきたい気持ちはわかるし、特に問題にする気はない。そちらはどうだ?」
「っ……!」
 エンリコは愕然とする。
 綱重は知っている。あの男――今夜綱重を襲ったとされる男だ――にエンリコが金を渡していたことを、知っている!
 勿論、綱重を殺せなどという命令はしていない。見張らせていただけだ。何か不穏な動きを見つけたら連絡をしろ、と。だが、一体誰がそんな話を信じるというのか。金銭を渡していたというだけでは決定的な証拠ではない。処罰はされないだろう。しかし、限りなく黒に近いグレーとして扱われるはずだ。
 怒りの表情を浮かべ、ギリギリと歯噛みしつつも、エンリコに残された道は、口を閉じることだけだった。


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