2

 暗殺部隊ヴァリアーのボスであるザンザスは、恋人から期待に満ちた眼差しを向けられていた。
 キラキラとしたそれはともかくとして、その後ろから覗く五対の眼が鬱陶しい。綱重と話していたのはベルだけだが、同じテーブルについている他の幹部たちも勿論これまでの話を全て聞いていて、一体ザンザスは何と答えるのかと興味深そうにこちらを見つめている。
 とりあえず持っていたグラスをスクアーロに投げつけ――「う゛お゛ぉい! 何でいつも俺だけだぁ!」――ザンザスは、一言、吐き捨てるように答えた。
「知るか」
 ベルの笑い声と綱重の抗議の声が重なる。
「ちゃんとベルに言ってやってよ! サンタクロースはいるって!」
「うししっ。やっぱ、寝ぼけて夢と現実がごっちゃになっただけだな」
「違う! 本当にソリに乗ったんだ!」
 あんなにぐっすり眠っていたくせによくそこまで断言できる――ベルと言い争っている綱重の必死な横顔を眺めながら、ザンザスは、ある年のクリスマスの朝を思い出していた。


「メリークリスマス!」
 そのときザンザスが眉を顰めたのは、裏社会の人間が発したとは思えない能天気な挨拶の所為でも、早朝に起こされたからでもなかった。
 ボンゴレファミリー門外顧問、沢田家光。常々おかしな男だとは思っていたがまさかここまでとは。
 ピエロがつけるような赤い鼻をつけ、茶色の着ぐるみに身を包んだ家光の姿に、呆れを通り越して哀れみの眼差しを向ける。男の横には、父であるボンゴレ9代目が立っていた。流石に父の方は仮装しておらず――赤いセーターを着ていたので一瞬ぎょっとしたが――ザンザスは、ほっと息を吐く。良かった。こっちの馬鹿が父親でなくて。
「何の用だ」
 言ってすぐ、馬でも鹿でもなくトナカイに扮した家光の腕の中で、彼の息子の綱重がくぅくぅと寝息を立てていることに気がついた。
 年明けまで日本にいるはずのこいつが何故ここにいるんだ?
 思わずまじまじと寝顔を覗き込んでいた。門外顧問と9代目についてはまだ、こちらで何か問題が起きて緊急帰国――とてもそんな風には見えないが――したと考えられる。しかし綱重がイタリアに戻ってくる理由はない。綱重自身が望んだら別だが、それは有り得ないだろう。日本に帰ったら何がしたいこれがしたいとあれほど騒いでいたのだ。母親の作ったクリスマスケーキ、おせち料理。弟と遊んで、お兄ちゃんと呼んでもらう。餅つきをして、初詣に行く、と。この数週間、耳にたこが出来るくらい何度も何度も聞かされていた。
「綱重が、サンタのソリに乗ってイタリアに戻るって言い出してな」
「……ああ?」
「家族よりも友達を優先するようになるなんてもっと先のことだと思っていたんだが」
 しみじみ話す家光に、ザンザスは不快そうに顔を歪めた。
 誰が友達だ。まさか俺のことか? 冗談じゃない。折角、煩いやつが消えて暫く静かに過ごせると思っていたのに。
「っ、おい! なに勝手に人のベッドに寝かせてやがる!」
 トナカイの腕からベッドの上へと移動して、綱重はより穏やかな寝息を立てている。楽しい夢でも見ているのか時折小さく笑みもこぼして。子の笑みにつられてか、ニコニコと締まりのない顔が振り返った。
「ん? いつもここで一緒に寝てるんだろう?」
「そいつが勝手に潜り込んでくるんだ! いいから、とっととその馬鹿を叩き起こして日本に連れて帰れ!」
「それは無理だ。薬で眠らせてあるんでな」
「何だと?」
「もし機内で目が覚めたら、サンタのソリじゃないってバレちゃうじゃないか」
 何を不思議がることがあるとでも言いたげだ。
「それでも途中で一度起きかけたから薬を追加したんだが、今度はちょっと多かったらしい」
 ハハハッ。豪快な笑い声に目眩を覚える。いくらマフィアといえど、息子に薬を盛ったことを笑いながら話すのはどうなんだ。
 眉を寄せるザンザスに家光は急に真面目ぶった表情を浮かべた。何かと思えば、
「サンタクロースを見たと話して欲しいとは言わない。ただ、サンタの存在を否定するようなことだけは言わないでくれ」
 ……頼まれずとも言うつもりはない。そんなことをすれば一体どれだけギャーギャー喚かれることやら、想像しただけで頭が痛くなるのだから。
 だが、交渉の機会をみすみす見逃すわけにはいかなかった。サンタの正体は黙っててやるから今すぐそいつを連れて出ていけ――口を開きかけたそのとき。
「ザンザス」
 それまで黙っていた父に呼ばれ、振り向いたザンザスは、目を丸くする。
 9代目がこちらに差し出しているそれ。金色のリボンが巻かれている赤い箱――どこからどう見てもクリスマスプレゼントだ。
 じっと見つめるだけで受け取ろうとしない息子の手を掴み、プレゼントを持たせてやる父親の目は、至極優しかった。プレゼントを手にしたあともザンザスは暫く動けないでいたが、促されて、リボンを解く。
「私はこういうのには疎いから、綱重に選んでもらったんだが……どうかな?」
 真一文字に唇を引き結んだザンザスは、ひたすらに手の中のゲームソフトを見下ろしていた。
 パッケージ裏の文章を何度も目で追う。日本語は習得済みである。何度も読み返さなければならないような長い文章というわけでもない。ただ何故か上手く頭が働かない。辛うじてこれが対戦型格闘ゲームだということを理解して、だからと言ってそれで何か言葉が出てくるわけでもない。喉の奥に何かが詰まってるみたいな、そんな感覚。そもそも何らかの言葉を発する必要があるのかどうかもわからない。……未だに視線が注がれているのを感じるということは、やはり何か言わなければならないのだろう。
 では、何を?
 検討もつかない。
 クリスマスプレゼントなんて今まで一度だって貰ったことがなかった。母と二人で暮らしていたときはもちろん、ボンゴレ9代目に引き取られたあとだって。
 綱重に選んでもらったと言っていた。もしかしたら奴が何か言ったのかもしれない。余計なことを、と思う。そして今このときこそ煩いあいつの出番だというのに、肝心なときにグースカ寝ていやがって、どこまでも使えないやつである。
 思考の海に沈みすぎたからか、相手の腕がいいのか。突然視界を塞がれるまで、家光が後ろから忍び寄っていたことに気がつかなかった。
「なんだ!? やめろ!」
 視界はすぐにひらけた。どうやら服を被せられたらしい。暴れてみたが体格の差は埋められなかった。
「これは俺からだ。マイスウィートハニーの奈々が心を込めて編んでくれたセーターは、あったかいだろ? しかも9代目とお揃いだ!」
 無理矢理に袖を通させられた真っ赤なセーターと、父の着ているそれを見比べる。同じ糸で編まれているらしい。サイズは父のものより小さかったがそれでもザンザスの体には少し大きかった。それもそうだ。家光の嫁――綱重の母親に、ザンザスは会ったことがない。小さくて着られないよりは、と大きめに作ったのだろう。
 旦那と息子と同じく、おめでたい頭をしているに違いないと思う。見たこともない子供の為にこんなものを編むくらいだ。それも。
「……こんな馬鹿みてえな色」
 フ、と僅かに空気を震わす小さな笑い声が耳に届いた。ザンザスは眉を上げて父を見やる。
「綱重が『赤い色がいい』と奈々さんに言ったそうだよ。お前の瞳と同じ色だから、と」
 ザンザスの顔に今日一番の顰め面が浮かんだ。

「おっと、早く日本に戻らなきゃクリスマスが終わっちまう」
 もう一人の可愛い息子が待ってるんでな!と家光が足早に部屋を出ていき、夜は一緒に食事をしようと言いながら9代目もそれに続く。
 残されたのは赤いセーターを着たままのザンザスと。
「カスが」
 ベッドを蹴られても、幸せそうに眠り続ける綱重だけ。
「……ドカスのくせに」
 その後綱重が目を覚ますまで、どんな気持ちで過ごしていたかはあまり覚えていない。
 プレゼントに巻かれていたリボンと同じ金色が、雪のように真っ白なシーツに沈む光景。それだけは、今でもよく覚えていたけれど。


「ほら、やっぱりサンタなんかいねえんだって」
 囃し立てるような声についに綱重の怒りが頂点に達したらしい。矛先はベルではなく、ザンザスだ。
「なんで嘘つくんだよ!」
「あの日も俺は何も知らねえって言っただろうが」
「でも、誰かが自分の部屋に入ってきたのにザンザスが気が付かないわけないだろ! いくら相手がサンタさんだからって、」
 不自然なところで言葉が途切れる。唇を薄く開けたまま綱重はさっと青ざめた。
「ま、まさか、お前、サンタさんを……っ」
 一体何を想像したのやら、震える声が言う。
「何てことしたんだ!」
 涙声で叫びながら殴りかかってきた体を、ザンザスは慣れた手つきで抱き寄せた。
「何もしてねえ。サンタなんか知るかよ。……赤い服着たジジイと間抜けな動物が俺にテメーを寄越しただけだ」
「え?」
 暴れていた体が動きを止めたのをいいことに唇を奪う。驚いた様子で見開かれた琥珀色の瞳は、舌を絡めるとすぐにとろりと潤み、そして瞼の下に姿を消す。幹部たちがそそくさとその場から去っていくのを確認してから、ザンザスも目を閉じた。

 クリスマスの夜は始まったばかりだ。


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