26

「ボスはいつでもス・テ・キッ!」
 目の前にいる二人の男を交互に見つめ、ルッスーリアは頬を赤らめる。
「どうしよう、こんなの選べないわ〜!」
「誰も選べなんて言ってませんけど」
 フランの冷めた突っ込みも彼の耳には届かないようだ。いやーん、と興奮の声をあげるルッスーリアを黙らせたのは、飛んできた酒瓶だった。
「るせぇ」
 男の苛立った声に合わせて、真っ黒な隊服を飾る羽根が揺れる。ツンツンと逆立った短髪。顔に残る痛々しい傷跡。どっしりソファーに腰掛ける姿は威厳に満ち溢れ、視線だけで人を殺せそうなほど鋭い眼からは凶悪な光が放たれていた。ただそこに居るだけで周囲を威圧し他人を平伏させる、そんな人間がこの世に二人と存在するはずがない。
 彼は、ザンザスだった。十年前の姿ではあったが、ザンザスに違いなかった。
 綱重の身に起きた『未来の己と入れ替わる』現象が、ザンザスにも起こってしまったというわけではない。
 現在のザンザスはここにいる。十年前の自分を前に、不快そうに眉を寄せている。
「属性違いの匣で出したにしては悪くねえな。クソボスのふてぶてしさがよく出てるじゃねえかぁ!」
 言うやいなや、スクアーロは頭に衝撃を受けて倒れ込んだ。二人のザンザスが同時にグラスを投げたのだ。ただし、スクアーロの後頭部で砕けたグラスは実際には一つだけで、もう一つは幻である。十年前の姿をしたザンザスと同じく、匣兵器が作り出した幻覚だ。


 ――数十分前。
「他に匣兵器はないのか? 僕が今すぐ使えるようなものは?」
 綱重はザンザスに詰め寄っていた。
 練習すれば大丈夫だとルッスーリアは言ったが、とてもそうは思えなかった。あれほど激しい拒絶を示されては再び開匣する気にはなれない。
 ザンザスは眉間に皺を寄せたが、結局は、彼の指示で百近い数の匣兵器が綱重の前に並べられた。
 ボンゴレ本部に存在していた匣兵器はその殆どを先の戦いで略奪されてしまい、今あるのは、ヴァリアーが逆にミルフィオーレから奪ったものと、運よく略奪から逃れたものだそうだ。
「こんなにあるのか」
「ええ。でも大空の匣兵器はレアだからここには一つもないのよ」
 通常、異なる属性の炎を注入しても開匣することはできない。しかし大空の炎だけは全属性の匣を開匣できる……他属性の力を全て引き出すことはできないらしいが、綱重に文句はなかった。
「それに、まだどれが何の匣か確認出来ていないの」
 ミルフィオーレの紋章が刻まれた匣を手に、ルッスーリアが申し訳なさそうに言う。
「そうか」
 綱重は事も無げに頷いた。何の問題もない。元より直感で選ぶつもりだった。
 そうして選び取った匣の一つが、霧属性の匣兵器だったのである。

 匣から現れたそれは透明の体をしていた。
「……くらげ?」
 綱重の言葉に応えるように、匣兵器はふわりと傘を膨らませ、次の瞬間、上昇する。
 目を見張る速さで推進したクラゲは、天井にたどり着くとシャンデリアの影に身を隠した。
「おい、降りてこい」
 姿を見失いそうになる。目を凝らしながら指示するが、クラゲはその場から動こうとはせず、体から生えた数十本の触手をただ揺らすばかり。
 傘の四隅からそれぞれ十本以上伸びた触手には、その一本一本全てに、霧の炎が灯っていた。幻覚を構築する藍色の炎――これがクラゲの姿を余計に見にくくしているようだ。
「こういう場合、どうすればいいんだ?」
 言うことを聞かない匣兵器に綱重が困惑の言葉を漏らすと同時に、人工の無脊椎動物はまた勝手な動きをはじめる。
 しゅるりと、室内にいる全ての人間に向かって、炎を灯した触手が伸ばされた。そこに攻撃の意思は感じられない。海中を漂っているかのような自然な動きをしながら触手は綱重たちに触れる。一人につき数本。首や頬、手の甲といった露出している部分が狙われた。痛みはなく一瞬で離れていったが、その僅かな接触で、霧属性の炎が体内に注がれたようだ。
 効果はすぐに現れた。
 大空の炎で開匣したにも関わらず、幻覚の精度は高かった。体内に注ぎ込まれた炎が脳に直接作用しているのだろう。ここが十年後の世界でなければ、本物のザンザスがこの場にいなければ、幻の彼に走り寄っていたに違いないと綱重は思う。
 すぐにやめるよう指示を出したが幻覚は消えなかった。ならばせめて別の内容に、という願いも聞き入れられない。
 どうやら決められた一定の動作のみ行うらしい。オートマチックであるが故の融通のきかなさが、匣の使用者である綱重にも触手が伸びてきたこと、指示をまったく聞かないことに現れていた。しかも構築する幻覚の内容すら匣兵器が勝手に決めてしまっている。
「こいつはアンバランス匣だなぁ」
 改造を施され、本来の匣にはない能力を持った匣兵器。致命的な弱点がある場合が多い……スクアーロの説明を聞き、合点がいく。現れた幻覚がどうして十年前のザンザスなのかも理解できた。何も言わないがきっと他の皆も察している。
 綱重は、幻覚でないザンザスの方を見ることができなかった。恥ずかしくて、消えてしまいたかった。
 この匣兵器は、使用者がそのとき“一番望んでいるもの”の幻を自動構築するよう改造されたのだろう。以前の持ち主はあまり幻術が得意ではなかったのかもしれない。願望、つまり使用者の中の強い思念を匣兵器が自動で掬い上げてくれるため、幻覚を構築するのに必要な“イメージを膨らませる”作業が不要となっている。だから幻術士でない綱重でも、リアルな幻を生み出すことができたのだ。
 ずっとずっとザンザスを求めていた。十年後の世界にくる前も、来たあとも、そして今も。十年後の彼じゃない、自分の知っている彼を。彼だけを。その想いが形になったのだから、リアルでないはずがない。
 本物のザンザスから逃げるように幻覚の彼へと視線を向けた綱重は、ぎょっとした。いつからそうしていたのか、幻で出来た紅い瞳がこちらを見つめていた。本物そっくりの光に呼吸が止まりそうになる。あと数秒幻覚が消えるのが遅かったら名前を呼んでいたはずだ。幻に向かって、ザンザス、と。
「あとは持続時間さえ改善すれば、逃亡の際に囮として活用出来るだろう」
 レヴィの冷静な考察にハッとする。頭を振り、余計な考えを振り払う。今は匣兵器を扱うことにだけ集中しなければ。
 オートメーション化の弊害は、指示を受け付けない、つまり一度出した幻覚の内容を変えられなくなったことだ。確かに致命的である。限られた場面――レヴィの言ったような――では有用だが、肝心の戦闘時にはあまり役に立たないだろう。
 霧クラゲの入っていた匣を見下ろし、綱重は溜め息を吐く。
 綱重が直感的に選びとった匣は、どれも攻撃する力を持たなかった。晴れ属性の治療用匣や雷属性のシールド匣……そして霧属性のクラゲの姿をした匣兵器。どの匣兵器も持っていて損はないが、しかし、綱重が今求めているのは武器だ。敵に自分一人で向かっていける力を持った武器が欲しい。そう思っているのに……複数ある中から好きなものを選ぶ場面で、ハズレを引いたことなど今までなかったのに。
 こうなったら片っ端から試すしかない。
 匣の中身を確認するだけだ、小さな炎でいい。端から一つずつ開匣をしていく。使えないものは投げ捨てる。匣を掴み、炎を注入し、投げて、また別の匣を掴む。流れ作業のように繰り返す綱重に、ヴァリアーの幹部たちは顔を見合わせた。
「なあ、どんなのがいいんだよ」
 堪らずベルが声を掛ける。
「こちらから攻撃を加えられるものだ」
「それなら嵐属性だな。――お、これとかそうじゃね? 確か嵐ハイエナだ。ミルフィオーレの雑魚どもが使ってるヤツだけど、初心者には使いやすいと思うぜ」
 渡された匣を右手に持ち変えた瞬間、
「今夜はもう止めだ」
 ザンザスが綱重の左手首を掴んだ。リングに炎を灯す寸前のことだった。
 困惑と反発の感情が混ざりあった琥珀色の瞳が彼を見上げる。ザンザスは表情を変えずに続けた。
「ぶっ倒れたいならそうしろ」
「何?」
 手を振り払おうとして気がつく。
 体に力が入らない。
 愕然としながらリングに炎を灯してみる。制御したつもりはなかった。ザンザスを驚かせて、手を離させようと思ったから、最初のときと同じで精一杯の覚悟を念じた。
 リングに灯ったのは、澄んだ色はそのままだが、吹けば消えるような弱々しい炎。
「な、んで」
 問いかける言葉を口にしながらも本当はわかっていた。
 思い描いた炎を出せない不自由さ。いつもと同じだから、わかる。感じる。自身の体を巡るエネルギーの量が足りていないこと。
 鼓動がいつもよりずっと早いことに、ようやく気がつく。ザンザスはそれほど力を込めていない。振り払えないのは。
 息切れしている体を宥めるかのように、ザンザスの手が背中に触れる。
「炎を溜めておく匣も存在する」
 心の中で言葉を返した。
 ――そんなの、慰めにならない。


prev top next

[bookmark]
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -