25

 柊の匣から現れたのは、綱重がこれまで目にしたいくつかの匣兵器と同じく、アニマル型と呼ばれるものだった。
 茶色い被毛に覆われた大柄な体を、炎を灯した四つ足がしっかと支えている。迫力ある佇まいに目を瞬かせた綱重は、暫し首を横に捻る。ルッスーリアの孔雀、レヴィのエイ、スクアーロの鮫、ベルのミンク。どれもモデルとなった実在の生き物が何かすぐに見当がついたのに、目の前にいるそれが何を模しているのかわからない。
 考えに考えて出した結論は、
「…………牛、かな」
「トナカイだ」
「え!」
 びっくりして、綱重はザンザスを振り返った。
 匣から現れた獣は、綱重がトナカイと聞いて思い浮かべる生き物とは随分違っている。だが、トナカイであるならば、ナターレを思わせる匣の装飾に納得がいく。牛と呼ぶにはちょっと体つきも違うような気もするし、豊かな毛皮は極寒地帯で生きるものの証しであろう。
 けれど。
 綱重の視線は、トナカイであるらしいそれの頭上に向かう。そこにあるはずの、トナカイの象徴とも言える角が見当たらない。
 実際のトナカイも、常に立派な角を生やしているわけではない。一年に一度、角が生え変わるためだ。しかし、トナカイに関し『サンタクロースが乗るソリをひく動物』という、たったそれだけの知識しか持ち合わせていない綱重にとっては、角がないトナカイなどトナカイとして認識しがたかった。
 難しい顔で黙り込む綱重の不安を感じ取ったのか、ザンザスは、大丈夫だと頷いてみせた。
「何も間違えちゃいねえから安心しろ」
 どう見てもトナカイには見えないが、これはこの形で良いらしい。ほっと肩の力を抜く綱重の後ろから、ザンザスが告げる。
「お前は、こいつをルドルフと呼んでいた」
 十年後の自分が名付けたのだろうか。
 いま名前をつけろと言われたら、やはりルドルフと名付けただろうと綱重は思う。トナカイといえばルドルフ。だから、いくらトナカイらしくなくとも、ルドルフならばトナカイだ。
「赤鼻じゃなく、角もないルドルフか……」
 ゆっくりと“ルドルフ”に近づいていく。微動だにせずこちらを見つめているトナカイの眼からは知性が感じられた。人が作った物のはずなのに、これにはこれ自身の意志があるように思えてならない。匣兵器というものの不可思議さを改めて感じながら、綱重は角のないトナカイへと手を伸ばした。躊躇いはなかった。これは自分を傷つけない、そんな気がしていた。
 胸元を白く飾る被毛に指先が触れる。すると、トナカイの鼻先にパッと光が灯った。赤鼻と呼ぶには黄色みが強い、大空の炎だ。
 驚き目を見開く綱重の襟首を大きな手が掴む。ザンザスが綱重の体を引き寄せるのとほぼ同時に、ルドルフの額からは二本の角が突き出した。
 それぞれ一メートルはあるだろうか、太い幹のような角は、根本から枝分かれした先の先まで、鮮やかな橙色の炎を纏っていた。燃え盛る林を連想させるほど炎の勢いは強い。
 突如変貌した匣兵器に驚きを隠せない。目を見張る綱重を、獣の方もまたじっと見返していた。
 先程まで茶色く穏やかな光を宿していた眼は、今は赤く鈍い光を放っている。数秒見つめ合ったあと、トナカイは首を竦めるようにして頭を下げる。角が正面――綱重へと向けられた。

 それからの十数秒は、スローモーションを見ているかのようだったと綱重は回想する。
 時間の流れがゆっくりに感じられて、それでいて、何もできなかった。ただ見ていただけだ。獣が後ろ足を蹴りあげたのを。ザンザスが自分を後方へと押し出すのを。背後にはまるで予測していたかのようにレヴィとルッスーリアが居て、宙に投げ出された体を受け止めてくれた。
「大丈夫か」
 ベルの言葉に答えることも出来ず、綱重は、ザンザスの元へと歩みを寄せる。
 ザンザスの手には匣が握られていた。そこから放たれたのだろう真っ白なライオンが、巨大な鮫と共にトナカイに噛みついている。二匹がかりで床に押さえつけられて、トナカイの角と鼻からは炎が消えかかっている。苦し気な鳴き声が部屋に響き、綱重は、咄嗟に縋りつくような視線をザンザスに向けた。
「ベスター。もういい」
 ザンザスが名前を呼ぶとライオンの白いたてがみがピクリと揺れる。
 ルドルフから体を放す“ベスター”だが、どこか不満げな様子だ。猫が仕留めた獲物で遊ぶように前足でトナカイをつつき回し、トナカイにはもう暴れる気がないようだと悟ると、ようやく匣の中へと戻っていく。
 スクアーロの相棒はもう少し聞き分けがよい。呼びかけられてすぐに“アーロ”は身を翻した。オマケとばかりに、尾びれで青い炎を浴びせかけてはいたが。
 二匹が消えると、ルドルフは少しよろけつつも自ら立ち上がった。
 鼻の光は失われ、角も姿を消して、はじめのトナカイらしくない生き物にすっかり戻ってしまっている。噛みつかれた足の様子を確かめているのか、何度か足踏みを繰り返すルドルフ。動作は緩慢だったが特に不都合はないようだ。
 綱重がその名を呼ぼうと口を開く。が、いち早く、まるで言葉を遮るようにルドルフは匣に戻ってしまう。
「炎が切れたのよ。匣兵器は注入された炎の分だけ動く、」
 そんなルッスーリアのフォローも最後まで続かなかった。ガツンッという音を立て、柊の匣がテーブルの上に転がる。綱重が投げたわけではない。勝手に手の中から弾き飛んだのだ。
「お、大空の匣はデリケートだから、初めて開匣するときにはこういうこともあるわっ。でも何度か練習すれば大丈夫!」
 ねっ、とルッスーリアは仲間たちに同意を求める。その明るい声音も、ガタガタと独りでに揺れ続けている匣の前では、空々しく聞こえるだけだ。
 明らかな拒絶を示した匣を見つめ、綱重は唇を噛み締めた。


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