24

 もう、炎が灯るという表現は正しくないだろう。リングから勢いよく炎が噴き出す光景を綱重は信じられない思いで見つめた。
「ザンザス、これ……っ」
 再び彼を仰ぎ見る。
「悪かねえな」
 ザンザスはそう言って表情を緩めた。
 緩く細められた瞳が、艶やかな黒髪の隙間から覗く。あまりに優しい光を宿したその瞳に、綱重は息を呑んで見入ってしまう。
 ザンザスにとって何気ない仕草でも、今の綱重にはそうではない。二人が過ごした十年の月日は、綱重にはまだ、遥か未来の出来事なのだから。
「おい?」
 どうやらそのまま数秒ほど硬直していたらしい。呼び掛けに我に返ると、訝しげな表情を浮かべたザンザスの顔が間近にあって、飛び上がりそうになる。慌てて顔を背けるが、ザンザスの手によってすぐに戻されてしまった。
「どうした」
 どうもこうもない。頬に触れる大きな手の感触に目眩がして、ちょっと呼吸困難に陥りそうなだけだ。
「綱重?」
 堪らず目を瞑る。心臓が爆発しそうだ。半ば本気でそう思っていたが、実際に破壊音が轟くとは考えてもいなかった。

「……っあ、ぶね〜ッ!」
 間一髪のところで身を翻したベルが珍しく焦った声を上げる。
「チッ。惜しい」
「クソガエル! 聞こえてんだよ!」
 ベルが先程まで腰かけていた椅子は原型を留めていなかった。椅子と揃いの机の一部共々、消し炭と化してしまっている。
「何が、あったんだ?」
 呟くのと同時に、ザンザスに掴まれたままの自分の腕が、被害のあった方向へ向けられていることに気がついた。無理矢理そちらに甲を向ける形。どう見ても不自然な角度で手首が捻られている。
「えっと……」
 炭と化した家具。力を放出しきったみたいに、炎の消えたリング。それから何とも言えない表情――突っ込んできたトラックを必死に避けたあとのような顔だ――を浮かべたザンザス。順に視線を向けたあと、まさかと思いつつ口を開く。
「今の、僕が?」
「お前しか居ないだろうがぁ!」
 スクアーロが吠える。ベルの横に立っていた彼も相当肝を冷やしたらしい。
「で、でも匣兵器はまだ使っていないぞ!」
「ボスの――お前も、だが――手のひらに灯る炎、それ自体が強力な武器であることを考えれば何ら不思議ではないだろう」
 レヴィの言葉にハッとする。
 今さっき、リングの炎も死ぬ気の炎であると思い知ったばかりなのに忘れていた。すっかり舞い上がってしまっている。だってザンザスがあんな顔するから!とは、言えるはずもない。潔く謝罪しようとしたが……止めた。いそいそと部屋の隅に移動している暗殺者たちの姿を見たからだ。しかも、いつの間にかザンザスまでもが一歩後ろに下がっている。
「…………なんでそんなに僕から離れるんだ」
「いいから早く開匣してみろって。王子がちゃんとここから見てやってるから」
「炎の量は充分だぞぉ!」
「控えめに頑張ってくださーい」
「ボス、もう少しこちらに」
「っていうか、トレーニングルームに移動した方がいいんじゃないかしら」
「さっきのはちょっとした事故じゃないか! 今度は気を付けるから大丈夫だ!」
 もしまた勝手に炎が噴き出したとしても、一流の暗殺者である彼らなら避けられるだろうに。とんだ悪ふざけだ。でも、お陰でいい感じに体の力が抜けたかもしれない。尖らせた唇を皆に見えないよう一瞬だけ笑みに変える。
 肝心の匣兵器が使えるかどうかは解らない。ザンザスが認めるほどの炎を灯せたからといって舞い上がるのはまだ早い。
 ――この炎は、どうやら感情に左右されやすいようだし。
 浮わついた気持ちは抑えつつ、しかし、確かな自信を持って、綱重は右手に匣を掲げた。
 リングと違って匣には“VARIA”の文字はなかった。かわりに、緑の葉と赤い実の模様が刻まれている。柊のようだ。
 匣全体が白を基調とし、八ヶ所ある角は全てゴールドの金具で補強されていることも相俟って、ナターレ――クリスマスを思わせる。
 何を考えて、こんな、戦闘兵器には似つかわしくない装飾を施したのだろう。不思議に思いつつもリングに炎を灯す。小さすぎず、ベルやスクアーロを脅かすほど大きくもない、丁度よい大きさの炎。
 いよいよだ。
 興奮を押し殺した声が宣言する。
「開匣」


prev top next

[bookmark]
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -