21

 頭の中に地図を広げる。十年の間で増改築がされているかもしれなかった。それでも覚えている限り、最善と思われる道順を弾き出す。匣兵器が飛んでいった方向と、部屋の使用目的を考えて――組織の幹部たちが集まるならば、と――当たりをつけた部屋への最短ルートだ。幸い、城内に変わったところは見当たらなかったが、早く早くと焦る心が逆に足をもつれさせる。舌を打ちながらも、いよいよ目的地に辿り着こうとしたそのとき。
 綱重の足は止まった。
「……幹部クラスと思われる人間も居らず…………特に収穫は……」
 耳に届く聞き慣れた声。ザンザスを前にしたレヴィに違いない。溌剌とした発声ですぐにわかる。
 あの角を曲がれば目的の部屋だ。しかし綱重に、喜ぶ様子はなかった。
 長い廊下は冷えきっていて、駆けているときはともかく動かずじっとしていると寒さに負けそうになる。走りながら袖を通したジャケットだけではあまりに心許なかったが、諦めるしかなかった。とは言え、あと少し歩けば暖かな場所が見えるのだが。
 自分の行動について、一体何をしているんだと思わないでもない。それでも綱重は、その場で息を潜め、耳をすませた。
「ともかく、あの場所が本部だったのは間違いないようだぁ」
 この大きく響く声はスクアーロだ。次いで、しししっという笑い声が聞こえてくる。
「残ってた雑魚はもちろん皆殺しで。滅茶苦茶に暴れてやったから、多分あのビルもう使えないぜ」
 彼の声の高さは、然程変わっていないようである。十年経っているということは……と、最年少幹部の現在の年齢を思い浮かべて、思わず眉を寄せる。奇妙な話だが、ベルフェゴールは、今、綱重よりも幾つも年上ということになるのだ。
 大人ばかりに囲まれて育った綱重にとって年下の人間との接触は稀有だ。ベルは、言うまでもなく一番身近な――実の弟よりも、だ――年下だった。一体、どんな風に成長しているのだろう。興味はあるがあまり見たくない気もする。
 あの鮫の背に乗っていたのはレヴィ、スクアーロ、ベルフェゴール。部屋には恐らく、三人に加えてザンザスとルッスーリア、そしてフランという青年が居て、現在のヴァリアー幹部が勢揃いしているはずだ。
「……っ」
 忘れていた頭痛がぶり返してきて、こめかみを押さえる。
 もう、戻ろう。
 少なくとも今はまだ皆の顔は見たくない。
 踵を返そうとした綱重の顔に、何かが飛びかかってきた。
 悲鳴を堪えるより、踏ん張れば良かった。後ろに倒れ込んだときに打った尻の痛みに後悔する。情けなさでいえばどちらも同じようなものだ。立ち上がりたいが、突然視界を覆った何か、未だに顔から離れないそれを振り払うのが先決だ。
 果敢に、顔にへばりついているそれを掴むものの、予想外の感触に驚いて飛び上がる。フワフワしていた。温かで、柔らかい被毛に包まれているということは――動物か!?
 犬にしては小さいから猫だろうか。何にせよ、どうして自分の顔に飛び付いてきたのか、そして何故離れないのか。そもそも、何でここにいるんだっ。
 浮かべた疑問の数々に答えるかのごとく、綱重の頬に触れる生温い何か。
「ひゃ……っ」
 舐められた!
 比喩などではなく確実に数十センチ飛び上がった綱重は、今や完全にパニックに陥っていた。
「だっ、誰か助、」
「ミンク、戻ってこい」
 キィと小さく鳴いて綱重から離れた“ミンク”は、飼い主の元へ、いや匣の中へと戻っていく。
「ふーん。結構似合うじゃん」
 着ている隊服について言われているのだと綱重が気付く前に、見知った面影を残した青年は、続けて問いかけてきた。
「それで、そっちの感想は?」
「……え?」
「オレのミンク可愛かっただろ? あとそれから」
 青年が腕を広げる。
 意図がわからず何も返せない綱重に、何だよ、と拗ねた声音が言った。
「十年後のオレが目の前にいるっていうのに、何にもないのかよ」
「あんまり変わってないから言うこと見つからないんじゃないですかー」
「お前はオレの十年前知らねーだろ!」
「知らなくてもわかりますよー。どうせワガママ放題してたんでしょ」
「当たり前じゃん。だってオレ王子だもん」
 ベルは、どうやら新しい幻術士と上手くやれているらしい。突如始まった掛け合いに目を白黒させながらもそれだけは感じ取れた。
 二人の後ろには、思った通り、他の幹部たちも全員揃っている。……勿論、あの赤ん坊の姿はそこにない。
「大丈夫かぁ?」
 横から差し出された手を取り、立ち上がる。
 スクアーロだ。長く伸びた前髪を顔の横に垂らしてはいるが、相変わらず、銀の毛先は腰の位置で揺れている。
「ああ。寝起きで、少しぼーっとしてるけど」
 答えながら無理矢理に唇の端を引き上げる。安心させるために浮かべたそれは、笑みというよりも単なる筋肉の引き攣りと呼んだ方が良かった。自分では上手く笑えているつもりだったが、スクアーロのつりあがった眉を見てそうじゃないと知った。
「う゛お゛ぉい、」
「飯」
 スクアーロの言葉を遮って、ザンザスの簡潔にして絶対の命令が飛ぶ。即刻応えなければどうなることか。スクアーロは慌てて食事の支度を指示した。ただでさえ短気な上司は、特に、食に関することでキレやすいからだ。
「お疲れ様」
「……お前もなぁ」
 今度は上手く笑えたらしい。スクアーロが安心した様子で表情を緩めるのを見て、綱重も密かに安堵の息を吐いた。


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