17

 無言のまま地下道を抜け、辿り着いた先は、やはりボンゴレの総本部だった。ザンザスに続き城に足を踏み入れながら、綱重は瞳を伏せる。一度見れば十分の、見るに耐えない惨状をなるべくなら目にしたくなかった。
「……?」
 しかし、ふと違和感を覚え、顔をあげた。色素の薄い瞳が落ち着かない様子で辺りをきょろきょろと見回す。理由は明瞭だった。
 あちこちに転がっていたはずの死体が見当たらない。長い廊下にも、角を曲がり階段をのぼった先にもどこにも。あれだけ城中に蔓延していた死臭も、今や微塵も感じ取れなかった。まるで本当に何もなかったかのように――人の気配が全く感じられないことを除けば――綱重の記憶にあるままの、尊厳たる古城がそこにはあった。
 死体を片付け、荒れ果てた城内を修復するのにはどれだけの時間を要するだろうか。恐らくザンザスの指示で、一流の暗殺者たちが行なったのだろうが、いくらヴァリアーといえども容易な作業ではなかったはず。彼らが得意のそれは時に“掃除”と隠喩されるが、文字通りの清掃は業務外だ。
 ――ああ、そうか。
 合点がいくのと同時に綱重は泣きたくなった。ザンザスが真っ直ぐ城に向かわなかった、その理由。
 ――僕が動揺することのないように。
 城内を綺麗にする時間が必要だったのだ。
 そんな気遣いを素直に受け取れない自分が嫌になる。感謝より何より、まず劣等感が刺激されてしまうなんて。相手がザンザスでなければ、自分の非力さを棚に上げて余計なことをするなと怒鳴り散らしていたかもしれない。
 気を抜けば滲んでしまいそうな視界。先程とは違う理由で目を伏せながら綱重は考える。
 ――あの扉は穴が開いていた。あの柱は折れていた。階段は死体で溢れていた……皆、逃げようとしたところを襲われたのだろう。
 今歩いている廊下だって、酷く焼け焦げていた。人間の形みたいな焦げ跡があって、恐ろしくて。
 ひたりと足を止める。
 すぐにザンザスが振り返ったことに気がついたが、だからといって綱重は再び足を動かす気にはなれなかった。
「どうした」
 じっと床を見つめたまま動かない綱重にザンザスは問いかける。答えはない。
「……綱重!」
 名前を呼んだのはザンザスではなかった。突如現れた第三者、それも聞き覚えのある声に綱重は顔を上げる。ザンザスの後ろで派手な色彩のモヒカンが揺れていた。筋肉質な体をくねらせ、男が近づいてくる。
「ルッスーリア」
 名前を口にするのとほぼ同時に抱き締められる。女性的な香水の香りが鼻をくすぐった。鍛えあげられた胸板に押し潰されそうになりながら、綱重は彼が“本物”であることを認識して小さく息を吐く。
「無事で良かったわ」
 応えようと開いた口から意図せず苦悶の声が漏れた。ビルから脱出する際に出来た傷が痛んだのだ。お互いの体に挟まれた腕に気づいたルッスーリアがすぐに慌てた様子で体を離す。
「ごめんなさい」
「大したことない。気にするな」
 言いながら綱重はルッスーリアの背後に視線を向けた。ザンザスの隣に、いつの間にか一人の青年が立っている。ザンザスとルッスーリアが身に纏っているものと同じデザインの服――現在のヴァリアーの制服なのだろう――を着、頭には何故かカエルを被っている。
「フランよ。新しく幹部になったの」
「……沢田綱重だ」
「どうもー」
 ぺこりと頭を下げるフラン。首だけを動かす軽い会釈だったが、被り物の所為で随分な振り幅があった。
「幻術士だな?」
 床に視線を戻しながら、綱重はフランに尋ねた。先程には見えなかった焦げ跡が今ははっきりと綱重の目に映っている。
 幻術だと気付いたときからマーモンの作り出したそれではないと解っていた。どこがどう違うとはっきり言えるわけではないが、剣の太刀筋と一緒で使い手の癖のようなものが出ている気がする。
「手抜きしたわけじゃありませんから怒らないでくださいねー」
 尋ねた綱重ではなくザンザスに向かってフランは口を開いた。
「超直感とかいうチート能力のおかげでしょう? ……あ、気を悪くしたなら謝りますー」
 再びこちらに向かって頭を下げるフランに綱重は小さく頷いた。それ以外どんな反応を示せるだろう。どうやらこの青年は、あの赤ん坊に負けず劣らず歯に衣着せぬ物言いをする人物のようだ。同じ組織に幻術士が二人。それだけで何か起こりそうなのに、二人ともが幹部で、その上、この性格だ。衝突することも少なくないのでは?綱重は少し心配になった。ザンザスは部下同士の諍いなど全く気にしないだろうが、そんなボスに代わって個性豊かな幹部をまとめなくてはならない“彼”は気にせざるを得ないはずだ。実際、フランと相反しそうなマーモンやベルフェゴール、レヴィがここに居ないのは彼……スクアーロの指示に違いない。
 ザンザスと二人きりの気まずさから逃れ、やや軽くなった足取りで、綱重は三人の暗殺者に促されるまま進んだ。通されたのは、同盟ファミリーのボスや遠方から来た幹部などを宿泊させる一室だった。あまり荒らされなかったのか片付けたのか、室内は整頓されている。下手なホテルよりずっと快適そうだ。綱重は幻術が使われていないことを確認してから、ソファーに腰を下ろした。ザンザスの座る隣だ。紅い瞳が指示した通りに。
「さて、まずは怪我の手当てね。傷は腕だけ?」
 ルッスーリアの言葉に苦笑いで首を横に振る。相変わらず世話好きな様子だ。これでは、十年後の今もスクアーロと共に気苦労が絶えないはず。ただしスクアーロと違って、苦労を楽しみ歓迎するのがこのルッスーリアという男なのだけれど。
「本当に大した傷じゃない。必要な、」
 続きは言葉にならなかった。突然眩い光が辺りを照らして、思わず目を瞑っていた。そして次に瞼をあげたとき、そこには――。
 驚きのあまり硬直している綱重にルッスーリアは微笑んで言った。
「クーちゃんっていうの。よろしくね」
「綱重さんはそういうことが聞きたいんじゃないと思いますけどー」
 ルッスーリアの手には、いつの間にか小さな箱が掲げられていた。そしてクーちゃんと呼ばれたのは、同じくいつの間にか現れていた生物(……だろうか?クジャクのように見えるが、頭の飾り羽に炎が灯っている)である。寄り添うようにルッスーリアの足元に立つそれは、ルッスーリアが一言「戻って」と言うだけで、一筋の光となって、彼の持つ箱の中へと消えた。綱重の大きな瞳が益々大きく見開かれた。


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