16

 髪がのびてる。
 咄嗟に浮かんだ感想はそれぐらいだ。もしも口に出していれば、ザンザスは呆れた顔をしたに違いない。
 仕方ないじゃないか。だって、いきなり、こんな。唇を押さえる掌に、燃えるような熱い息がかかる。心臓が早鐘を打つのと同じリズムで、ハッ、ハッと体の中から吐き出されている。
 本当に十年後に来てしまったのだと認識してから考える時間はたくさんあったけれど、十年後の彼との対面を想像する余裕はなかった。事前に思い描けていれば慌てることはなかったのだろうか。
 そこまで考えて、綱重は気がついた。ザンザスの方は、初めからここに僕がいると解っていたみたいだ、と。それもザンザスからしてみれば“十年前の綱重”が。
「……どうして、ここに?」
 涙を拭いながら尋ねれば、凛々しい眉が僅かに動く。何となく、これは聞かない方がいいと思った。
「答えろよ」
 嫌な予感を振り払うように早口で促す。ザンザスは答えようとしない。綱重の心臓が先程とは違う理由で騒ぎ出した。心臓が耳の近くに移動したんじゃないかと思うほど大きく鳴り響く鼓動は、警報のようだった。怖じ気づいた綱重が“やっぱりいい”と口を開く寸前で、彼の唇がようやく言葉を紡ぐ。
「見ていた」
「……何を、」
「全てだ。あの部屋にはカメラがあって、奴は映像を垂れ流してやがった」
 心臓が止まるかと思った。実際には脳が揺さぶられたのだろう。ガツンと殴られたみたいに。ザンザスが何を言っているのか理解できなくて、理解したくなくて、何だって?と聞き返そうとする。しかし綱重の口からは、あ、とも、う、ともつかない声が漏れるだけだった。
 カメラ?
 そんなものがあったなら絶対に気がついたはずだ。……絶対じゃない。落ち着いて感覚を研ぎ澄まし、きちんと周りを窺っていれば、だ。
 体が震える。あれだけ熱かった体が一転して冷たく凍りついていく。
 気がつけたはずなんだ。気がつかなければ、ならなかった。男の言葉に惑わされ、動揺するなんてあってはならなかった。
 嘘だと言ってほしい。まさか、あんな情けない姿を見られていた、晒していただなんて!
「――あの場所がどこかわかるか」
 ザンザスを見る。何を訊かれたのか理解できないでいる綱重に、ザンザスは言葉を変えてもう一度尋ねた。
「白蘭と居た部屋の場所だ。わかるか」
「……大体、なら……っ」
 頷くのと同時に、震える手の中に小型の端末が落とされる。いきなり渡されたことにも、一目見ただけで知っているそれよりも明らかに高性能・高機能だと分かる機器自体にも、戸惑いを隠せない。
「ここを押すんだ」
 言われるがまま地図ソフトを起動させる。その後も慣れない操作に戸惑いつつ、何とかあのビルの位置を示してみせた。空を飛んでビルから離れたため、本当に大まかな位置しかわからなかったが、十分だとばかりにザンザスは頷いた。
「少し待ってろ」
 そう言ってザンザスは慣れた手つきで端末を操る。データをどこかに送信しているようだ。
 綱重はぼんやりとその様子を眺めた。精悍な横顔。艶やかな黒い髪に、紅い瞳。つい間違い探しをはじめてしまう。目の前のザンザスと自分の知っているザンザス。大分違うような、でも、何にも変わっていないような気もする。少し雰囲気が柔らかくなったように思うのは、髪が伸びたからだろうか。
 ……場所の所為かもしれない。綱重は屋敷に視線を移した。クーデター後、住人のいなくなった屋敷は、この十年も変わらず放置され続けていたようだ。まさに廃墟寸前といった姿を見るのは少し寂しいが、それ以上に懐かしさが込みあげる。ザンザスにとってもそうであったならば嬉しいと思った。
「行くぞ」
 声に顔を上げればザンザスはもう歩き出していた。慌てて追いかける。
 ザンザスは振り返らない。綱重が彼の言葉に素直に従うと解っているからだ。そして綱重も、どこに行くのかなんて尋ねることはしないし、尋ねようとも思わない。これこそ目の前の男が間違いなくザンザスである証拠だった。十年経っても変わらない。広い背中。前だけを見、迷いなく道を進む姿。彼の全てが、ただ黙ってついていけばいいのだと綱重にそう思わせてくれる。

 しかし、三十分近くも地下道を歩き続けていると、流石に少し不安になってしまう。恐らくボンゴレ本部に向かっているのだろうけど、何だかすごく遠回りをしている気がしてならなかった。というか、ずっと同じところをグルグル回っているような。
「ザンザス、あの、もし迷ったなら正直に言ってくれると嬉し、」
「テメーと一緒にすんな」
 言葉に詰まる。言い返せるはずもなかった。何故なら綱重は、ボンゴレ本部を出て屋敷に着くまでに三十分どころではなく一時間も地下でさ迷ったのだ。単なる方向音痴なら笑い話になったかもしれない。でも残念ながら、本部の惨状を見て恐慌した所為だった。
 迷ったことをお見通しなら、迷った理由も解っているに違いない。白蘭の元から逃げ出す一部始終を目にしていたのなら当然だと綱重は唇を噛み締める。そして当然、呆れてもいるんだろう。それとも元々期待なんかしていないから呆れるまでもない?
「もっと早く歩いていいよ。ついていける」
 道を間違えているわけじゃないのなら進むペースに問題があるんだ。決めつけて口にした言葉に返答はなかった。それどころかザンザスは足を止めてしまう。
「……どうしたの?」
 その質問にも答えはなく、逞しい体躯は、近くに放置されていた木箱に悠然と腰かける。
「休憩だ」
「ッ! 僕、疲れてなんか、」
「俺が疲れたんだ」
「嘘つくなよ!」
「いいから座れ」
 有無を言わさぬ口調に背ける筈もなく、綱重はザンザスの隣に腰を下ろした。
 こんな扱いはあんまりだと思う。まるきり子供扱いじゃないか。だが、怒る権利が無いこともわかっている。ザンザスにそうさせる自分の弱さが悪いのだと。ザンザスが十年分大人になっただけじゃない。自分が、あの屋敷にいた頃と何も変わっていないから。弱いまんまだから。
 お互いの掌を見比べればはっきりわかる。暗い地下を照らすため灯されているザンザスの炎と――とてもじゃないが彼と同じ炎だなんて呼べない代物。本当は灯す必要もない。ザンザスの炎だけで灯りは足りている。
 吐き出した溜め息は、重苦しい空気を更に深く沈めた。痛いほどの沈黙が綱重を刺す。何が休憩だ。まるで拷問じゃないか。そう思うなら自分から何か喋るべきだとも思うが、綱重には酷い自己嫌悪以外にも黙り込む理由があった。何しろザンザスとはあの争奪戦が終わって一度会ったきりなのだ。つまり想いを告げそして告げられたあの日以来、ということ。次はいつ会えるのか、会う機会があるのかもわからない状態だったが、まさか十年後の彼と会うことになるなんて思いもしない。
 こんなのどうすればいいんだよ。ただでさえ、次に会ったときにどんな顔をすればいいのかわからなかったのに。
「ここまでどうやって来た?」
 急に話しかけられて、びくりと大袈裟なくらい肩を揺らす綱重に、ザンザスが眉を顰める。綱重は平静を装いながら(どうしたって目は泳いだけれど)答えた。
「車を拝借させてもらったんだ。三台乗り継いで、足がつかないよう色々遠回りしながら……近くまで来たらあとは徒歩で」
 ザンザスが頷く。
「上出来だ」
「――“僕にしては”?」
 自嘲の笑みと一緒に浮かんだ皮肉。失言だとすぐに気付いたが、遅かった。
「十年前からきた、現在に関して何の知識も持たない奴にしては、だ」
 ザンザスがどんな表情でそう言ったのか綱重に窺えるはずもなかった。ザンザスが褒めてくれたのなんて、覚えている限りこれが初めてのことだったのに。


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