04

「にいちゃん、これだれー?」
 弟の手に握られている物に、飲んでいたジュースを吹き出しかけた。
「つ、ツっ君……! それどこで、」
 ゲホゲホと咳き込む僕を弟が不思議そうに見上げる。
「むこうにおちてた」
 言いながらツナは手の中のそれ――パスケース、を差し出した。
「おともだち?」
 パチパチと大きな瞳を瞬かせ、小首を傾げる姿に、つい口元が緩んだ。
 数年前、僕がイタリアへ発ったときにはまだ歩けもしなかった弟。久しぶりの帰宅をしてみれば、こうしておしゃべりが出来るほど大きくなっていた。それでもまだまだ小さな手から、パスケースを受け取る。お礼を言う代わりに頭を撫でてやりながら、僕はうーんと首を捻った。
「友達、とは違うかな」
「じゃあ、なあに?」
「いや、なにって聞かれても……」
 口ごもりながら、ふと母さんに言われた言葉を思い出した。最近言葉数が増えたという弟は、なんで、どうして、とよく人を質問攻めにするらしい。答えるまで続けるからとりあえず何でもいいから答えてあげてね、と言われて頷いたが、これは……なんで空が青いのかとかなんで犬はワンワン鳴くのかとか聞かれた方がよっぽど答えられたと思う。
 とりあえず友達でないことだけは確かだけど、なあ。
 パスケースを開いて、そこに入れてある写真を見やる。笑顔の僕と、黒髪の少年が写っている。彼の紅い瞳はこちらを見てはおらず、かと言って写真の中の僕を見ているわけでもない。そっぽを向いた横顔は見慣れた仏頂面で、9代目と門外顧問に言われたから仕方なく写ってやっているんだと言わんばかりだ。
「――にいちゃん?」
「ああ、ごめん。そうだなあ、命の恩人、かな」
「オンジン?」
「兄ちゃんは、こいつに助けてもらったことがあるんだよ」
「たすけてもらったから、しゃしんもってるの?」
 一瞬の間をおいて、僕は首を横に振った。
「いいや、そうじゃないな」
「じゃあどうして?」
「うーん……」
 それは、嫌々でも、仕方なくでも、一緒に写真に写っているこいつが珍しくて、もう二度とこんなことないだろうと思うから記念にとっておきたくて、仏頂面のこいつを見てるとなんだか可笑しくて笑えるから持ち歩いてて……。
 理由はあったが、それをそのまま弟に言うわけにもいかず、頭を捻る僕に、弟が口を開く。
「すきだから?」
「な、」
 絶句する。
 人間、予想もしないことに出会うと動けなくなるのだとこのとき初めて知った。
 悪意も何もない、子供特有の純真な瞳に見つめられ、顔がひきつる。しかしその大きな瞳に映った、情けない顔の自分を見て頭を冷やすことができた。
「あー、えー、と」
 首を横に振りかけたが、そのとき、ここで否定しても他にいい説明は出来ないことに気づいてしまった。数秒逡巡し、そして僕は結局、頷いてしまう。
「うん、……そういうこと、かな」
 別にあいつに聞かれてるわけじゃないし、そういうことにしといても不都合はないだろう。もしもこんなの聞かれたら、恥ずかしさといたたまれなさで死ねるな。そんなことを思って、笑う。
 今度は落とさないようにとパスケースをしっかりポケットにいれて、僕は弟の手を取った。
「よし、じゃあツっ君、そろそろお昼寝しようか?」
 だが弟は、俯き、もじもじとその場から動こうとしない。
「ん? どうした、ツナ」
 トイレかな、と首を傾げた僕は、そのままもう一度固まることになる。
 弟は言った。ポケットの中のパスケースを指差して。
「ぼくと、どっちがすき?」


「――っ!!」
 飛び起きて座席から離れた瞬間、背後を何かが掠めるのを感じた。
 トストストスッ!
 続いてそんな軽い音が耳に入ってくる。振り向けば、数秒前まで体を沈めていた座席の、ちょうど頭と心臓に当たる部分に十数本のナイフが刺さっていた。
「うししっ。綱重って攻撃避けるのだけはそこそこだよな」
「ベル、こういう起こし方はやめろって言ってるだろ」
「だってお前寝過ぎなんだもん。夢でも見てた?」
「……とびっきり可愛い子のな。起こしやがって」
「ししっ。溜まってんのかよ。適当に女でも拉致れば? ――ほら、もう日本に着くぜ」
 ベルの手の中でナイフがくるくると踊る。その様子を眺めながら、僕はポケットを探った。いつもと変わらずそれがそこにあるのを確認して、小さく息を吐く。
「……なんて答えたっけ」
「あ?」
「いや、夢の話」
「寝ぼけてんなら、もう一回投げてやろうか?」
 ナイフよりも、彼の頭上で煌めく冠よりも、輝いている白い歯を見せつけるようにして、ベルが笑った。


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