15

「本当にこっちに行ったのかよ、っと!」
 ブスリとまた一本、フランの背中にナイフが突き刺さる。先頭を行くフランは眉を顰めて後ろを振り返ると、やや投げやりな口調で答えた。
「知りませんよー。ミーはボスが一階のこっちの方に向かったのを見たって言っただけです」
「ああ!? だったら何だって今右に曲がったんだ? 今もさっきも、お前迷いなくどっちに行くか決めてたよな?」
「勘ですー」
 見事な足払いが決まった。犯人のベルは勿論、スクアーロとルッスーリアにも、顔から床に倒れ込んだフランを気にかける様子はない。
「……ま、とりあえず奥に進めているわけだから間違ってはいないだろうがなぁ」
「でも迷ったら困るわ。私、フランが解ってるものだと思ってたから全然道覚えてないわよ」
「大丈夫。こいつの背中にメモしてあるから」
 そう言うと、ベルは未だ伏せたままのフランの襟ぐりを掴んだ。後輩の口から苦しそうな声が漏れるのも構わずに無理矢理立ち上がらせる。
「右、左、右、右……」
 ベルの指がフランの背中にずらりと並んだナイフを右から順に指し示す。刃先がどちらを向いているかで、今までの道順を記録していたようだ。感心した様子でフランが口を開く。
「これそういう意味があったんですねー。ただの、くっだらないイジメだと思ってました。……それにしてもメモ代わりに人をぶっ刺すなんて完全に頭イッちゃってんなこの仮王子」
「ん、次は心臓に突き刺すことに決めたわ。避けんじゃねーぞ」
「はいはい二人ともそこまで。こんなところで喧嘩なんてしてみなさい、ボスに見つかれば更に機嫌を損ねることになるわよ。ねえスクアーロ……って、あら?」
 消えた銀髪を探しキョロキョロと辺りを見回す三人に、こっちだぁと声が掛かる。少し歩いた先の部屋の中からだ。
 室内で、スクアーロは何をするでもなく立っていた。考え込むように腕を組んだ体勢で、じっと何かを見つめている。しかし彼の前には壁しかない。ベルたちは疑問符を浮かべた顔を見合わせ、同時にスクアーロに近づいた。細身の剣士の脇からひょこりと三つの頭が覗き、鋭い眼光の行く先を辿る。
 “穴”だ。
 華美な装飾が施された壁面の中央に、ぽかりとあいた空間。奥行は一メートルほど、縦横の長さは体の小さな大人なら何とか入れるだろうか、というもの。けして広いとはいえないその穴には、薄汚れた布袋が一つ置いてあった。
「何かしらね、これ」
 ルッスーリアが呟いた。当たり前に、この中に答えられる者は居らず、室内に沈黙が訪れる。
 元々は白かったのだろうと思わせる灰色の袋。どう見ても怪しい。何かが入っているらしく不自然に膨らんだ部分には、褐色の染みがついている。
「……本当、優しい先輩方には涙が出ますー」
 促す三対の視線に、これ見よがしな溜め息を返しつつ、フランは穴の中に手を伸ばした。
 罠が発動することもなく無事に手にした袋を、部屋の中央、埃を被った机の上で逆さまにする。中から零れ落ちたのは大量の硝子の破片。ある程度形を保っている部分から、瓶の成れの果てだということがわかる。
「Chateau Latour」
 欠片の一つに見慣れた塔のマークを見つけたベルが、それがワインだったことを言い当てる。その横ではルッスーリアが別の破片をつまみ上げていた。文字が薄れたそこから何とか刻まれた数字を読み取る。
「1、9、2……」
 続く一文字を欠片の中から探す必要はないだろう。
 疲れがどっと押し寄せてきて、スクアーロは目の間を揉み、近くの壁に寄りかかる。偶然、そこにはこの部屋唯一の窓があった。鍛えられた体躯が窓枠に触れたその瞬間、ガコンッという小さな音を立てて穴は跡形もなく消え失せた。正確には、仕掛けにより“隠された”のだ。
 フランがどこかうんざりした声音で言った。
「とっくにボスが綱重さんを見つけてると思うのはミーだけですか」
 あれだけ探したのによー、と。

×

 ここに来るのはどれぐらい振りだろうか。不遜な眼差しが、己が少年時代を過ごした屋敷を見上げる。だが、思い出に浸る暇もなければ、取り壊した方が良いのではと思うほど廃れてしまった屋敷自体にも用はなかった。長く逞しい足は淀みなく目的の場所に向かう。裏庭の、人の手が入らないのをいいことに好き勝手に伸びた茂みを掻き分けた先。何か印があるわけでもない。誰かが通った痕跡も残っていない。それでも解っていた。
 ――綱重は、ここに居る。
 錆びた鉄の入口は、枯れ葉で覆われているものの完全に隠れているわけではなかった。ここに来るまでの足跡の消し方は完璧だったというのに最後の最後で詰めが甘い。迂闊さに対する怒りは湧かなかった。やはりここだったと自分の正しさを噛み締める、それだけだ。
 枯れ葉の合間からほんの少し顔を覗かせている取っ手に触れた。地下へと続く扉を開くのに、数字を入力するような手間はいらない。ただ上に引くだけ。何せ、屋敷が建った当時からあるそうだ。抜け道として使われていたようだが、いつからか使われなくなったらしく中の道は途中で埋め立てられてしまっている。もしかしたら中が崩れ道が埋まり、使えなくなったのかもしれないが、正確なことはわからない。二十年以上前からこの穴ぐらは子供が秘密基地にするくらいしか使い途はなかった。
 ギギ、と不快な音を立てながら扉が開く。中に明かりはなく、太陽の光が射し込むのは入り口付近のごく限られた範囲だけだ。急傾斜の階段が数段、視認できるが、そこから先は深い闇が広がっている。
 突如、その闇の中から何かが飛び出してきた。
「ッ、おい!」
 細い手首を掴まえる。逃げようとしていた体は、自分の意思とは関係なくブレーキをかけられた所為でがくりと地面に膝をついた。崩れた体勢に、左手を捕らえられたまま、それでも彼はもがいた。逃げることに全ての力を注ごうとしているのか、こちらを振り向く素振りもなければ抗する言葉ひとつ発しない。ひたすらにここから、自由を奪う手から、離れようとしている。思わず舌を打った。
「俺以外の誰がこんな所にいるお前を見つけられると思う!」
 暴れる体を押さえつけそう一喝すれば、びくんっと肩が揺れたのを最後に、大人しくなる。そしてゆっくりとこちらを向いた。
「…………ザンザス……?」
 大きな琥珀色の瞳が更に大きく見開かれる。ここを秘密基地にすると言い張った子供のときのそれのように、大きく。
「十……年後、の……?」
「……ああ。お前は、十年前の綱重だな」
 頷きながら、頬にそっと両手を添え、確かめるように顔を覗き込む。綱重がそうであるようにザンザスもまた綱重の姿に戸惑っていた。立体映像とは訳が違う。実際に目にし、触れ、ザンザスの胸に浮かぶのは、これほど小さかっただろうかという驚き。身長や体格の話ではない。泣き腫らした瞼、小刻みに震える肩、青ざめた顔色――綱重のこんな怯えた姿を見るのは、お互いが小さかったあの頃以来だった。
「……ボンゴレが、」
 殆ど泣いているような声を震える唇が紡ぎ出す。
「僕たちの、ボンゴレが……ッ」
 それ以上何も言わせたくなくて、唇を奪った。
 屍しか残っていないあの城から逃げるようにしてここまで来たのだろう。そして暗い穴ぐらの中で独り、不安と恐怖に押し潰されそうになるのを耐えていた。それでも、綱重の声にザンザスを責める響きはない。だが、何故、どうして、とただ純粋に尋ねる声は、単に責めたてられるよりも強くザンザスの心を締め付けた。
 こんな風に言葉を封じるのは卑怯と承知で、口付けを深める。歯列を割って舌を差し込めば、それまで硬直していた綱重の体が動き出した。ようやく何をされているか脳の処理が追い付いたらしい。押し退けようとする手を軽々捕らえ、小さな体を腕の中に閉じ込める。
「ん、あ、ぅンン……」
 不思議な感覚だった。漏れ聞こえる声や唇の感触は間違いなく慣れ親しんだ綱重のものであるのに、まるでどこかの知らない子供を手込めにしているような……。
 口の中で縮こまっている舌を絡めとり、ねっとりと舐め上げる。綱重が口付けから逃れようと喉を仰け反らせたので、すかさず真っ白なそこにも唇を落とした。
「や……!」
 よく見える場所に紅い跡を残し終えると、ザンザスは顔をあげた。混乱に満ちた瞳と目が合う。はらはらと零れ落ちる涙が、何故、どうして、と問いかけてくる。返す言葉は思い浮かばず、ただ宥めるようなキスを濡れた頬に送った。


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