12

「もう、はなせ……っ」
 言葉を無視して足掻くけれど、一層強く握られた手首の痛みが聴覚に集中することを強制する。白蘭がまた楽しげな笑みを漏らした。
「綱重クンは綱吉クンに居てもらわなくちゃ困るんだ。マフィアのボスになんかなりたくないから」
 大きく首を横に振る。
「何が違うの? 綱吉クンを探すのは美しい兄弟愛が理由だとでも?」
 聞きたくない。しかし手首を掴まれたままでは耳を塞ぐこともできない。
「良かったね。これでボスにならなくて済む」
「……黙れ……っ」
「ザンザスくんをボスに推すのも、自分がなりたくないからなんだろう?」
「っ、違う!」
 銃が暴発したって構わなかった。何をしても、その口を黙らせてやるという気持ちだった。掴まれた両腕を力一杯引いたそのとき、ぐるりと視界が回る。何がどうなったのか、綱重はソファーの上に仰向けに転がされていた。
「泣かないで」
 言われて、いつの間にか涙が溢れていたことに気がつく。驚き、頬を伝う冷たい感触に気をとられていると、不意に脇腹に何かが触れた。
「……ッ、なにして、」
 ビクンッと大きく波打った体に、男の薄い唇は笑みを深くする。綱重は服の中に差し込まれた手に視線を向けようとしたが、それは叶わなかった。頬に添えられた手が綱重の顔を固定する。二人の体重分だけソファーが沈み――。
 炎を纏ったブーツが、覆い被さる体に強烈な蹴りを食らわせたのは、二人の唇が触れる直前だった。更に突発的に引かれた引き金により水槽が弾け飛ぶ。水が床に零れ落ちる音に混じり、綱重の口からは罵りの言葉が放たれた。
「このくそったれのホモ野郎! それ以上僕に近づいてみろ! ぶっ殺してやる!」
 背凭れを飛び越え、ソファーの向こう側から叫ぶ綱重は、言葉の勢いの割りに迫力がない。毛を逆立て精一杯自分を大きく見せようとしている子猫のようだ。だからか、蹴られた腹を押さえ、笑みをほんの少し控えたものの、白蘭は穏やかな声音で告げた。
「君は、この部屋からはけして出られない。諦めて僕の機嫌を取るのが賢いやり方だと思うけどね。……十年後の君がそうしたように」
 吐き気が込み上げてきて、口元を覆う。
 不快感はこの所為だったのだ。己の所有物のように自分を扱う男。考えたくはないが、ボンゴレと敵対しているらしいミルフィオーレのボスと、十年後の自分がここで何をしていたのか、男の振る舞いからは容易に連想できてしまう。
 そして、この部屋から出られないのも、男の望む通りにするのが正しいのも事実なのだろう。わかる。殺す覚悟があるかどうか以前に、自分はこの男には勝てないと。
 扉にはロックが掛かっているようだし、万一この部屋を出られたとしても逃走は至極難しそうだ。窓の外を窺う限り、ここは随分高い位置に存在している。そしてその窓も自分の貧弱な炎では突き破れない。
 綱重は息を吐いて、覚悟を決める。出来れば使いたくなかったが仕方ない。こういうときの為に父は、いや、彼は用意してくれたのだろうから。
 もう一丁銃を取り出し、今まで持っていたものはカートリッジを取り替える。右と左、それぞれに握られた二丁の銃が標的にしたのは白蘭ではなく、ガラス張りの一面だった。
 男が目を見開いたのが視界の端に映る。ささやかな意趣返しが出来たと考える間もなく、引き金を引いた。反動で弾かれた腕が真上に浮き上がり、次の瞬間には体ごと後方の壁に向かって一直線に吹き飛ぶ。叩きつけられる前に体を反転させてもう一度引き金を引いた。
「うっ……!」
 腕で頭を庇うのと同時に鋭い痛みが両腕に走る。だがそれも感覚がわからないくらい痺れた腕には丁度良い刺激だった。そうして割れたガラスの隙間を通り抜けた綱重は、重力によって体が地面に引き寄せられる前に、今度は横に向かって銃を撃つ。何もない宙に射出された弾丸が夜空に弾け、綱重の体を運ぶ。
 ブーツに炎を灯せば良いのだと気づいたのは、三度ほど空中で回転したあとだ。腕が弾け上がるのは止められないが何とか踏ん張りがきくようになり、これでどちらが上か下か解らなくなることはなくなった。一方、威力を殺すことになるため余分に弾を撃たなければならないが、引き金を引く直前に掌に炎を灯して保護すれば、何とか連射にも耐えられそうだ。とにかくあの男から出来るだけ離れたい。しかし、橙色の軌跡はあまりに目立ちすぎるし、サイレンサーも無しにこのとんでもない威力の銃をぶっ放すのは、地上にいる人間全てに空を飛ぶ自分に注目してくれと叫んでいるようなものだ。
 ふかふかのマットレスがある場所――は、無理だろうから、とにかく人気がなくて安全に着地出来る場所ならどこでもいい。
 何度目かの引き金を引きながら、綱重は夜の街に目を凝らした。

×

「いたぁ……」
 着地時、よろけて転び、ぶつけてしまった頭を押さえる。出来たコブ以外は無事に着陸成功といえるだろう。降り立ったビルの屋上から地上を見下ろす。あの男が追ってくることも、人が空を飛んでいたと騒ぎになっている様子もなさそうで、綱重は安堵の息を吐いた。
 ――安心などしている場合じゃないとわかっている。自分はただあそこにいるのが嫌で、逃げ出しただけだ。何か状況が好転したわけではない。
 転んだときに手放してしまった銃を拾う。手に力が入らなくて、何度も取り落としながらも持ち上げた。もうカートリッジは空だ。一発ぐらい残しておけたら良かったと残念に思う。
 カートリッジに自分のものでない死ぬ気の炎が込められていることは、運び屋から銃を受け取った瞬間に感じていた。そしてそれが他でもない彼のものであると気が付いたときの喜びはとても言葉では表せない。父が用意したにせよ、彼が力を込めなければ存在しないものだから。綱重に与えられた、唯一、彼を感じることの出来るものだった。自分にとっては御守りのような――ハッとして、知らず知らずまた握っていた剣から手を離した。誰に見られたわけでもないのに羞恥の感情が湧き上がってくる。
 いつもこうしていたのだろうか?無意識にこんな縋りつくような真似を?
 情けない。よりによってあんな男に指摘されるなんて、本当に情けないと思う。
「くそ……っ」
 失敗したという考えが心の中で渦を巻いている。やはり一人で動くべきではなかった。父の言う通りにしておけば。そんなこと今更考えても仕方がないと切り捨てるには、心の余裕が足りない。
 これから挽回する?どうやって?ここがどこなのかも解らないのに。白蘭と名乗った男の言うことが正しければ十年後の世界だが、そうだとして自分に何が出来るのだろうか。これからどう動くのが正しいのか。
「一体どうしたら……、どうしよう…………ザンザス……」
 その名が、今はとても遠い。


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