10

 男が立ち上がる。唇の端を拭いながら、ゆっくりと。その間に剣を鞘に収めた綱重は、代わりに取り出した銃を男に向けた。
「ああ、折角いいところだったのに」
 そう言って男は笑った。純粋な、何の含みも感じられない笑み。敵意も何も、だ。そのことが綱重の警戒心をより強くする。また一歩後退り、男から距離を取った。

 考える間もなく拳を繰り出していた。突然目の前に知らない男が現れたのだから当然だ。それも、抱き締められていた……ような。綱重は必死に曖昧な記憶をなぞる。殴ってすぐ後ろに飛び退いたからよくは覚えていないが確かに男の腕の中に居たと思う。動揺を、戸惑いを、悟られてはならないと必死に平静を装う。
 殴ったのは炎を纏った拳ではなかったが手応えはあったし、事実、男は口の中を切ったらしい。そのうちに端正な顔は見る影もなく、頬が腫れ上がってしまうだろう。痛みを感じていないはずがない。けれど男は笑みを浮かべた顔を横に傾け、うーん、と暢気な声を上げた。
「正チャンがそこまで計算していたとは思えないから……というか有り得ないよね、こんな図ったようなタイミングはさ」
「……何を言っている? 一体、何者だ。どうやって僕の前に現れた」
 銃の照準を合わせたまま綱重は眼だけで周囲を窺った。広い室内。テーブルとソファー、水槽があり――壁の一面はガラス張りだ。外の景色がよく見える。夜空に月が浮かんでいた。
 神社にいた筈だ。まだ陽も落ちていない時間に、眼鏡をかけた少年と。
「弾みで来ちゃったってところかな? いきなりでびっくりしただろうけど、そんなに警戒しなくていいんだよ。十年前の沢田綱重クン」
 心臓が跳ねた。名前を呼ばれたこともそうだが、何よりも十年前という理解しがたい、しかしふざけているようには感じられない単語の所為だ。
 男の目が三日月形に歪む。
「未来へようこそ」

×

 男は白蘭と名乗った。ミルフィオーレファミリーのボスだという。そんなファミリーは聞いたことがないと返せば、そうだろうね、とあっさり頷いた。
「十年前には影も形もないから。あ、十年バズーカに被弾したことは理解出来てるかい? その前に十年バズーカを知ってるかどうか、かな」
 十年バズーカ――それに当たった者は十年後の自分と五分だけ入れ替わるという、荒唐無稽な道具。名前だけなら聞いたことはあった。実際に存在するということを綱重は最近知ったばかりだ。あの雷鳴轟く一戦で、レヴィが、危うく小さな子供に負けそうになった理由。
 質問には答えずに――答えなくとも男は綱重が思い当たったことに気がついたようだ――尋ねる。確認を通り越して断定する響きになった。
「あの眼鏡の子供はお前の手下というわけか」
「……手下だった、が正解」
 綱重が眉を寄せたのを見て、白蘭は、複雑なんだよと言って笑った。
「全て説明するには時間がかかる。とりあえずそんな物騒なものは下ろして、座って話さないかい?」
「動くなっ! 一歩でも動けば撃つ!」
 張り上げた声に男は抗いもせず従った。ソファーに向かおうとしていた足は止まり、顔の横に掲げられた両手は歯向かう意思のないことをこちらに示している。しかし、変わらず笑みを浮かべた表情が、汗ひとつかいていない姿が、綱重を焦らせる。きつく眉を寄せた顔は苦悶に満ち、銃を握る手には汗が滲む。二人の表情だけを見ればまるで綱重の方が銃を突きつけられているかのようだった。
「落ち着いて。僕の話が信じられないのはわかるけど、」
「ここがどこかなんて聞いていないだろう!」
 ヒステリックな声が口をつき、あまりの失態に舌を打つ。宥めるような口調が癇に障ったのだが、これでは宥められるのも当然ではないか。しっかりしろと己を叱咤する。銃を向けているのは此方で、故に主導権を握るのも此方なのだから。
「綱吉たちが居なくなったのはお前の所為だな」
 一変して、感情を抑えた声で綱重が言う。
「狙いは何だ。ボンゴレの転覆か」
 くくく……と、耳障りな笑い声が綱重の鼓膜を震わせた。
「ボンゴレの転覆、ねえ」
 何が可笑しいと聞く代わりに――言葉にすればまた情けなく喚き散らしそうだった――引き金に指をかける。そんな綱重の動きに気がついているだろうに、白蘭は笑うのを止めなかった。
「ここが十年後の未来だというのは信じてもらえたようだね。超直感のおかげかな。話が早くて助かるよ。それで、その上で、綱重クンはこう考えたわけだね? 綱吉クンたちを連れてきたのは中学生の彼らを潰し、この時代のボンゴレを手に入れるためだと。確かそんな映画があったよね。――ああ、少し違うか。あれはロボットが過去に行き、男の母親となる女を殺そうとする話だった」
 つらつら言葉を並べ立てたあと、白蘭は憂いを帯びた溜め息を漏らした。演技がかったそれも、整った顔立ちにはよく似合う。
「それにしてもボンゴレの転覆なんて、そんな些末なことが目的だと思われるのは癪だなあ」
「些末だと?」
「そうさ。中学生だろうと成人した彼らだろうと捻り潰すのは簡単だ。実際この時代のボンゴレファミリーは、十年前の綱吉クンたちが来る前に陥落したも同然だったしね。本部は壊滅、生き残りはごく僅か……」
 ここにきて綱重は確信する。この男は頭がおかしい、と。だから殴られても銃を向けられても笑っている。嘘を言っているように感じないのは、男がそれを真実だと思っているからだろう。絶対にそうだ。だってボンゴレが滅ぶなんて、そんなことは、
「“有り得ない”」
 声が重なる。目を見開く綱重とは対照的に白蘭は益々目を細めた。
「長い長いボンゴレの歴史も君の弟の代で終わり。何もおかしいことじゃないだろう? 栄枯盛衰、自然の摂理さ」
「……何を、」
 馬鹿なことを。
 そんなの嘘だと言ってやりたかったがそれ以上言葉が出てこなかった。認めたくはない。けれど妄想だと切り捨てることは出来ない。恐らく事実だと、感じてしまったから。
「その目で確かめたいなら見せてあげるよ。ザンザスくんの遺体でも見れば信じざるを得ないでしょう? ちょうどさっき僕の部下が倒したところでね」
 嘘だ。瞬時に思った。けれど同時に脳裏に過る記憶がある。地面に倒れ臥した体。血に染まり、痛々しい痣が浮かび上がった顔。ザンザスの負けを告げる声。あのときも嘘だと思った。実際に目の当たりにしても尚こんなことは有り得ないと心が叫んだ。あのときそのままの衝撃が甦り、息が詰まる。
 本当にこの男は嘘を言っているのか?違うと思うのは、単なる願望では?ザンザスが負けるはずがない。そう思うのに、信じているのに。
 白蘭がこちらに近づいてくる。いや、部屋に一つだけある扉に向かって歩いているのだ。まさか扉の向こうに?――嫌だ。見たくない。“それ”を真実にしたくない。
 思うのと同時に叫んだ。
「やめろ……!」
「うん。見せてあげたいけど、彼はここには居ない」
 制止の言葉に足を止め、白蘭はそう言い放つ。嘘だったと気がついた綱重が口を開くより早く、白蘭が続けた。
「有り得ない、とは言わなかったね。ふふっ。十年前の綱重クンはザンザスくんをそれほど信用していないんだねぇ」
 明らかな嘲笑だった。カッと目の前が赤く染まり、綱重は衝動のまま引き金にかけていた指に力を込めた。


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