09

 唇は数秒触れただけで離れていった。
「普通、目ぐらい閉じるものでしょ」
 綱重は素気ない声で答える。
「お前も開けたままだろう」
「だって目を瞑ってて首でも絞められたら堪らないじゃない」
「舌を噛みきられる心配はしないのか」
「うーん、それは考えつかなかったな」
 一体どこまでが本気なのだろう。変わらず安穏とした物言いにつられて脱力し、綱重は投げやりとも取れる口調で提案する。
「不安なら縛っておけばいい」
「え? 縛られたい?」
「……そういうのが好きなのはそっちだろ」
「どうしてそう思うの」
「見ていればわかる」
 きっぱりと言い切れば、白蘭は一層唇の端を引き上げた。しかし目は笑っておらず、まるで値踏みするかのように綱重の顔を覗き込んでくる。
「他には? 僕は、どんなことが好きな男だと思う?」
「人のものを奪うこと」
「Bingo!」
 ニヤッと目を細めた白蘭は、流れるような動きで綱重の顎を指ですくった。そして再び口付けを交わしそうなほど顔を近づけて口を開く。
「何故、他人が持っているものってこんなにも良く見えるんだろうね? 実際手にしてみると殆どが期待外れだと解っているのに……どうしても、欲しくなる」
 至近距離から見つめられても綱重は視線を逸らさなかった。逆に挑むように睨みつけてやるものの、残念ながらそれは男を楽しませるだけだった。
 弧を描いた唇があとは?と促すので、少し考える。すぐに思いついてはいた。口にするべきなのかどうか逡巡し、最後は愉しげに歪む紫の瞳を見て決めた。
「……“見られながら”すること」
「残念。少し違う」
 更に顔が近づく。唇が触れるか触れないかギリギリのところで止め、白蘭は声を潜めて言った。
「“見せつける”のが好きなんだ」
 囁くような声は更に続ける。今度は有無を言わさぬ口調で。
「手、後ろで組んでよ」

×

「そんなにまじまじと見つめて、欲求不満ですかー?」
 視線をホログラムに向けたまま、ナイフを投げる。子供の頃から扱っている凶器だ。目標を見ずに当てることなど造作ない。その証拠に少し離れた位置からゲロッという鳴き声があがった。
「図星つかれたからってナイフ投げるのやめてくださいよー」
 抗議の声にもう一度ナイフで答えてやっても良かったが、これ以上の欲求不満扱いは御免だ。仕方なくホログラムを指差して教えてやる。背中と腰の境目、そこで組まれた手を。
「モールス符号だ」
「お」
 さっすがベルセンパイ。動物みたいに目敏いですねー、と褒めてるんだか貶してるんだかわからない言葉を無視し、ベルは、僅かに上下している綱重の中指に集中した。
「a...いや、1か? 1、9、2、8?」
「四桁の数字……暗証番号か何かですかねー」
「暗号かもな」
 白蘭に見つかることを計算した上で報せている筈だ。
「何にせよ、ボスには通じてんだろ」
 言いながら溜め息が漏れる。自分らしくないとわかっていても止められなかった。意味もなく手の中のナイフを弄ぶことも同じく。
「それにしてもこの綱重サン、ですっけ? ボンゴレ側に映像が届いてると解っててやってるんですよねー。相当意地が悪いというかなんというか」
「あん?」
「男同士のキスシーンなんて見たくもないもの見せつけられて、慰謝料請求したいぐらいですよー。ミーはセンパイみたく欲求不満じゃな、」
 額にブスリと突き刺さったナイフが、フランの口を閉じさせた。
「……冗談はともかく、機嫌の悪いボスに当たられるのはミーたちじゃないですかー」
 数秒の沈黙のあと何事もなかったかのように、もう少しやり方ってものがあるでしょうと相変わらず感情のこもっていない声が続け、ベルは不満げに鼻を鳴らしてそれに応えた。生意気な後輩の言うことは全てにおいて否定したいところだが、今回に限っては賛成する他ない。
 下唇を甘く噛まれたり、口腔内を舐め回されても、されるがまま受け入れている綱重の姿はあまりに不愉快だ。といってもこれは嫉妬などではない。敢えて言葉にするならば、違和感への不快さとでも言おうか。パンを箸で食べさせられているかのような、そんな気分だ。唾液が絡まりあう音や、時折漏れ聞こえてくる子犬が鳴くような鼻にかかった声。それが白蘭と口付ける綱重が出した音だなんて、あってはならないことだった。
 自分でさえこう感じるのだから、“彼の人”の怒りは推して知るべしだろう。兄の最期を見逃してしまったのは残念だったが、側でこれを見ることにならなくて良かったとベルはしみじみ思う。
 人質として生き延びるだけならばここまでする必要はないし、白蘭だってすぐに何かをするような素振りは見せていなかった。わざわざそういう流れに持っていったのは綱重の方だ。大方、白蘭を油断させ、何か情報を仕入れる気でいるのだろう。転んでもただは起きぬという心意気は大したものだし、それに何といっても綱重は、諜報活動を主に行っているCEDEFに所属している。ベルたちが人を殺すように綱重も単に仕事をしているだけだ。何も間違ったことはしていない。していない、のだけれど。
 モールス符号を伝えていた指を止め、綱重が腕を男の首に回した。白蘭は何も言わなかった。それどころか満足そうに口端を引き上げ、より深く綱重の唇を味わいはじめる。
「ふ、んン……」
 甘い声を漏らしながら相手に体を擦り寄せる。
 ボスに仕込まれたのか。そんな下世話な想像が頭に浮かんで、舌を打つ。
 自分達が知らないだけで、綱重はいつもこうしてボンゴレの為に体を投げ出してきたのだろうか。つまり門外顧問の命令で。もしも父親が息子にこんなことをさせていたのだとしたら、兄を殺した――死んではいなかったけれど――自分が言うのもなんだが、門外顧問はとんでもない野郎だ。
 出来ることなら今すぐ二人を引き剥がしたかったし、情報なんて必要ないと怒鳴りつけてやりたかった。けれどホログラムの彼らには指一本も触れることは叶わない。また、白蘭や真6弔花の所持する匣兵器についてとまではいかなくともミルフィオーレの軍勢を切り崩すことのできる何かを綱重が手にいれそしてボンゴレ側に伝えることが出来たならば、これ以上なく助かることも事実だった。
 堪らない気持ちを口にする代わりにナイフを投げる。
 吸い込まれるように目の前の木にナイフが突き刺さったのを見送り、ベルは息を吐いた。そしてそれまでの考えを全て忘れることに決めた。
 綱重は生きている。そして今のところ白蘭に綱重を殺す気はないらしい。これ以上、状況が悪化することはないだろう。
 ちょうど、そう考えをまとめたときだった。
「おいおい……」
 それはまるで手品のようで。
 煙が立ち込めたかと思うと綱重の姿が消えた。そして代わりに彼が居た場所に現れたのは――十年前の、綱重。
「マジかよ」
 ひくりと頬が引き攣るのが分かって、口元を覆った。


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