07

「それもそうだね」
 リボーンの“のんびりできるわけがない”という言葉に白蘭は声をあげて笑い、同意した。これまでも悠然とした笑みを浮かべていた白蘭だが、唇がより愉しげに歪んだのが誰の目にも明らかだった。ホログラムの笑みを見つめる全員が、大小の差はあれど訝る表情を見せる。
「――じゃあ特別に、綱吉クンが抱えている不安を一つ、無くしてあげようか」
 どういう意味だと尋ねる間を一切与えず、白蘭は姿を消した。ツナは戸惑いを隠せない様子で足元にいる、いや投影されている家庭教師に視線を向ける。ホログラムの赤ん坊の表情には何も変化はない。いつも通りのポーカーフェイスだ。だがそれを見ても、ツナの中の嫌な予感は消えてはくれなかった。
 時間にして二十秒足らず、再びホログラムが現れたとき、白蘭は腕に何かを抱きかかえていた。
 初めに目についたのは、身に纏う検査着の水色。そして、辛うじて太股が隠れるくらいの丈から伸びた下肢の白さ。床へ向かってだらりと垂れ下がる腕と共に、肌の色は青白いと言う他ない。ツナは、それを大きな人形だと思った。とても血が通っているものには見えなかった。だが、何かではなく誰かだということ、それも見間違えるはずもない人物だということに気付くまでに時間はかからなかった。
「…………にい……さん……?」
 十年の月日はあまり感じない。甘い顔立ちはそのままで、身長は幾らか伸びているのだろうが、白蘭に抱えられた体勢でははっきりとは分からず、また手足の細さが兄の体をやけに小さく見せていた。
「そう。君のお兄さんは、見ての通り僕が保護している。ふふっ。安心したかな? 行方不明って聞いて心配してたでしょう?」
「ふざけるな……!」
 怒りの声をあげたのはラル・ミルチだった。ベッドから上体を起き上がらせようとして、弱った体では思うようにはいかず、崩れ落ちてしまう。
「ラル……ッ」
 慌てて駆け寄りツナが差し伸べた手を彼女は振り払って続けた。
「何が保護だ! 綱重を人質にとったということだろう!」
「確かに友好的な招待をしたわけではないけれど、人質なんて考えてもいないさ」
 白蘭は肩を竦め、ラル・ミルチの怒りのこもった声と視線を軽々受け流すと
「だって僕が助けなきゃ彼は死んでいたからね」
 絶対の自信を持って言い切った。
「“死ぬ気”で、というより、もう死ぬ覚悟だったみたいだよ。酷い怪我をしていたのにそれでも戦い続けようとして……可哀想に。そのまま死なせておけば良かったかい?」
 笑みの浮かぶ瞳に一瞬だけ皮肉の色が走る。更にツナたちの言葉を待たず――返す言葉など何もなかったが――思い出したとばかりに、そうそう、と声の調子を上げた。
「ここなんて特に大きく裂けていたんだけど、でも、ほら。傷痕なんて残ってないでしょ。綺麗に治してあげたからね」
 白い手のひらが、綱重の左足のふくらはぎから太股にかけて、肌の上を滑るようにして撫でていく。服の裾を押し上げその中にまで手が潜り込んだのを見て、ツナは言い知れぬ嫌悪感を覚えた。治して“あげた”などという言葉もどうしようもなく不快だ。
「つまり僕は綱重クンの命の恩人で、君たちに感謝されこそすれ非難される謂れはないんだ」
 言いながら、白蘭が腕に力を込めたのがわかる。綱重の体が何の抵抗もなく己を抱える男にしなだれかかったのだ。白蘭の肩に額を寄せる姿は、綱重に意識がないことを知らなければ彼自らが男に甘えているように見えただろう。密着した二人の体は、今にも睦言を交わし始めそうだ。
「あれ? まだ不安そうだね」
 驚きのこもった声が言った。立体映像はノイズ一つなく、首を傾げる男の仕草を伝えた。そして次にやはりツナの返事を待たず、ああ、と頷いた。
「ちゃんと生きてるかどうか確かめたいか」
 白蘭は勝手な解釈で一方的に話を進める。わざわざホログラムで現れ、対話という形を取り、問いかけるような口調で話しつつも、こちらの言葉は一切必要としていないのだ。ツナはそのことを理解していたわけではなかったが、変わらず声は出さなかった。出せなかった。目の前の男がこれから何をするつもりなのか推し量ろうと必死だったのだ。
 綱重を抱えたまま白蘭が歩き出し、ツナは食い入るようにホログラムを見つめた。余りに集中しすぎて視野が狭くなるのを脳が無意識に防ごうとしているのか、いつの間にか握っていた拳が震えている、なんてどうでもいいことを頭の片隅で認識する。
 白蘭が足を止めてすぐ、綱重の体は下ろされた。力の入っていない足が崩れ落ちないように、白蘭は後ろから左腕を綱重の腹に回す。空いた右手は、金糸の生えた後頭部をおもむろに掴んだ。
「何をして、」
 はじめに草壁がそんな声を漏らした。声は出さないまでも気持ちは皆同じだっただろう。
 後頭部を下に押さえつけられ、前のめりに倒された綱重の体。聞こえてくる、ボコッ、という水が沸騰するときのような音。
「……おい……これって、」
 次に獄寺が発した、彼らしからぬ震えた声音に被さるようにして、咆哮のような悲鳴が辺りに響き渡った。
「う、あ……わああああ!」
 何が起こっているのか、白蘭が兄に何をしているのか、理解したツナの叫び声だった。
「やめろ、白蘭っ! やめろおおお!!」
 走り寄り、伸ばした手は、虚しく空を切る。白蘭の腕を掴むはずだった手が、単に立体映像の一部を歪ませているだけという現実を理解できず、ツナは呆然と立ち竦んだ。しかしすぐに耳から届いた音がツナの静止した意識を強制的に揺り動かした。じわりと目に涙が滲む。
「兄さん……!」
 綱重の腕がもがいている。沈みこまされた体を起き上がらせようと、かけられている力から必死で逃れようとしている。
「離せよ! 離せって……ッ、手を離せえっ!」
 白蘭は手を離す代わりに、掴んでいた頭を引っ張りあげた。綱重の体が浮き上がり、そして、白蘭が手を離すと同時にバタリと床に倒れ込む。
「兄さん! 大丈夫!? 兄さんっ、兄さん!」
 背中を丸め、激しく咳き込む綱重。体内に流れ込んでいた水が吐き出されるのが見えた。吐きつくしてもおさまらない吐き気に大きく嗚咽を漏らす綱重の顔からは、一層血の気が引いている。
 ――それでも、生きている。
 ツナはこれまでとは違う理由で自身の体が震えていることに気がついた。目尻から、溜まっていた涙が一筋流れ落ちる。
「兄さん……!」
 返答を待ち望むツナの横でリボーンが舌打ちした。綱重が、弟の呼び声に何の反応も示さないことに気がついたのだ。
「こちら側からの音声を切りやがったな」
「っ、そんな……!」
 ツナは救いを求め、赤ん坊に視線を送った。この状況をどうにかするなんて、いくらリボーンでも不可能だと解っている。それでもツナは、震える声で、まるで神にでも祈るかのように、リボーンの名を呼んだ。


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