ハッピーエンドのとなりのはなし

*綱京←ツナ姉←ディーノ


 六月のイタリアは、過ごしやすい良い季節である。その証拠に、今日は、日本では雨が降っているらしいがこちらは晴天――ただし少しだけ風が強いけれど。
 パーティーが行われているガーデンから少し離れたこの場所はたくさんの木々に囲まれていて、煩いくらいの梢のざわめきが絶え間なく鳴っている。
 私はきつく目を瞑った。そして白いドレスがはためく様を思い出し、息を詰める。止まらない震えを抑え込むため、拳も握る。汗が滲んだ掌は冷えきっていた。次いで漏らしかけた嗚咽を寸前で止めたのは、背後で誰かが無様に転んだ音が聞こえたからだ。
 それが誰かなんて、振り向く前にわかっていた。たくさん居る招待客は、その殆どが己が裏社会の人間だということを忘れたような浮かれぶりだった。父や母でさえ、私が居なくなったことに気付いていないだろう。……気付くとしたら、それは。
「なんで来たの」
 怒鳴ったつもりが、口から出たのは、自分でもびっくりするくらい弱々しい声だった。
「お前が泣いてると思って」
「泣いてなんかいないからあっち行ってよ!」
 しかし、服についた土埃を払いながら、彼は立ち去るどころかこちらに歩みを寄せる。
 そうして彼は、ディーノは、私をやすやすと抱き締めた。


「先輩!」
 マリッジブルーなんて言葉は彼女の辞書には存在しないのね。駆け寄ってくる京子ちゃんを見つめ、思う。
 ――その、笑顔。
 眩しいくらい。学生時代から変わらない太陽のような笑顔。いや、変わらないというのは間違いだ。彼女は更に美しく可憐に成長したし、浮かべる笑みは、以前よりもずっと幸せに満ちている。
「ごめんなさい、待たせちゃって」
「ううん、私が早く来すぎちゃっただけ。まだ待ち合わせ五分前よ。……それより、これからは義姉さんと呼んでくれるんじゃなかったっけ?」
「あっ!」
「父さんと母さんのことはちゃんと呼べるのにね」
「う〜、早く慣れるように頑張ります」
 やっちゃった、そんな風に顰めた顔を手で覆う京子ちゃん。その頭をポンと叩き、私は笑った。
「私は、昔から京子ちゃんのことを本当の妹のように思っていたから。呼び方なんて、どちらでもいいのよ」
 ――嘘だ。
 妹だなんて一度として思ったことはないし、本当はお義姉さんなんて呼ばれたくない。でも、どう足掻いたってこれからの私たちの関係を現す言葉は“義理の姉妹”だ。京子ちゃんはいずれ間違えることなく私を“お義姉さん”と呼ぶのだろう。京子ちゃんにとっての私は“先輩”ではなく“夫の姉”になる。一見、後者の方がより近い関係のようにみえるかもしれないが、決してそうじゃない。だってそれはつまり、これから私と京子ちゃんの間には、常に“綱吉”という存在が在り続けるということなのだから。


「放して」
「嫌だ」
「放してったら」
 私から自由を奪った腕は、力を緩めるどころか一層強く抱き締めてくる。いくらもがいても、びくともしない。これが男と女の力の差だ。
 どれだけ射撃が上手くたって、どれだけ匣兵器を使いこなせたって、関係ない。こんな風に押さえ込まれてしまったら何もできなくなってしまう。
「だから男って嫌い」
 ぽつりと吐き出せば、止まらなくなる。
「馬鹿で、強引で、独り善がりで、暑苦しい上、臭いし」
「汗臭くはないだろ?」
 苦笑い混じりの言葉通り、香水の香りが鼻腔を擽った。男にしては甘い香りだが、この男の顔にはよく似合っている。けれど私は首を横に振って、
「こんなの臭いだけ」
 と吐き捨てた。
「あの子は、もっと自然な甘い香りがするの。ギュッてすると、温かくて、柔らかくて」
「お前と一緒だな」
 目の前の胸を叩く。もちろん握った拳で、思いきり。端正な顔を歪ませて噎せかえる姿に、少しだけ胸がすく。
「……私の方が先に好きになったのよ」
 ディーノは何も言わなかった。ただ、作り物かと思うくらい澄んだ瞳で、私をじっと見下ろしていた。
「中学の入学式で、胸に花を付けてもらって“ありがとうございます”って笑ってた。その顔を見た瞬間、どうして彼女の笑顔の先に居るのが私じゃないのかって思ったの。あの時から、ずっとずっと、あの子が好きだった」
 あの子が欲しかった。
 誰よりも、綱吉よりも、ずっと前から。
「私、男に産まれたら良かった」
 そうしたら、堂々と綱吉に宣戦布告出来たのに。
 ぽつりと呟くと、
「それは困る」
 ディーノが言う。
「どうして」
「言ってもいいのか?」
「……聞きたくない」
「じゃあ、言わないでおく。その代わりにお前が泣き止むまでこのままでもいいか?」
「泣いてないったら!」
 そう言ってるのにディーノはいつまでも私を放そうとしなかった。
 だから、私もいつまでも顔をあげられずにいた。

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