宵にみる夢
聴き心地の良いあの声を確かに聞いたはずなんだ。目の前の課題は残り4分の1というところまで終わらせた。ぐーっと一つ背伸びをして、傍らのコーヒーを飲む。
にっが。うっわ苦い、分かってても苦い。砂糖もつけずに注文したから眠気覚ましにはなるけど。ブラックコーヒー飲める人マジで尊敬するわ。思わず顔を顰めてしまったものの、勢いのまま一気飲みすれば疲労が溜まりつつある脳みそも少しはすっきりした。
はぁー、と長く息を吐きながらスマホを確認すれば時計は午後5時を迎えようとしていた。うわっ、俺2時間ぐらいここに居座ってんじゃん。家じゃ集中できないからここ来たけど、チェーンの喫茶店って言っても迷惑だよな。あーでも、もうひと頑張りすれば終わりそうな所まで来たし、店員さん達には悪いけどもう少し粘るか。
そうと決まれば早速課題に取り組む、んじゃなくて財布を手に注文カウンターへ向かう。流石に飲み物一杯で長時間居座るのは気が引けるからだ。カウンターに到着し、入店時にも頼んだアイスコーヒーとついでに焼き菓子もいくつか注文する。店員さんには、会計終わりに「お疲れ様です」とにこやかに声をかけられたからめちゃくちゃ気まずい。申し訳なさすぎて苦笑いしながらそそくさとその場から逃げ出した。
すんません、あともうちょいで終わるんで……。今度来るときは友達連れていっぱい注文するんで……。あれ、そっちの方が迷惑か?
そんなことを考えながら飲み物とお菓子を両手に席へと戻れば、はたと気づくことがある。席を立つ時には気づかなかったが、自分の隣の席にいつの間にか誰かが座っていたようだ。綺麗な淡い色の髪を後ろで丸く留めてる、たぶん小学生くらいの女の子。おませさんってこういう子のことかと思うくらい洒落たワンピースを着ているし、夏休み中だとしてもこんな時間まで外に居るってことはもしかしたら中学生かもしれないけど。
席へと戻り飲み物とお菓子をテーブルに置けば隣から此方を気にするような気配がする。それに釣られて自分も隣を見やれば澄んだ瞳と目が合った。
うっわぁ綺麗。後ろ姿も綺麗だったけど、何だこれ。
お人形さんかと思うくらい綺麗な少女と目を合わせて数秒、先に視線を逸らしたのは彼女だった。少し横を向いて俯きがちになった彼女はくすくすと笑い出す。鈴を転がすようなその声すら綺麗だった。
「ふ、ふ。ごめんなさい、笑っちゃって」
「え、あー、いや大丈夫すよ。オレこそじっと見たりして、ごめん」
「ううん、大丈夫っ。それより、お兄さんはお勉強終わったの?」
痛いところを突かれて思わず遠い目になる。ま、まぁあともう少しで終わるし気にする必要は無いんだろうけど。見られてたんだと思うと妙に恥ずかしくなってくる。あぁー……、と言い淀みながら椅子へ腰かければ彼女は不思議そうに首を傾げた。
「あともう少し、かなぁ……?」
「そう。お兄さん頑張るね」
「あっはは、まぁね……。それより君は何してたの?」
感心したように少し目を見開きながら答える彼女に、苦笑いをしながら質問した。塾とか何か用事があるなら仕方ないけど、子供はそろそろ家に帰る時間だし。遊びに来た帰りだったら帰るように言った方が良いよな。
「私は暇潰ししてたの。待ち合わせまで時間があったから」
「あ、これから何処か行くんだ」
「うん。そろそろ時間だから行かなきゃいけないけど、」
「そっか。まだ外明るいけどさ、そろそろ日が暮れるし気ぃ付けて」
「……うん」
予想とは違ったものの誰かと会うならひとまず安心だな。ただ、念のため気を付けるよう言った彼女が少し間を空けてこくりと頷いたのが気になる。なんとなく浮かない表情だけど、なんだろ。好きなもの注文し忘れたのかな。
そんな疑問が顔にまで出ていたのか彼女がこう言ってくれる。
「お兄さん、面白そうな人だから。
まだ話してたいなって思ったの」
「それは褒めてくれてる……?」
「褒めてるよ」
ふふ、とまた綺麗な声で笑う彼女に釣られてオレも少し吹き出してしまった。オレとしてもこんな可愛い子と話す機会なんてそうそう無いだろうし、名残り惜しくは感じてる。けど、
「まぁ時間ならしょうがないじゃん。
ほら、お菓子あげるから行っといで」
「えっ、いいの?お兄さんが買ったのに」
「いーのいーの。オレの奢り」
そう言って笑えば、彼女はお礼を言って嬉しそうに微笑んだ。
それから「お勉強、頑張ってね」というありがたーい言葉を残して彼女は店を出て行った。休憩には丁度いいぐらいの時間駄弁っていたし、オレはそのまま勉強を再開した。もちろん、飲み物もお菓子もつまみながら。
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やぁっと終わった……。
歩きながら背伸びをすれば何処かの骨がバキボキと音を鳴らす。疲れたけど課題も終わったし、今日明日はゆっくりできそうだ。まぁ今日って言っても、いま19時過ぎてるし。そんなに時間が残ってる訳じゃないけど。
そう考えながら自宅へと歩いていれば見慣れた近所の公園まで差し掛かる。去年友人が不思議体験したっていう公園。具体的には園内の桜の木だけど。今年もそこの公園で花見をしたものの、特に何か起きるでもなく普通に桜見て団子を食っただけだった。友人がああ言った嘘を吐くはずが無いし、運が良ければオレも一緒に見れるかとワクワクしてたんだけどなぁ。
公園の入り口まで辿り着き、そこから件の桜の木を見上げても特に変わった様子は無い。春はとっくに過ぎて葉っぱだけになっているし、昼間には青々と輝いているであろうその葉っぱも辺りが薄暗いせいで今は黒っぽく見える。なんとなく威圧感を覚えるけど、デカい木だし当然っちゃ当然か。威圧感に押されるように帰路へと歩を進めようとしたが、ふと思い付いたことがある。
夜だったら何かあるかも。お化けとかそういう類いって夜が定番だし、もしかしたら。思い付いた途端にワクワクしてきた。まぁ、本当に会えるとは思ってないけど探検するみたいで楽しいし。パッと確かめるだけだから探検も何もないけど。
そう思い直して踏み出しかけていた足を公園へと向ける。鼻歌混じりに中へと入れば、さっきまでは感じなかったそよ風に頬を撫でられた。
「え」
次いで目に飛び込んで来たのは淡く光る桜の大木だった。
日ももう沈んでしまって辺りは薄暗いのに、その木の周辺だけが柔らかな光に満ちている。不思議なことはそれだけじゃなくて、何故か花弁まで舞っている。薄紅色に光って、ヒラヒラと。よく見てみればその木は桜を満開に咲かせていて、その花弁がそよ風に乗って舞っているようだった。
「いまって、なつ、だよな……?」
ありえない光景、けれど見事な夜桜に息を止めて見入っていた後に言う台詞にしては間の抜けたものだったけど、それぐらいビックリしてしまった。
「あっ、そうだ電話!」
自分の発した言葉に我に返ってすぐに携帯を取り出す。手早く操作して友人に電話をかけると数コールの後に繋がった。
『どうした』
「お前いま暇か!?いや、暇じゃなくても来い!あの公園に居るから!」
『声がデカい。というか、公園?何でまた』
「いや今すげぇの見てるんだってオレ!お前も早く来い!」
『はぁ?おい、ちょっと落ち着け。行くには行くが、』
「落ち着いてらんねぇって!だって」
そうだ、こんなの落ち着いていられないだろ。こんなに綺麗な光景が目の前にあるのに。お前が会いたがっている相手の手がかりが、目の前にあるかもしれないのに。こんなにも心踊る光景を一緒に見て楽しみたいと思うのに、落ち着いてなんていられるか。
電話をしながら少しずつ桜の木へと歩いていたが、次の瞬間視界が唐突に反転する。桜の木を見上げてばかりで足元を疎かにしていたせいか。出しかけた足がもつれて転んでしまったんだと気付いたのは身体を地面にしたたかに打ち付けた後だった。
あれ、なんで転んでるんだろ。でもなんかあったかくて、心地いいな。けーたい、は。あぁ、あんな所までいってる、ひろわないと。けど、からだ、おもいな。ふわふわするっていうか、なんか、ねむ、
「……ぃさ……!」
ぼんやりとしていく意識の中で、聞き覚えのある綺麗な声を聴いた気がした。
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目が覚めたのは翌日の朝。電話をしていた友人が、公園のベンチでイビキかいて寝てるオレを見つけて友人宅まで運んでくれたらしい。
コンビニに朝飯を買いに行きながら昨日の出来事を友人に話したけれど、友人が公園に着いた時には普通の木だったらしい。
実際に公園にも寄ってみたけど、あの桜の木は青々とした葉っぱを付けて日の光により輝いているだけだった。
夢だったと思うには転んで寝落ちるまで意識がハッキリしていたし、現実だったと言うにはあまりにも現実離れした出来事だった。
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「酒は飲んでなかったんだよな?」
「飲んでなかったっつの。喫茶店帰りだったし」
「そう怒るなよ。前に、お前が一口呑んで潰れた時と似てたから確認しただけだ」
「そーかよ。あ、別にウイスキーボンボンとかも食ってなかったからな!喫茶店で頼んだのはアイスコーヒーと焼き菓子だけ」
「となると、やっぱり現実ってことになるか。理由も理屈も分からんが」
「そうだって言ってんじゃん。あ、でもきっかけっぽいのは心当たりあるかも」
「何だそれ」
「昨日、喫茶店行った時に可愛い女の子と話した」
「……」
「疑わしげにこっち見んなよ。やましいことなんかしてないって。ただ話しただけ」
「……そうか。で?」
「その子めちゃくちゃ美人だし綺麗な声してたし、もしかしたらこの世の者じゃない、的な?」
「実在してたら失礼だぞ」
「そうだけどさぁ、なんか引っ掛かるんだよ」
「何が?」
「オレが落ちる前に聴こえた声ってのが、今話した子の声だったんだよ」
「聞き間違いではなく?」
「いや。確かにあの子の声だった」
そうか、と友人が一言呟いて会話の応酬は止まった。
あの不思議な桜の木と昨日の少女が何か関係があるのかは分からないけど。彼女が言っていたように、オレも出来るならまた彼女と話したいと思う。昨日のことも、隣の友人が体験した出来事も、彼女はあの鈴を転がすような声で笑いながら聴いてくれると思うから。
「あーあ、連絡先聞いときゃ良かったかな」
「まぁ、過ぎたことは仕方ないだろ」
「だな。せいぜいまた会えるよう祈っとくよ。ついでにお前の分もな」
「何故オレの分も?」
「お前だってあの桜の木の美人さんに会いたいんだろ?だからだよ」
「そう言うわけでは」
「嘘つけぇ、お前去年泣いてた癖に、って痛った!!」
友人は去年のオレのように背中を平手でばしっと叩いた後、鼻を鳴らしてコンビニへと入っていった。
自業自得だなと思いつつ友人の後を追いながら、来年こそは、と心の中で小さく祈った。