花弁の隙間

辺り一面が薄紅色に包まれていたのを覚えている。

学生と言えど、勉学にバイトに趣味にと奔走していれば、季節なんてあっと言う間にすぎていく。例えば、蒸し暑さに顔をしかめた時、あるいは視界の端に紅や黄色が見えた時、あるいは寒さに凍えた時。そして、目の前に桜の花弁が落ちてきた時。そういう場合に、ああ、そういえば、と思い出す程度で、あまり意識せずに過ごしてきた。
そんな中、隣を歩く友人に頭に花弁が付いていると言われて、今が春だったと言うことに気付いた。それを友人に言ってみると大層驚かれた。もう桜も大分散っていて、新緑が顔を覗かせていると。へぇ、と相槌を打ちながら周りを見回してみる。街路樹が緑の葉をつけていることを確認し、友人と他愛もない話を続けながらそのまま学校へと向かった。


“花見をしよう”

授業が終わり帰路を辿ったはずだが、目の前には自宅ではなく桜の木がある。今朝の話を覚えていた友人に引っ張られて、桜の木が多く植えられている近所の公園に連れてこられた。連れてきた本人は、花見には美味い団子だろ、と買い出しに行ってしまった。お前はもう少し季節と言うものを楽しめ、と言われ、自分は公園に取り残された。
近くにあったベンチに腰を落ち着け、公園で遊んでいた子供達の声をぼんやりと聞きながらこの公園で一番大きい桜を眺めてみる。別に風物詩というものを感じるのが嫌いと言うわけではない。ただただ、いつの間にか過ぎていってしまっているだけで。こうしてまじまじと桜を眺めるのだっていつ以来か分からないが。

そうして桜を眺めていると突風に襲われる。土埃が目に入りそうで、思わず目を瞑り片手で目元を守った。口に少し砂が入った気がする。
幸いにも風が吹いていた時間はごくわずかだったため、すぐに暗転した世界から明るい世界へと戻った。少し眩しさに襲われながらゆっくり目を開くと、視界一面にハラハラと桜の花弁が舞っていた。さっきまで見ていた桜の木は、まだ花をつけているとはいえ新緑も混じっていた。
さっきの突風で大半が散ってしまったかもしれないと、桜の木、枝の方を確認するために上を向くと。

木の幹、ちょうど枝分かれしている間の場所に、綺麗な着物を着たひどく美しい女性がいた。
ふわり、と今度は優しい風が吹いて花弁もゆったりと舞い、その女性も下に降りてくる。
危ない、と咄嗟に声をかけたものの、まるで重力なんてものを知らないように、そして桜の花弁と同じように、ふわりと地面に舞い降りた。
呆気に取られたまま女性を見続けていると、女性もこちらを一瞥したが、すぐに視線は逸らされた。
女性はそのまま緩やかに舞踏を始めた。まるでそうすることが自然なことのように。その人の舞踏はたおやかで、とても美しくて目を離すことができなかったが、如何せん頭の中は混乱したままだった。
現状整理を行うべく頭を動かしていると、また少し強い風が吹いて視界が遮られそうになる。

もう少し。
あと少しだけその人の舞いを見ていたかったが、視界が悪くて見えず。
なんとか女性を見つけると、深々とお辞儀をしているようだった。その後、顔を上げて少し首を傾けながら穏やかな笑みを浮かべていた。花弁の隙間からその姿を見てから、一際強い風が吹く。
もう一度目を開けた後にはその人はもういなかった。ふいに、ばしん!と背中を叩かれ、振り返ると買い出しに出ていた友人がいた。遅くなった、と謝罪した友人は直後に驚きに目を見張っていた。

“お前、何で泣いてんの”


その後は、団子やら桜餅やらを食べながら、友人に何が起きたかを話した。自分でも先程目の前で起きたこととはいえ、非現実的過ぎて半信半疑のまま伝えた。
所々、要領を得ない部分もあったが、友人は信じてくれたらしい。来年もまたここに花見に来よう、とも言ってくれた。

目の前の桜の木に、花はもうついていなかったが。他の、まだ花がついている桜に視線を移す気にはなれなくて、帰るまでずっとその不思議な木を眺めていた。



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